「冒険の書二百七:ここで退けば皆が死ぬ」
「泥竜……まさかこんなところで出くわすとはな……」
言うまでもないことだが、竜種はこの世で最強の生物群だ。
小さな村や街なら成すすべなく壊滅、数千人規模の大都市が市民まで含めた全戦力を動員してようやく追い払えるかどうかというレベルの、最悪の敵だ。
赤竜・黒竜・銀竜・光竜……名だたる竜の中では格落ち感があるものの、泥竜は紛れもない竜種だ。
竜人間のラーズなどとは違う、本物だ。
――ぶごぉ……ぶるるぅ……っ。
サハギンの重戦士たちを丸ごと呑みこんだ泥竜は、川に着地するなり低く湿った声で鳴いた。
そしてそれきり、動かなくなった。
消化液を胃の下部に集中させて獲物を早く消化するためだろう、背を丸めるようにしてじっとしている。
シルヴァリス商工会の高速艇とワシら護衛組。
そして多くの船員を前にしてなんたる無防備、なんたる余裕。
だが、泥竜はそれでいいと考えているのだろう。
自分は捕食者であり、貴様らは単なる餌。
餌を恐れる捕食者などいないだろうと。
「ま、まさか『ドロガロン』?」
「リトニア川の王じゃねえか……」
「もうダメだぁ……おしまいだぁ……」
生物種としての頂点に達しているが故の泥竜――ドロガロンの傲岸不遜を目の当たりにした船員たちは、恐怖のあまり棒立ちになっている。
「……ふん。水辺での戦いに特化した、最強で最悪の敵か」
ワシはというと、もちろん恐れなどしていなかった。
ただただ、運命の巡り合わせの悪さにため息をついただけだ。
「……できることならば、マリアベルとルシアンの弱点を克服させてから相まみえたかった。『精髄』が復活してから相まみえたかった。船の上でなければもっとよかった。『深淵樹海』がほど近い危険地帯でなければなおよかった。……などと、文句を言ってもしかたがないか。さてもさても、思い通りに運ばぬ我が人生よ」
かつて、人魔決戦の折。
ワシは多くの仲間を失った。
弱者だけではない、強者も多く失った。
敵中で孤立したところを包囲されたり、寝こみを襲われ目覚めることすらなかったり。
中には武器が折れた拍子に喉を突かれたり、ぬかるみに足をとられた拍子に腹を裂かれた者もいた。
「どれだけ強くても、人は人だ。死ぬ時はあっさり、一瞬で死ぬ。それだけのことだ」
武人らしく思考を切り替えると、手近な船員を捕まえた。
「おい、詳しく聞かせろ。奴について」
「無理だぁ……みんな死ぬんだぁ……」
「いいからこっちを見ろっ。ワシの目を見て答えるのだっ」
恐慌状態に陥っている船員の顔を両手で挟んでこっちに向けると、ワシは改めてドロガロンについての情報を集めた。
船員曰く――ドロガロンはリトニア川に住む泥竜で、普段は川の魚や水棲の魔物、水辺の魔物を喰って暮らしているそうだ。
大喰いすぎて生態系を壊してしまうことがあるので、季節に応じて川の北から南へと幅広く移動し、狩り場を変えるそうだ。
当然だが強く、かつては某国の騎士団が丸ごとその腹に収められたこともあるのだそうだ。
「騎士団を倒すほどの実力に加え、生態系を壊すほどの大喰いか。厄介な……」
船員曰く――でっぷりと太った体はあらゆる衝撃を吸収し、小さいながらも羽根で飛翔し、硬い爪と牙であらゆるものを切り裂き、毒の吐息であらゆる生物の目を潰すのだとか。
さらに知能が高く、魔術まで使うのだとか。
「ほう、魔術まで?」
「なんでも人の使うものとは違うようですが……」
「ああ、そりゃ竜だものな。使うのは『竜語魔術』だろう」
「竜語魔術……?」
「魔術や神聖術は、この世ならざる次元に住まう高位存在に願いを叶えてもらうための術法だ。だから多くの言葉を重ねる必要があるし、時に生贄を捧げる必要まで出てくる。だが竜種は、人よりも高位存在に近い生物種だ。重ねる言葉も短く済み、生贄は必要なく、威力も段違い。端的に言うと、魔術よりも速くて強い」
「ひぇっ……?」
ワシの言葉に怯えた船員が、ペタリとその場に尻餅をついた。
恐怖のあまりだろう、ズボンの股間部分に液体が染み出している。
「おっと、脅しが効きすぎたか、すまんな。代わりにあれを倒してやるから、許すがよい」
船員の頭をポンと叩いていると、ルルカがビュンと飛んできた。
ワシの腕にしがみつくなり、真っ青な顔でまくし立ててくる。
「ちょ、ちょちょちょちょお~っとディアナちゃん。今倒すって言った? 今倒すって言った? あれ竜だよ? ちょっとおデブちゃんだけど間違いなく竜なんだよ? この世で最強の種族なんだよ? わかってる?」
「わかっとるわかっとる」
「わかってないよっ。全然これっぽっちもわかってないよっ。今までの相手とは違うんだってばっ。さすがのディアナちゃんでも勝てないようっ、死んじゃうようっ」
よほどワシに死んで欲しくないのだろう、ぽろぽろと涙を流しながら訴えてくるルルカ。
「ルルカ……」
ルルカの気持ちはよくわかる。
こんな降って湧いたような災難のためにワシが命をかける必要はない、そう思っているのだろう。
それはある意味では正解だ。
今後ワシらがこの世のために、ハイドラ王国のために成せるだろうことを考えるなら、ここで命を賭けることになんの意味もない。まったくもって釣り合わない。
だが、そういう問題ではないのだ。
「なあ、思い出してみろ。パラサーティア防衛戦。ラーズの率いる五万の大群の真っただ中に降り立った時のことを。あの時おまえはどう思った?」
「……死ぬかと思った」
「んで、今はどう思っておる?」
「……死ぬかと思ってる」
「じゃあ同じだろ。あの時とやることは変わらん」
「ちがうよ、似てるようで全然ちがうよおぉ~っ」
「同じだ。ワシらが退けば全員死ぬ。あの時も今も、それだけは変わらぬ事実だ」
正直、尻をまくって逃げるのは簡単だ。
高速艇を捨て、陸地に降りて森に逃げ込めばいい。
ドロガロンの小さな羽根で長時間飛行するのは難しいだろうし、地上を歩くのに適した体型もしていないから、いずれは追跡を振り切ることができるはずだ。
だがおそらく、船員たちはついて来れまい。
陸地に降りるまでに半分、森に逃げ込むまでにもう半分死ぬだろう。
パラサーティアの時は都市全体。
今は数十人の船員という違いはあるが、ワシらの決断ひとつで多くの人が死ぬのだ。
ならばやはり、逃げるという選択肢は存在しない。
「んん~……それはたしかにぃぃ~……そうかもだけどおぉ~……」
腕組みしたルルカが、目をバッテンにして苦しんでいる。
「なんだルルカ、ワシと共に死んでくれると言ったのは嘘だったのか?」
「くうぅっ……? 今それを言うのは反則だよぉぉ~……っ」
ワシの言葉がとどめだったのだろう、ルルカは諦めたようにため息をついた。
「ハアァ~……わかったよおぉ~。やればいいんでしょやればぁ~……」
さすがはルルカ、頼めば死の淵にすらついて来てくれる。
嬉しさのあまり、ワシはニッコリ笑った。
「感謝する。頼りがいのある仲間を持てて、ワシは幸せだ」
「ああぁ~……その言葉は嬉しいし、ニッコリ笑顔は額縁に飾ってとっておきたいぐらい尊いんだけどおぉ~……。今だけは微妙な気分だなぁ~……」
喜んでいいのか苦しんでいいのかわからずに唸っているルルカはさて置き、ワシらのやり取りを眺めていたチェルチ・マリアベル・ルシアンの三人に呼びかけた。
「のう、おまえたちはどうする? 竜退治の英雄となるか。はたまた尻をまくって逃げ延びて、平穏無事に暮らすか」
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