六 支えるものとして
早朝より執務室に篭り、ラファエルは軍の再編に頭を悩ませていた。現在ラファエルは軍事総督と第一部隊長の職を兼務しているが、全体を統括する上で一つの部隊を統率するのは望ましくない。有事となる前に部隊長の職を委譲して、新たな隊長の下で円滑に機能するよう今のうちに練兵しておくべきだろう。
ラファエルの中で部隊長を任せる男は決まっているのだが、当の本人が受けるかどうか疑問である。
「あの男のこと……俺の柄じゃねぇなどと言って固辞しそうな気もするが」
ラファエルが独りごちる。朝日が窓から射し込み、鳥のさえずりが耳に心地良い中、執務室のドアをノックする者があった。
「誰だ?」
「俺です」
噂をすれば影とはよく言ったものだ。
「俺です。ではわからんといつも言っている。ちゃんと名乗れ」
「フランク・ベルツです」
「入れ」
ドアを開けるとフランクは軽く片手を掲げ「いやいや、隊長。早朝からお疲れ様です」と労いだか皮肉だかわからない飄々とした態度で現れた。
まぁこの態度はいつもの事であるが、こんな早朝からこの出で立ちと雰囲気……妓館帰りだな。と、ラファエルは呆れて溜息を吐いた。
「お前も隊を預かる者。兵達の模範ならざる振る舞いは慎め」
「妓館帰りを咎めてるんですか? それを悪しき振る舞いと仰せとあっては嬢達に些か失礼だぜ」
「曲解するな。私はお前の事を言っているんだ。私の耳にもちらほら入ってきているぞ、お前に騙されたという女性の声がな」
「心外だな。俺は一夜の夢を語り合っているのであって騙すつもりなど毛頭ないぜ。夢も現も幻ならば、覚めねば甘美な夢現……。てな」
このフランクという男、容姿端麗でいて能力は高く要領もいいのだが、如何せん軽薄な性格の持ち主で特に女性関係の噂は後を絶たない。それでもラファエルを始め、軍内に置いて確かな信頼を得ているあたり一本筋の通った男であるのは間違いないが。一言で表すならば『女の敵』であろうか。
「訳のわからん事を。で、こんな早朝から何用だ?」
「そうだ。わざわざ説教されに来たわけじゃなかった。たまには真面目な話でもしようかなと思ってさ」フランクは椅子を引っ張ってきてラファエルの対面に座る。
「ほう」
「遥か南西にある『草原の国』じゃあ、軍馬は人間の命令を理解できるとまで言われているらしいが、そんな事が実際に可能なのかね?」
「なるほど、ヴィーゼの軍馬か。私も噂程度に聞いたことはあるが、実際に目にした事はないな。なんだ、その軍馬を仕入れて欲しいのか?」
「いや、騎兵部隊を率いる身としちゃあそんな軍馬がいれば理想的だが、恐らくその噂の裏にはヴィーゼ騎士の並外れた騎乗技術があるとみた。それに草原の国の駿馬を買うとなればかなりの高額だろう。それよりまずヴェリア軍の場合は指揮命令系統の迅速な伝達をもっと煮詰めるべきだな。馬の前に兵士の練度が優先課題だ」
やはりこの男は鋭い感性を持っている。まさにラファエルが考えていた軍の再編理由と繋がるものを指摘してみせたわけだ。
ラファエルは告げるならば今と判断した。
「指揮命令系統を円滑にするならば私が一部隊を率いる事はマイナスとなる。お前も気付いているだろう? そこで私は第一部隊長の座をお前に……」
「おっといけねぇ、野暮用があるのを思い出したんで帰ります」
「待てえぇぇぇい!!」
脱兎の如く逃げようとするフランクの襟首を素早く掴むラファエル。
「柄じゃないですってぇ。だったらアードラー歩兵長に委譲すればいいじゃないっすか。最古参の最年長だし」
予想通りの反応を示すフランクにラファエルは再び溜息を吐く。
「まったくお前というやつは……。情けない事を言うな。私が正式に任命すれば辞退する事などできないんだからそうなる前に気概というか、やる気の一つも見せてみろ」
「はぁーあ。こんな面倒な話になるならわざわざ寄るんじゃなかったぜ」
二人が子供じみたやり取りをしていると、執務室のドアが控え目に叩かれた。
「おっと! 来客だ。じゃあ俺は帰りますよ」素早くラファエルの拘束から逃れるフランク。
『ビアンカです。ラファエル様、いらっしゃいますか?』
「ビアンカ? ほいよ」
内側からフランクがドアを開けると、ワインレッドのワンピースを着たビアンカが虹彩の違う瞳を瞬かせた。
「あ、ベルツ騎兵隊長もご一緒だったのですね。おはようございます」
「ああ、おはよう」
「ビアンカ、こんな早朝にどうした? ゆっくり身体を休めておきなさい」
「いえ、まだ体調に特段変化はありませんので。お弁当を作ってきたのですが、ベルツ隊長もご一緒だったのならもう一つ作ってきます」
「おうおう、ビアンカ。大丈夫、気にするな。俺は非番だしもう帰るからよ」
慌ててビアンカを引き止めたフランクだったが、思考は今し方の二人の会話に及んでいた。
過保護な隊長にしても、今のビアンカへの発言は気になる。それにビアンカもまだ体調に変化はないときたか。ははーん……なるほどね。
「隊長、優秀な副官はつけてくださいよ。それから俺に隊長と同じだけの仕事ができるとは思わんでくださいね」
「なに?」
どういう事だ、とラファエルが聞き返すより早く、フランクは立ち去っていた。
ビアンカは視界の奥で呆気にとられるラファエルと、去り際に愉快そうに口元を曲げたフランクの表情を同時に見た。
会話の流れをイマイチ理解できないビアンカが「ラファエルさま?」と呼びかけ、我に返ったラファエルが「ああ、すまない」と詫びる。そして、口の中で「ふふ、アイツめ」と呟くといつもの優しい笑顔をビアンカに向けた。
「わざわざありがとう。おかげでランチが楽しみになった」
「いえ。私こそ喜んでもらえて嬉しいです」
嬉しそうな顔の理由がランチタイムではない事を知りつつ、ビアンカは微笑んだ。




