03 アーディス隊から
探索が終わり、ダイアニの組合に資源を持ち込む瞬間。
最近では、リベルをリベルと見分けた上で、「今回の成果は如何ばかりか」というような目を向けてくる勇者も多い。
つい最近には、甲種鉱路で大規模探索があり、複数の勇者隊が一挙に、百五十フィートを超える体長の大蛇を十数匹相手取る羽目に陥ったが、その際の全体の指揮を執ったのも、弱冠十六歳にして一等勇者であるリベルである。
さらにいえばそのときに、リベル愛用の〈氷王牢〉の能力が知れ渡り、リベルの髪色と掛けて、〈錆びた氷〉なる二つ名が囁かれ始めている。
アーディスやリガーですら、耳にしたときには噴き出したような二つ名だから、本人の耳に入ればさぞかし顔を顰めるだろう。
が、今のところ、リベルがこの二つ名を関知している様子はない。
一つには、まだ本人に面と向かって呼びかける馬鹿が現れていないため。
そしてもう一つには――
「――じゃあ、ここまでで」
リベルがそう言い放って探索の終了を宣言したのは、資源の査定が終わり、リベルが手にした査定証が、各々の手に小切手となって渡った直後である。
彼らは一等勇者隊だから、資源の査定も優先されるし、資源を値切られて揉め事に発展することもない。
組合に帰還して来てからここまで、流れるような一連の作業、リベルはずっと踵で床を叩いていた。
――普段からこうである。
リベルは非常な人見知りだが、同時に短気で、特に鉱路を脱出してからは、一刻を争うと言わんばかりの態度を見せる。
そのため、当然だが、組合内で彼自身の勇者隊の面子を除けば、知人友人は一切いない。
それがある意味、センスのない二つ名がつきつつあるという噂をリベル自身から遠ざけているのだったが。
(とはいえ……)
アーディスは渋面。
今日など、明らかに組合の職員から、含みを持たせて「お話が――」と言われたのを、リベルは人見知りのゆえか腰が引けつつも、断固として返していた。
「査定は終わったんですよね。もういいですか」
というわけだ。
それを聞いたアーディスとリガーは「あちゃー」と頭を抱えていた。
アガサもじゃっかん目を剥いていた。
組合の職員から、とある勇者に名指しで「話がある」と言われる――となれば、十中八九が、「昇格してみないか」という、組合側からの打診である。
二等から一等に上がる際にも、そうして昇格する者は多い。
そして現在のリベルは一等勇者。
昇格するとすれば、行き着くのは特等勇者だ。
勇者の誉ともいえるその地位を、なぜ感知した様子すらなく蹴るのか。
「おまえさ……」
思わず苦言を呈す口調でアーディスが声を掛けると、リベルは苛立ったような朱色の瞳を彼の片腕に向けた。
「なに。今回の探索は祝勝会が必要なほどのものでもないだろ」
ちなみに祝勝会というものを、リベルは全く知らなかったらしく、アーディスたちと組むようになってから誘ってみると、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で参加した。
「あのな」
アーディスがますます苦い顔を見せる。
リベルは眉間に皺を寄せた。
「話があるのか。長くなる? 早く帰りたいんだけど」
アーディスは軽く目を瞠った。
「なんか用事でもあんの?」
「多分ね」
なぜだかリベルは曖昧な言い方をした。
「人が来てるはずなんだ」
「――――!」
リガーが口笛を吹き、アガサがびっくりしたように目を丸くする。
アーディスは無意識のうちに、失礼極まる感想を零していた。
「……驚いた。おまえ、友達がいたのか」
「いるわけないだろ」
なぜか言下に返される。
瞬間、リベルの朱色の瞳を翳が過った気がしたが、それを追及する間もあらばこそ、赤錆色の髪を掻き上げたリベルが、小声で言っていた。
「二、三日空けると、知らない連中が――」
「……は?」
「だから、さっさと帰ってそいつらを帰しておきたいんだ」
「いや、待て。待て」
理の当然という顔で言葉を続けるリベルに、アーディスは茫然と。
「……おまえの家だよな? その話だよな?」
リベルは苛々と踵を上下させる。
「そうだよ」
「二、三日空けると、知らない連中が来てる……?」
「そう」
「物乞いか何かか?」
物乞い、という言葉を聞いた瞬間に、理由はわからないが、リベルの目の奥で何かが動いた。
懐かしい何かに触れたような、良い思い出の琴線に触れたような。
だがすぐにその瞳の奥の動きも霧散する。
「知らない。訊いてみたことないな。今日は訊いておこうか?」
必要なのか? と言わんばかりに、きょとんと首を傾げるリベル。
鉱路の中では異次元の強さを見せる少年だが、ぱっと見たときの線は細く見え、今もそうだった。
無邪気に、無防備にも見えるその表情。
アーディスは額を押さえる。
「い――いつも、同じ連中なのか?」
「そんなわけないだろ」
リベルが微笑む。
アーディスが一瞬ぎょっとしたほどの、昏いものを感じさせる笑み。
「一回来た奴は二度と来ないよ。そうしてる」
アーディスは息を吸い込む。
「鍵は?」
「してるけど、意味ないだろ」
「意味あるはずなんだよなあ、普通!」
アーディスは怒鳴り、魂を籠めて叫んだ。
「今すぐそこを引き払え、じゃないと火を点けるぞ!!」
は? と、リベルの朱色の瞳が瞬く。
蓋を開けてみれば、リベルの居住環境はアーディスの予想を遥かに下回っていた。
ダイアニの中でも下の下、貧民街に属する街区の、崩れかけた集合住宅の一室だったのである。
大家などというものはおらず、いるのは定期的にみかじめ料を毟り取りに来る無法者の集団のみ。
リベルはリベルで、それが大家に該当すると勝手に思い込み、月々の家賃と思って気前よくそれを払っていたらしい。
「だってみんな、家に住んでると金を払うって話はしてるじゃないか。それだと思った」
「馬鹿じゃねえの! みんな大家に払ってんの! 知らん奴がノックしてきて言ってきた額を、はいはいって払う馬鹿がどこにいるんだよ!」
「……金を請求してくるのが、大家ってわけじゃないのか」
「おまえは大家を何だと思ってんだ! 大家はその建物の持ち主のこと!
借家の契約のときに会っただろ! 顔違ぇなってならなかったのか!」
「……契約……?」
「だああああっ!」
髪を掻き毟る勢いのアーディスを、なんだか腰が引けたような表情で見て、リベルは申し訳なさそうに呟く。
「転がり込んだだけだったから……」
「馬鹿じゃねえの! 馬鹿じゃねえの! 第一、家賃が毎月変わるのは変だなとか思わなかったのか!」
「いや、そんなに変わらなくて……」
たまに不当に値上げされることもあったらしいが、
「まあ、話せばわかる人たちだったから」
リベルがそう言ったときの表情を見れば、「話せばわかる」連中ではなく、「殴れば逃げていく」連中だったことに疑いはない。
アーディスは、この年若い一等勇者の世間知らずぶりにも唖然としたが、あわせて驚いたのは、探索終わり――アーディスでさえ、一刻も早く眠りたいとしか考えられない満身創痍のあのひととき――にさえ、リベルの話によれば十人以上の破落戸を、彼が淡々と排除して帰宅を果たしていたことだった。
勇者に求められるのは、鉱路での目利き。
あるいは鉱路生物を相手取ったときの戦闘力。
ゆえに、対人の喧嘩は――意外にも――並より上、程度の者が多く、衛卒複数人に囲まれれば袋叩きに遭う者が殆どだ。
が、どうやらリベルはそうではないらしい。
詮索は避けたいという顔をしていたので、アーディスも深くは追及しなかったが、リベルに「まともなところに住め」と、何箇所かの候補を示してやる彼に、リベルが不服そうな顔を見せたときには相手を殴りそうになった。
リベル曰く、
「今いるところも、たまに知らない人が居座っていること以外に不満はないんだ。そんなに悪くないよ」
ということらしいが、こいつは勇者になる前はどんな生活を送っていたのかと、アーディスは戦慄してしまう。
「おまえ――おまえ、もうちょっといいところに住める程度の蓄えはあるだろ……」
茫然としつつもそう返すと、リベルは本気で当惑した様子で瞬きした。
「……住むところにいいも悪いもあるのか?」
「――――」
アーディスの愕然とした表情から視線を逸らしつつ、リベルは呟く。
「一人でいられれば、それでいいんだ」
*◇*◇*
それから三年余り。
ある日突然、特等としての地位を放り捨てて出奔したリベルが、今度は「一緒に鉱路に潜ってくれ」と助力を求めて戻ってきた。
どうやらわけありのようだが、そちらを詮索する方に意識が向かないほど、アーディスは仰天していた。
つまり。
(……人間って、短期間でここまで変わるのか……)
あの人見知りのリベルが、新天地でちゃっかり仲間を見つけられたことも驚きだが、その仲間は仲間で癖が強い。
何よりリベルの表情が違う。
ダイアニでアーディスたちといたときには、常にどこか警戒するような、一線を引いたような硬い表情を見せていた。
仲間内でのどんちゃん騒ぎの間ですら、そばに寄る人間を注意深く見ていたことをアーディスは察している。
それが今や、あけっぴろげに警戒を解いた態度で、しかもそれはアーディスたちに対してもそうで、まるで憑き物が落ちたかのような変貌ぶり。
リベルの連れ――ヴィレイアとエルカと名乗っていたが――と、アーディスたちの顔合わせを兼ねた夕食を終え、彼らは次々に店の外へ出ている。
夜気は冬のもの、凛と冷えたその空気に、おお寒、と、ほぼ全員が身震いする。
エルカと名乗った青年が、恨みがましげにリベルを見ている。
「おまえ結局、一口も俺に酒を飲ませてくれなかったな」
「昼間、あんだけ二日酔いで苦しんでおいて、おまえは何を言ってるんだ」
呆れたようにそう返し、リベルはそばのヴィレイアを引っ張り寄せている。
「こっちはこっちで不満そうだし。こら、ふらふらするな」
おまえはおとんか、と言いたくなる。
これまでのリベルには断じてなかったことに。
「ねえリベル、ご予算的にはもうちょっといいホテルに泊まれたと思うの」
「わかった、わかったから。明日の朝はちょっといい店に連れてってやるよ。それでいい?」
「ほんと? やったー」
無邪気に喜ぶ白百合色の髪の少女。
本当に勇者なのか疑わしい水準の無邪気さだが、リガーがずっと、何か言いたげに彼女を見ている。
ということは法術師としてはかなりの腕前なのかもしれない、と、アーディスはそんな風に思う。
「おいリベル、俺にはそういう埋め合わせはないのか」
「要るのか?」
「ヴィリーばっかり贔屓だ。ヴィリー、俺なんか、こいつと相部屋だぜ?」
漏れ聞こえてきたその声に、アーディスは内心で耳を疑う。
リベルの警戒心はぴかいちで、鉱路の中で共に寝起きすることすら嫌がっているほどだったのに。
「別にいいだろ。
おまえは俺を一人にしたりしないだろ?」
リベルの笑い含みの突っ込みに、エルカが笑っている。
どうやらのっけから冗談だったらしい。
「しないよ。お兄ちゃんがいつでも一緒にいてやるからな」
「有難いことで」
そんなやり取りをしつつ、リベルがアーディスたちを振り返って手を振る。
今回の話を引き受けてやったことが嬉しいのか、安堵に綻んだ、年齢よりも幼く見える表情だった。
「――じゃ、また明日。
ほんとにありがとう、アーディス、リガー、ラティ、アガサ」
いいよいいよと手を振って、アーディスたちも歩き出す。
最初に、微妙に不機嫌な表情のままのアガサを家の近くまで送ってやり(余談だが、アガサはこういった気遣いを当然のものと思っている節がある。勇者になる前は、そこそこの階級の家の出身だったのかもしれない)、男三人でしばし歩き、アーディスとリガー、どちらからともなく切り出す。
「――で」
「どうよ」
顔を見合わせてくすりと笑って、アーディスは無精ひげの生え始めた顎を撫でた。
「変わったなー、あいつ。前より伸び伸びしてて楽しそうだ。よっぽど今の隊が肌に合うんだろうな」
「気を許してる感じだよな。それに、気づいたか? あいつ、ずーっとあの子……ヴィレイアちゃん、だったか。あの子を見てたな」
「見てたってか、気遣ってたな。あいつがあの子の皿に取り分けてやってるの見たか? あんなん見たことねぇよ。だいぶ気に入ってるみたいだな」
「それ言うなら、名前なんだっけ……あいつ、リベルに酒代つけたとかいった、あいつ……」
「エルカ」
「そう、エルカ。あいつもだよ。まあ、あいつの場合は、なんでか知らんがリベルの方も気遣ってたけどな。んで二人が二人してヴィレイアちゃんを、妖精か何かみたいに扱ってる」
アーディスはちらりと横目でリガーを見た。
「あの子、法術師としてはどんなもんなんだ? 正直、四等の法術師なんざ、鉱路にいられても邪魔だと思うが。リベルも酔狂で素人を鉱路に引っ張り込もうとはしないだろうが」
リガーが肩を竦める。
「さあ、詳しいところはわかんねぇな。ただ、法気の量はただもんじゃない感じがするんだが、気のせいかも知れねぇ」
ふうん、と声を出し、アーディスは斜め後ろを小さくなって歩くラティを振り返る。
「ラティ、あの、エルカとかいうガキは? おまえから見てどんなもんだった?」
びく、と反応したラティは、実のところ肉弾戦でいえば、リベルを失ったアーディス隊の中では随一の実力を誇っている。
ラティはおずおずと顔を上げ、しばし考え込んだ。
そして、小声で言う。
「……物腰、ですとか、手の形、ですとか。そういうところを見ますと、絶対に素人ではありません。ただ、勇者……という感じもしません。いちばん近い印象でいえば、衛卒のような」
「衛卒」
呟いて、リガーとアーディスは二人して顔を顰めた。
ぐるりと周囲を見渡すだけで五人は目に入る衛卒は、歓迎したい存在ではなかった。
「なるほどな……」
何も腑に落ちてはいないのだが、アーディスはそう呟いて夜空を見上げる。
町の明かりに霞む夜空は、どことなく灰色っぽく目に映った。
リベルが連れている二人が、それぞれとんでもない実力者だと判明するまで、あと数日。
*◇*◇*
そして、ハイリでの〈鉱路洪水〉を経験し、水面下で物事が急速に動いている現在――
アーディス隊のアガサとリベルが決定的に訣別するまで、あと僅か。