十八 不穏なカナン王国
カナンへの旅支度を整えたラファエルは、ローデル川を左手に臨みながら東方街道を進んでいた。
伴の者には第一部隊から、剛の者として名高いローレン・アードラーをはじめ、スルーシー・オーウェンなど、腕利きの者を十人。因みにローレンはグフタスの養子だ。
ラファエルはローデル川沿岸に建ち並ぶ強固な砦群を眺め、その遥か奥に見える大陸を見据え思考に耽る。
中原への侵攻を企てる魔導帝国マナリアは世界一の軍事力を誇るだけに留まらず、潤沢な資金と資源をも有する。
更には他国の追随を許さない魔道力に至っては最早マナリアの専売特許ともいえる独自の技術だ。この難敵に独力で立ち向かい打ち負かす事は、ユグドラシル大陸全土を見渡してみても可能な国は只の一つもないだろう。
それでもラファエルは悲観していない。確かにマナリアはあまりにも強大な相手だが、こちらには如何な大軍が押し寄せようとも跳ね返せる鉄壁の防御がある。
それこそがこのローデル川沿岸に建ち並ぶ城塞。改築改修を幾百年に渡り重ねてきた河川防塞群だ。
大軍が全く意味を成さないこの防御壁は、ヴェリア王国からカナン王国に至る沿岸部全域に渡り存在する。故にヴェリアとカナンが共同戦線を以って沿岸部を守り、残る中原三カ国が後詰めとして控えれば、まず突破される事はない。長期戦となっても肥沃な穀倉地帯が広がる中原は兵糧にも困らないだろう。帝国が如何に強大でも中原侵略はそう簡単ではない。
とはいえこの防衛戦略を実現するには中原諸国による確固たる信頼関係を構築する事、その上で高度な連携が必要となる。
現状、中原各国はマナリアの脅威に晒され危険を共有する同士ではあるが、味方かと聞かれれば話はそう単純ではない。
影者による襲撃が、各国に大きな衝撃を与えた事は想像に難くない。超大国であるマナリアに狙われているという事実は、間違いなく大きな重圧となるだろう。そうしてマナリアは弱腰になった国を懐柔し、籠絡する策を仕掛けてくるとラファエルは睨んでいた。
それにより一国でも崩され、背後に敵が存在する事態になれば、中原が蹂躙されるのは火を見るよりも明らかだ。そうならない為には、マナリアの武力に対抗し得る力がある事を中元諸国に示す事が重要であり、その役割を担うのが、マナリアと河川を挟んで国境を接するヴェリア王国とカナン王国というわけだ。
今回訪問の目的はマナリアに対する共同戦線を申し込み、友である国王ジークフリート、そして王弟元帥レオンと防衛戦略を練り込むことにある。
ラファエルは二人との対談を想定しながら、馬上にて緩やかな風に扇がれていた。
三日の旅程を経て、ラファエルはカナン領西端の関所に辿り着いた。中隊規模の兵士達が厳戒態勢を敷いているのが見て取れる。
同盟国のヴェリアとを結ぶ関所にすらこれだけの警戒網。カナン王国にも件の影者が潜入した証だろう。
ラファエルの一隊を認めた兵士数人が、隊伍を組み槍を構え近づいて来る。その態度はもちろん、それぞれの目にも明らかな敵意と警戒心が窺えた。
「止まられよ。其の方ら、何者か?」まだ若い、伍長と思しき兵士がラファエル一行を止める。
「若き兵よ。無知では許されぬ事象もある。速やかにその無礼を正せ」ずいっと一歩前に出たローレンが、額に青筋を浮かべ威圧する。ラファエルはローレンを制した。
「よせ、ローレン。突然の来訪失礼した。私はヴェリア王国の軍事総督、ラファエル・リーツマンだ。君の上官に話を通してくれないか?」
「ラファエル・リーツマン……し、しかし、それを鵜呑みにしてここを通すわけには」
狼狽えながらも槍を下ろさないその態度に、短気なローレンの怒りが増幅する。その胸元が大きく膨らんだ。
「童ぁ!! とっととその槍を下ろせッ! さもなくば腕を圧し折って下ろさせてやるぞ!」
「何事か」
騒ぎに気付いたらしい、精悍且つ威厳を纏った男がラファエル達の元へやって来る。ラファエルは改めて名乗ろうと男の顔を見たが、その顔を見て驚く。
「これは……バール卿、カナン王国の筆頭将軍たる貴方が、何故このような辺境に」
「まさか、リーツマン閣下か。部下が失礼致した。非礼をお詫びする」
「いや、それは全く構わないが」
「お互い、止む事なき理由を抱えて、といったところですな。直ぐに王都に書簡を飛ばします故、狭い所ですがどうぞ寛いで下され」
バールは入国の許可を求める旨の書簡を認めると、指笛を鳴らし鷹を招き寄せる。そして、その脚に結び付けると「王都へ!」と声高に叫び、鷹を天空へと放った。
◇
数刻後、王都からの書簡を携えた鷹が舞い戻った。本来であれば、王都との往復には四日の時を要する。
「実に見事な伝鷹術だ。情報量に限りがあるとはいえ、この速達性は素晴らしいですな」ラファエルは素直に感嘆の声を漏らす。
「陛下は放鷹術が得意でしてな。陛下の育てた鷹なればこその芸当です」哀愁を漂わせ、バールは薄く笑った。
「いつかヴェリアとカナンの空を繋ぐ日が来ると良いですな」
「えぇ……そうですな。閣下、どうやら王都へ閣下が向かう必要は無いようです」書簡に目を通したバールが淡々と告げる。
「それは、入国を許されなかったという事でしょうか?」
「いえ、こちらにレオン元帥がお越しになられます」
「レオン……元帥が?」
バールの暗い表情と歯切れの悪さ、それに加えて王弟元帥自らがこの辺境に赴くという不思議。ラファエルは一つの懸念を抱く。それが現実に起きていない事を祈りつつ、ラファエルは友の到着を待つのだった。




