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甥っ子が幸運の持ち主だった件

作者: 無料空気

昨日、久しぶりに実家に帰省した。


大広間には大学の夏休み中であることにかまけて昼前に起きた怠惰な私と、宿題を黙々とする甥っ子の二人だけ。


状況説明をすると、うちの実家は〇ザエさんの家の3倍くらい広い木造建築物、つまり豪邸だ。


その豪邸の中で一番広い大広間は今日、障子が全て取り払われて宴会場に使えるくらいの広さになっていた。


自然の風が大広間を吹き抜け、風鈴が時折リンと静かに鳴る。


そんな「いとをかし」という言葉が一番似合う空間に私と甥っ子が二人だけ。


甥っ子はちゃぶ台で学校の宿題をこなし、私は自分で持ってきた冷蔵庫の中の麦茶をチビチビ飲んでいる。


麦茶の入ったグラスの氷が溶け、カランと音を立てた。


……気まずい。


何もすることがない。


他の家族はみんな外出してしまい、私は甥のお守を押し付けられてしまった。


この甥、めちゃくちゃ頭がいい。


フラッシュ暗算、速読、英会話など、なんでもできる。


だから家族は甥の話について行けず、甥の面倒を水面下で押し付けあっている。


私を急に呼び出し帰省させたのもこのためである。


甥は私の叔父の子なのだが、何故か叔父はこの甥だけを送り込んできたらしい。


叔父曰く「色々な人と話をして経験を積ませてやりたいんです」だそうだが、せめて会話のチュートリアルは履修させて、話題デッキのスターターパックくらいは持たせてやれよと思う。


さて、どうするか。


実はこの実家、ワイファイが通っていない。


コンビニやカラオケは疎か、私が一人暮らしをしているアパートですら通っているワイファイがこの家には通っていないのである。


そして私は今月、携帯のデータ料金がかなりやばいことになっている。


実家に滞在する期間は1か月。


つまり、1か月のデジタルデトックスをせざるを得ないのである。


この強烈な暇を潰すには「バイト」「遊び」「友達の家に居候」のどれかしかない。


が、バイトは地元の若者が独占していて私が入るスキはないし、こんなド田舎に遊び場は無いし、友達は全員旅行に出かけていて、追いかけようにも金がない。


かくなる上は……。



「ねえ。暇なんだけど」



甥をいじる。



「一緒に勉強します? 今なら教えてあげますけど」



は? うッッッッッッッッざ。



「おい、おま、今何年だコルぁ」



暑さのせいで覇気のない声が出る。



「小学6年生です」



勉強の手を止めず甥が答える。



「ちょっと見せてみろお。その問題ィ」



私は甥の問題を覗いた。



「……英語の宿題なのになんで数式とか図形とか書いてるんだよ」


「これは英語で書かれた数学の問題ですよ?」


「……」



私は畳に大の字に寝転がった。


これだよ。


才能のあるやつはみんなこれだ。


私の想像のはるか先にいて、私みたいな凡人には目もくれない。


たかだか運よくいい環境に生まれて、運よくいい大人に出会えて、運よくいい環境で育つことができた、運がいいだけの人間だろ。


私と同じ境遇だったら絶対私と同じような人間になっていたし、私がこいつと同じ境遇だったら今頃絶対にこいつみたいな天才になってた。


結局人生なんて運ですよ運。


はーつまんね。運ゲーつまんねー。


なんかつまんな過ぎて頭に来たな。



「いいよなー。あんたは。いい親の元に生まれて、いい環境で育たせてもらってるんだから、本当に豪運の持ち主だよ。ほんとに」



私は嫌味半分で甥っ子に言う。



「あーあ。それに比べてぱっとしない私はぱっとしない大学でぱっとしない生活を送ってるんだから、ほんと人生って運ゲーよねー。まじつまんねー」



嫌味は気づけば自虐になっており、自分が惨めに思えてきた私は自然と口をつぐんだ。


甥が鉛筆を走らせる手を止める。


風がそよと頬を撫でる。


風鈴がリンと静かに鳴る。


両者ともに沈黙が暫く続いた。



「そうですね。確かに人生は運ゲーかもしれません」



甥っ子が口を開く。



「生んでくれる親も生まれる家庭も選ぶことができない以上、個々人の人生における境遇の良さやいい人に出会える確率というのは生まれながらにして個人差があると思います」


「現に僕はとても運がいい。勉強が好きなようにできて、知りたいことはなんでも知ることができて、父さんや学校の先生など良き理解者がいる。こんなに運の良いことは今後の人生もしかしたらないかもしれない」



自分で運がいいって言うのかよ。


私は心の奥底で舌打ちをした。



「そんなに運がいいなら人生楽勝じゃん。頭もいいし、容姿もあんたの同世代の中じゃずば抜けてイケメンだし、勉強なんてしなくても望むものは何でも手に入るっしょ」



ふと、そんな言葉が飛び出た。



「そう思いますか? 僕はそうは思いませんね」



甥は鉛筆を置き、私と向き合って話を始めた。



「僕の今の幸運は一時のものです。些細な環境の変化や人間関係の変化でこの最高の状況は瓦解するかもしれない。そして、その瓦解するきっかけになる出来事はいつ起こるか分からない。もしかしたら僕の全くあずかり知らないところで起こるかもしれない」


「つまり、この幸運はいつまで続くかわからないってことです。えーと……制限時間がわからないスター状態のマリオって言えばわかりますかね……」



全く話を理解できていないことを悟られたのか、甥は可哀そうな馬鹿を見るような目で私を見る。



「だから、この幸運がいつ終わるかわからないから、幸運なうちに努力をするんです。マリオでスターを取ったらとにかくたくさんクリボーを倒して先に進むでしょ?」


「だから、幸運が続いているうちに努力をしまくって、いつか幸運が切れた時に少しでも夢に近づけていられるように、たくさんレベルアップしているようにいたいんです。……あれっ、マリオってレベルアップとかありましたっけ」


「ねえよ」



甥のとぼけた顔に思わず吹き出す。


やっぱりこいつは幸運だ。


約20年生きてきた私が全く考えもしなかった思考をこの歳で考え付いているのだから。


だからこそ、聞きたくなる。



「ねえ」


「なんですか?」


「あんたは、今の状況というか、境遇に不満はないの? 不運だなーとか、とばっちりすぎてマジ運悪いわーとか。それで人に八つ当たりしたり、ネットに八つ当たりしたりはしないの?」


「不満はありますよ。すぐに解決しますけど」



甥がズバッと言ってのける。



「自分ですぐどうにかできる程度の不満であれば解決しますし、すぐにはどうにもできなさそうなら、どんなに解決したい問題でも一度距離を置いた後に時間をかけて解決策を模索します。ただ、作業としての優先順位はかなり下になっちゃいますけど」


「でもあのコンビニの店員がうざいとか、あの違法駐車している車まじで迷惑とか、なんかないの? そういうの」


「まあ、必要とあらば然るべき対応をするだけですし……気に入らないことをいちいち並べ立ててイライラしてたらキリがないし、気疲れしちゃいますよ」


「……あんた、人生何週目よ……」


「? まだ1週目ですけど……」



甥が困ったような顔をして答え、その顔に私はまた吹き出す。


こいつにとって、幸運という言葉も、不運という言葉も、決意を揺るがせる要因にはならない。


それが人生にとっていかに有益な財産であるか、私ですらなんとなくでしか理解できていないのだから、甥はきっと理解していないだろう。


その価値を理解させるためにもしかしたら叔父はこの甥をたくさんの人と出会わせようとしているのかもしれない。私の勝手な妄想だけど。



「よし!」



私はむくっと起き上がり、ちゃぶ台を挟んで甥と向かい合った。



「興が乗った!! 今から私に勉強を教えろ!!」



思えば私もこんな豪邸を持つ家に生まれて、大学にも通わせてもらっていて、運がいい方の人間なんだよな。


そう思うと確かにこの甥っ子が言うように、運がいいうちに色々やっておきたくなった。


言い訳を探して並べ立てて何もやらないことは簡単だけど、そんな人生は嫌だし、とにかく今自分にできることを一生懸命やってみよう。


決意を固めた私の目を見て、甥は初めてにこりと微笑んだ。


なんだ。こいつ。意外と可愛いところあんじゃん。



「それじゃあまずはこの小学一年生の問題を……」


「前言撤回だコルぁ今すぐ表出ろ」


「まあまあ、まずはこの問題なんですけど……」


「だからなんで英語の問題に数式だの図形が出てくんだって」


「いや、これは英語で書かれた算数の問題なので……」

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