「冒険の書一:エルダートレント」
まだ見ぬ仲間の居場所を探して、ワシは駆けた。
木々が茂っているので視界が悪く探しづらかったが、魔力を変換した気でもって聴力を強化すると、すぐに声のする位置を特定できた。
小川を飛び越え――木から木へ飛び移り――大きな岩の上に飛び乗ると――人族の娘が魔物に追われているのが見えた。
「おーおー。逃げとる、逃げとる」
年の頃なら十四、五ぐらいだろうか。
ふわふわした桃色の髪を肩のラインで切り揃えている。
目は大きく顔立ちも整っているが、走り方がポテポテとして、いかにも鈍くさそうだ。
ジョブは僧侶。
白いローブの胸元に『豊穣と慈愛の女神セレアスティール』の、『黄金の麦穂』を象った意匠が刺繍されている。
「あ……ディアナちゃん! よかった、無事だったんだね! オルグに追われてはぐれた時はどうなることかと思ったけど……うっきゃあああー⁉」
ワシに気がついた女僧侶はパアッと表情を明るくして喜んだが――そのせいで足元への警戒を怠り、木の根につまずいて「ずべしっ」と盛大にすっ転んでしまった。
ああ……やっぱり鈍くさい。
「ゲハハハハー! 愚かな娘よ、仲間に気をとられて転ぶとはなああー!」
下卑た笑い声を上げているのは歩く樹だ。
トレントは長い時を過ごした樹が邪悪な意思に目覚めたもので、太い幹には裂け目のような形をした赤い目と口がついている。
長い木の枝を伸ばして相手を捕まえたり、葉をナイフのように飛ばして攻撃したりと、中・短距離の攻撃手段をバランスよく備えた魔物だ。
今回の個体は樫の老木をベースにしているのだろう巨大なもので、トレントの中でも上位種のエルダートレントだろう。
「ほら捕まえたあぁーっ! ゲハハハハー!」
「うっきゃあああー⁉ やだああああぁー⁉」
「ゲハハハハー! 叫べ叫べ! さらにここを……こうしてこうだ! ゲハハハハー!」
「いやああー⁉ 変なとこ触らないでええー⁉」
エルダートレントは長い枝を伸ばして女僧侶を絡めとると、白いローブの下に短い枝を突っ込みまさぐり始めた。
「やめてえええー⁉ お嫁にいけなくなっちゃうーっ!」
女僧侶は必死になって逃れようとするが、力の差は歴然。
いくら暴れてもビクともせず、とうとう涙目になってしまった。
「うううう……ディアナちゃん! わたしはもうダメみたい! だから逃げて! ディアナちゃんだけはせめて無事でいて! ううっ……ウソウソやっぱり助けて! どこへも行かないでえぇ~!」
「どっちだ」
「だってさだってさ! わたしだってミソっかすとはいえ僧侶の端くれだしっ? どうやっても勝てなさそうな状況でパーティメンバーを危険に晒すのはどうかと思うじゃないっ? でも万が一さっ、ちょっとでも助かる可能性があるなら助かりたいなと思ったりもするんだよ!」
「ああ~……まあな」
僧侶という立場からすれば、仲間を逃して死を選ぶべきだ。
一方、個人としてはなんとしてでも生き延びたい。
理性と感情の狭間で揺れに揺れた結果の中途半端な発言らしい。
「なんというか……正直な娘だなおまえは」
本音の隠せない、いかにも生きていくのに苦労しそうなタイプ。
だがその分、好感がもてるタイプでもある。
さっきだってワシの無事を心から喜んでくれていたし(そのせいで転ぶのはさすがに鈍くさすぎるが)、人間として、仲間として信頼できる相手だ。
仲間──そう、仲間だ。
「偶然の巡り合わせとはいえ、ワシが冒険者パーティに入るとはのう……」
ワシはしみじみとつぶやいた。
前世のワシはあくまで武人で、冒険者ではなかった。
人魔決戦の時にアレスたち勇者パーティに一時的に加入したことはあったが、経験としてはそれぐらい。
なろうと思ったこともなかった。
ワシの人生の舞台はほぼすべてが戦場で、最初から選択肢にすら入っていなかった。
だが、たまにうらやましいと思うことはあったのだ。
たとえば街中で、食堂で、街道で。
すれ違う彼らは常に明るく、楽しそうに笑っていた。
絆、仲間意識、一蓮托生。
戦場以外でも無くなることのない関係性が、時にまぶしく見えることはあったのだ。
「……ま、よいか。それはそれ、これはこれだ」
不思議な感慨はさておき、まずは目の前の問題を解決しよう。
「おいそこの樹よ。おまえが捕まえている娘を今すぐ離せ」
「ああぁ~ん? なんだ小娘ぇ〜?」
お楽しみの時間を邪魔されたからだろうか、エルダートレントは忌々し気にワシを見下ろした。
「そいつ、どうやらワシの仲間らしいのだ。だから離せ」
「なあぁぁにを寝言をほざいてんだてめえはあぁぁぁ~?」
何か悪いことを考えたのだろう、エルダートレントはイヤらしく笑うと……。
「人にモノを頼む時は、それ相応の態度ってものがあるだろうがあぁ〜」
「ほう、具体的にはどうすればいい?」
「そうだなあ〜。まずは謝ってもらおうか~。地面に頭を擦りつけて土下座しろ。生意気な態度をとってしまってすいませんでしたと謝るんだよお〜」
「土下座すれば、娘を離してくれるのか?」
「ああ~いいぜえ~? ちい~っとばかり精気は吸わせてもらうがな。死なない程度に楽しんだ後に開放してやる。ゲハハハハー!」
「ダメだよディアナちゃん! こんな樹の言うこと信じちゃダメ! きっと土下座してる時に襲う気だよ!」
女僧侶の指摘は、おそらく当たっている。
エルダートレントは狡猾な魔物だ。
言葉巧みに人間を騙しては、干からびるまで精気を吸い殺す。
見た目と言動はバカみたいに見えるが、本当に頭がいい魔物なのだ。
たとえば今も、エルダートレントは娘を離すという嘘をつく一方で、ワシに気づかれないようこっそり枝を伸ばしている。
大きく迂回するようにしてワシの背後へ回り込ませ、いつでも襲いかかれるよう態勢を整えている。
「んん~、悲しいなあ~。このオレ様を嘘つき呼ばわりとは~」
まったく悲しいとは思っていない表情で、エルダートレント。
「これはさらなる『誠意と謝罪』が必要だな~。具体的には……そうだな、服を一枚ずつ上から脱いでいって、最終的には裸になって土下座して、オレ様の硬~い根っこを……っと──そこだ! 隙あり!」
あまりの気持ち悪さにワシが「おえぇ……っ」と舌を出して呻いたのを『隙』だと勘違いしたのだろう、エルダートレントが仕掛けてきた。
「もらったぞエルフ娘! 貴様のぴちぴちな白い肌もちんまり短い手足も全部オレ様のものだ! 舐めて揉んで吸って、存分に楽しませてもらうぞゲハハハハー!」
最低なセリフと共に、無数の枝がワシに襲いかかってくる。
大人の腕ぐらいはあるだろう太さの枝が、一度にドバッと。
並みの冒険者なら成す術なく絡めとられてしまうところだろうが……。
「『破刀』」
ボソリとつぶやくと、ワシは手刀に気をこめた。
ワシが気で強化した手刀は金属の強度を持つ。
全盛期ならオリハルコンぐらいはあっただろうそれも、今は鋼鉄ぐらいだが……。
「ま、この程度なら十分だろう」
手刀を縦横に振ると、斬り裂かれたエルダートレントの枝がボトボトと周囲に落ちた。
「な……な、なんでオレ様の枝が……っ?」
まさかの出来事に、エルダートレントの表情が凍りつく。
「というか、なんで素手でイケる? エルフなんてこの世で最も脆い生き物のはずなのに……っ?」
「ま、普通はな」
ワシはポキポキと拳を鳴らすと、次にエルダートレントの解体方法を考えた。
枝は『破刀』で斬り裂くことができたものの、さすがに幹は太すぎるか。
「さて、どう処理するか……。何せ樹が変化した魔物だ。枝はともかく幹の硬度はそれなりのものだろうし……。『螺子拳』でいけるか? う~む……」
エルダートレントをしげしげと眺めるうち、ワシは妙案を思いついた。
「ああそうか、樹だったら斧で斬ればいいのか」
ポンと手を叩くと、そのまままっすぐ距離を詰めた。
「お、おいやめろ! それ以上近づくなエルフ娘! 次こそは本気でいくぞ! この世の地獄を味わわせてやるぞ! 痛いぞ! 苦しいぞ~!」
嫌な予感がしたのだろう、青ざめたエルダートレントが盛んに警告を発してくるが、もちろん聞いてやる義理はない。
「く、喰らえ! 『葉の嵐』!」
とか言って葉っぱを飛ばしてくるが、ワシは難なくこれを回避。
「いやマジで近づかないで! それ以上近づくとこの娘をころ――」
「――させんよ」
女僧侶を人質にされるのはさすがに面倒だ。
ならば人質にされる前に殺せばいい。
そう考えたワシは、エルダートレントのセリフが終わらぬうちに素早く詰め寄った。
詰め寄った勢いに体重を乗せ、流れるように蹴りを放った。
「『砕脚』」
相手の脛やふくらはぎ・膝関節などを破壊する目的で使われる下段蹴りだ。
鋼鉄の硬度を持つワシの足が、エルダートレントの幹に食い込んだ。
木こりが振るう斧のように、ザックリと。
「ギャアアアアアーッ!?」
エルダートレントは、たまらず悲鳴を上げた。
樹なので血は出ず、代わりに樹液が辺りに飛び散った。
「痛い! 痛い! 痛い! ナンデ!? エルフの足が刺さるのナンデ!?」
「ん~……さすがに一発では斬り倒せんか」
一撃でスッパリいきたかったのが、何せちんまい体だ。
硬度自体は鋼鉄でも、蹴り足に乗せる重さが足りない。
「ま、最初からすべてが上手くいってもつまらんしな。最強への道も一歩から。ってことで……」
ワシは幹に食い込んでいた足を抜くと、半身に構えた。
「エルダートレントよ、反復練習の相手につき合ってくれ」
「イヤダああああああああーっ!?」
悲鳴を上げるエルダートレントを斬り倒すまで、ワシは『砕脚』で蹴り続けた。
斬り倒されたエルダートレント(変態)は森の栄養になると思います!
★評価をつけてくださるとありがたし!
ご感想も作者の励みになります!