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ユグドラシル大陸戦記 天翔る碧眼の竜騎士  作者: 風花 香
第一章 戦乱への序曲

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一 平穏のヴェリア王国

 ヴェリア王国の城下町、出店が立ち並ぶメインストリートを一人のうら若い女性が歩いている。

 絹のように滑らかで艷やかな金髪を肩口まで伸ばし、陽光に晒される肌はきめ細かく白い。高く細い鼻に嫌味のない薄紅色の口唇、そんな美しい顔の中、一層際立つのは左右で虹彩の違う瞳、特にサファイアのように美しく鮮やかな右の碧眼だ。


 手提げ籠を腕に掛け、白のロングスカートを優雅に靡かせる様は貴婦人を思わせるが、こう見えて彼女は超が付くほど優秀な軍人である。


 彼女の名はビアンカ・リーツマン。

 ヴェリア王国が誇る『不敗の第一部隊』に所属する唯一の女性隊員であり、それを率いる隊長、ラファエル・リーツマンの妻でもある。

 夫であるラファエル・リーツマンは長らく戦火の只中にあったヴェリア王国を独裁的な国王から解放に導いた救国の英雄である。その際、王の暗殺を自ら志願し請け負ったのがビアンカだ。

 その後、ヴェリア王国は因縁の隣国、カナン王国と和平の道を辿る事が決まり両国には平穏が訪れた。


 戦時中の殺伐とした雰囲気は微塵も感じられず、町並みを楽しそうに歩く人々を穏やかな微笑みを湛えてビアンカは見つめる。平和を享受する人々の笑顔を眺めることがビアンカは何よりも好きだった。


「らっしゃい! らっしゃい! 今日は魚、魚が安いよぉ! おやぁ、ビアンカさん! 買い物ですかい?」


 威勢のいい呼び込みを行う魚屋の主人がビアンカに気付いて声を掛ける。足を止めたビアンカが慇懃に頭を下げ挨拶をすると、主人は恐縮して仰け反った。


「ちょいとちょいと! 俺なんかにそんな頭下げねえでくださいよ! ヴェリアに平和をもたらした女神様にそんな態度とられちゃ、俺ぁ土下座するしかなくなっちまう」


 その慌てようを見て柔和に微笑み、ビアンカは目を細めた。


「こんにちは。今日も美味しそうなお魚ですね。オススメを二尾選んでもらってもいいですか?」

「あいよっ! へへっ、リーツマン隊長、じゃなくて総督と美味しく召し上がってくださいよ! シンプルに焼いて食うだけでべらぼうに美味えんだ!」


 ビアンカが魚を受け取ると今度は別のお店から声が掛けられる。


「ビアンカさん、ビアンカさん! 新鮮な野菜と果物が入ってるよ! 食卓を彩るのにどうぞうちも利用してくださいよ!」

「ビアンカさん! うちの焼き菓子もオススメだよ。昨日新作ができたばかりなんだ。食後のデザートに是非!」

「ビアンカしゃまぁ〜!」


 人々が次々とビアンカに声を掛ける中、まだ言葉もままならない小さな女の子がビアンカを見つめ上げる。「なあに?」と、優しく微笑むビアンカがしゃがんで視線を同じくすると、パンのように柔らかそうな手に握られた物を女の子は差し出した。


「お花ぁ! ビアンカしゃまにあげる!」


 温かい手に力いっぱい握られて少しばかり萎れてしまっている一輪の花。

 ビアンカはそれをそっと受け取ると「ありがとう」と女の子の頭を撫でた。すると女の子は弾けるような眩い笑顔をビアンカに向けたのだった。


 ビアンカが何よりも守りたい尊さがそこにあった。



 第一部隊が詰める兵舎。そこに隣接する執務室で、ビアンカの夫であるラファエル・リーツマンは頭を抱えていた。


 第一部隊隊長という元の肩書きに加え、今のラファエルは軍事総督というヴェリア王国全軍を統括する重責を担っている。多忙な業務に忙殺されるのも無理からぬこと。

 しかしラファエルが今悩んでいるのは全くの別件であった。その悩みを相談する為に呼んだ第一部隊の騎兵隊長を務める銀髪の美丈夫、フランク・ベルツが呆れたようにため息を吐く。


「まぁたその話ですか? 自分で解決してくださいよ」

「それができれば苦労はないし、恥を忍んでお前に相談したりもしない」

「まあ、それもそうか」


 上司と部下の関係性でありながら、フランクのラファエルに対する態度は親近感に溢れていた。年齢も一周り程も離れているはずだが、二人の間には隊員の壁を超えた特別な信頼関係がある事を伺わせる。


 ラファエルの悩みを聞いたフランクが頬杖を付いたまま適当な相槌を打ち、気怠そうに口を開く。


「そんなのビアンカに除隊してくれって頼めばいいじゃないッスか」

「お前、真面目に相談に乗る気はないな? 私だってそれとなく促してはいる。しかし、有事の際には人々を守る為に戦いたいと言うんだ。人々の笑顔が守られる事がビアンカの願いだと言われては、あまり強くは出られないじゃないか」


 軍部を束ねる者としては威厳に欠ける、どちらかといえば学者のような風貌のラファエルは眼鏡の奥の目を弱気に細め、所々はねた髪をがしがしと掻いた。


「なるほど。じゃあ、無理に除隊させる事もないんじゃないですか? 何事も独り善がりはよくねぇ、相手の気持ちを尊重するのが大事だ。まあ、隊長のビアンカを思い遣る気持ちもわかりますがね」

「カナン王国に対する憎しみが解かれた今、私は彼女にこれ以上戦って欲しくないと思っている」

「今の平和を維持すりゃビアンカが戦う事もありませんよ。ビアンカが軍に在籍していたってそれなら構わないでしょ」


 ビアンカに戦いの宿命を背負わせたのはラファエル自身であるが、彼女が戦うたび、最も心を痛めていたのもラファエルであった。

 頭の後ろで両手を組み背凭れによし掛かるフランク。適当な態度で接しているように見えるが、フランクはラファエルの表情に暗い影が落ちるのを見逃さなかった。


「辛気臭い顔っすね。理由(わけ)ありと見ましたが、世界情勢に何かヤバい事でもあるんすか?」


 フランクの正鵠を得た問い掛けにラファエルは正面の顔を凝視した。表情からは彼特有のおちゃらけが抜け落ち、真剣さを両目に湛えている。

 ラファエルは眼鏡の位置を正すと瞑目し、ため息まじりに口を開いた。


「お前も二年前に起きた帝国の内乱を知っているだろう」

「ああ……帝国が分裂したっつうあの事件な」

「その際に帝国は逆らった周辺諸国を攻撃し制圧した。更には日和見の諸侯も粛清され、独立したシュヴァリック地方を除けば新皇帝のもと盤石な基盤が出来上がっているという。となれば帝国が次に目を向けるのはどこだと思う?」


 話を聞いたフランクは顎に手をやり思考を巡らせる。


「確かに穏やかじゃねえ話だが、帝国が今まで中原に侵略の手を伸ばしたことはねえし、それだけで戦争になるかもっていうのは考え過ぎじゃないっすか?」


 帝国はローデル川を隔てた北の大地、ニヴルヘイム大陸に存在しているのだが、フランクの言う通り三〇〇年以上の長きに渡り、帝国がローデル川を越えて侵略した歴史はない。

 唯一、詳細も伝わらない程の昔に、中原を越えて大陸全土を席巻するほどの大侵攻があったとされるが、結局は本国に撤退したとされる。

 

 確かな事は、その大侵攻の後、ローデル川を隔てて帝国と領土を接する中原諸国は、沿岸部に強固な砦を築き始めた。

 改築に改築を重ねたその城塞群は、国境を隔てて沿岸部全域に跨がるように築かれ、中原諸国は普段は同盟関係になくとも、帝国の脅威に対しては一致団結し戦うという条約を結んだ。


 フランクの楽観的ともとれる発言の根拠は、その強固な城塞と中原諸国の連盟によるところからである。しかし無論ラファエルもその考えには及んでいる。その上で此度は嫌な予感を拭えずにいるのだ。


「もし帝国が攻めてきたならば、ビアンカは我先に戦いに身を投じるだろう。帝国が為す非道をビアンカが許せない事は分かりきっている。だが、もう彼女は十分なはずだ。十分過ぎるほどの血を流し、その手を血に染めてきた。これからの人生は安寧に……」


「何甘っちょろいこと言ってンすか?」先程までより低い声色でラファエルの言葉を遮るフランク。


「確かにビアンカの中にあった復讐心は消えたかもしれねぇ。だけどだからといって、もう戦わないでくれって言うのはお門違いじゃないすかね? 帝国が攻めてきたならビアンカは人々を守る為に剣を振るいますよ。守りたいものの為に戦おうとするのに男も女もない。それなのに戦うなというのは逆に残酷じゃないっすか?」


 フランクの言葉は核心をついていた。それでも尚、戦ってほしくないと思うのはラファエルの都合でしかない。それはわかってる。わかっているのだが。


「それに、ビアンカは可愛いし慎み深くて如何にも守られる側みたいな見た目してますけど、剣の腕はピカイチだ。アレに勝てるやつなんざヴェリア王国に一人……いるかいないか」

「一人いるとしたらそれはお前だろう?」


 気重い表情のまま微笑を浮かべ、ラファエルは顎をしゃくった。それに対してフランクは鼻を鳴らして白い歯を覗かせる。


「おっと、もうこんな時間だ。じゃ、俺は予定があるのでお暇しますよ」

「お前、何も解決案出してないだろ」

「いやいや、出してますって。何事も独り善がりはよくねぇって言ってるでしょ?」

「適当なことを……予定などと言って、行くのはどうせ妓館(ぎかん)だろう」

「どうせは余計だけど当たりだ。(ひめ)たちに寂しい思いをさせるのは、俺の正義に反するからな」

「あぁ、もういいから行け。お前の台詞を聞いていると胸焼けがする」

「へへ、今回の相談料は今度一杯奢るってことでいいですよ。それじゃ!」


 フランクは軽快な足取りで執務室を後にした。

 一人執務室に残されたラファエルは背凭れによし掛かり、一つ大きく息を吐く。

 解決案は見いだせないが、フランクの言うとおり、ビアンカの意思を尊重する事が、夫である自分にできる最大の寄り添いなのかもしれない。


 ラファエルは納得するように頷くと、愛する妻の待つ家路についた。

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