十五 師との決別
それは反マナリア包囲網の呼び掛けに呼応した諸侯を制圧し、降伏した兵士達の処遇を申し伝えられた時のことだ。
「アナ様!」
プリスカは憤りを隠そうともせず、アナスタシアの篭もる執務室の扉を盛大に開け放った。
「あらあら、プリスカ。名前負けしないくらいプリプリ怒ってどうしたの?」
いつもの飄々とした態度。しかし今はそれがプリスカの怒りに拍車をかけた。
机に両手を思い切り叩き付けてアナスタシアに迫る。
「アナ様も知っているんでしょ!? 皇帝陛下が降伏した者全員を処刑しろと仰ったこと! そんな人道に反する真似が許されるはずがない!」
プリスカはこの怒りを共有できるものと思ってアナスタシアの元へやってきたのだ。しかし。
「落ち着いて、プリスカ。マナリアに抗戦の意志を示したのだから仕方ないわ。各国への見せしめの為にも、粛清は必要よ」
「アナ様、何を言って……。そうなるように仕向けたのはこの国でしょ!? じゃなかったらあんなに急に攻撃なんかできない。予め攻める準備をしてた証拠じゃない!」
プリスカは肩で息をしながらアナスタシアを睨み付けた。
「それに前皇帝の死だってネフェリシス様が怪しいわ。病気による急死なんて言っといて本当は暗殺を仕向けたのが……」
「プリスカ!」声を顰めながらも鋭い口調でプリスカの続く言葉を遮る。
「滅多な事を言うものじゃないわ。どこに影者が潜んでいるのかもしれないのよ」
その言葉にプリスカは嘲笑を以て返す。
「何よ、結局アナ様だって皇帝を信用してないってことじゃない。私達に下された命令を分かってるんでしょ? 火炎魔法を用いて捕虜を全員火炙りにしろと言ったのよ!? 私達の魔法を虐殺の為に使役しろと!」
「もちろん知っているし実行するわ。争いの無い世界を実現する為なら、払わなくてはならない犠牲もある」
「違うでしょ! ネフェリシス皇帝のやり方で争いなんて無くならない! 更なる混沌を生むだけだってアナ様は分かってるはずでしょ!」
アナスタシアの目が釣り上がりプリスカを睨む。
昔、プリスカが悪さをした時に叱るとき見せたその厳しい視線。その顔を何故今するの? と、プリスカは狼狽えた。
「綺麗事だけで世界は救えない。プリスカ、あなたももう子どもじゃないんだから分かるわよね?」
プリスカは両手をぎゅっと強く握り締めた。爪が肉に食い込み、血が滲んでも構うこともなく。
「やめてよ、アナ様……。たとえ綺麗事だとしても、絵空事だとしても、それを言う人さえいなくなっちゃったら、世界から悲しみなんて無くならないよ。『弱い人を助ける為に魔法を使いなさい』って、私に説いてくれたアナ様がそれを否定しないでよ!」
一瞬打ちのめされたように表情を歪めたアナスタシア。俯いたその肩がふるふると揺れた。
「ふ、ふふふっ……いつまでもそんな言葉を信じて、バカね」
「アナ……様?」
狂気に歪んだアナスタシアの表情。そんな顔をプリスカはただの一度も見たことがなかった。アナスタシアに悪魔が憑依してしまったのではとすら錯覚した。
「本来魔法は人を効率的に殺す為の力。戦争で使役するのが正しい使い道。それにね」アナスタシアの口角がぐにゃりと歪曲した。
「快感なのよ。圧倒的な力を以って弱者を屠るのって。それが平和に仇なす者達なら尚更だわ。私は今世界を平和に導いてるって実感できるのよ!」
最早目の前の人物は敬愛するアナスタシアではなくなっていた。邪悪に笑う顔は醜い魔女そのものであり、余りの変貌にプリスカは目眩すら覚える。
しかし、意識を保つのに一役買ったのは怒り。今まで心から信頼し尊敬し、本当の家族同然に愛した人からの裏切りは、絶望すら燃やし尽くす途方もない怒りの感情をプリスカの中に呼び起こした。
「さない……」俯いて呟くプリスカ。
次の瞬間、弾かれたようにプリスカは顔を上げた。大きな瞳からは涙が溢れ落ち、口からは怒号を叫んだ。
「アナスタシア、あなたは絶対に許さないッ!!」
プリスカの両手に魔力の源たる『マナ』が集束していく。それはプリスカの詠唱により炎へと変じた。
「愚かね。あなたが私に勝てると思って?」
プリスカの両手から放たれた火炎はアナスタシアの掌に吸い込まれるように収束し消滅してしまう。
「私の言葉を鵜呑みにしたあなたは弱者を救う為と回復魔法ばかりを習得していたわね。だけど、プリスカ。そうする事が平和への最善なのだとしたら、なんで私が攻撃魔法を極めた最強の魔道士と呼ばれていると思う?」
問いながらアナスタシアの両手に紅蓮の炎が猛る。構えこそ今しがたのプリスカと同じだが、その火力は雲泥の差だった。
悦に歪んだ狂気に染まりきった顔で、アナスタシアは声高に叫ぶ。
「私の目指すものがそこにはないからよ! この世界には魔法で救うべき人間より淘汰すべき人間が多すぎる! 世界の掃き溜めを排除し、選ばれた人間だけの世界を創造する事が私の望み!」
「くっ!」
防げない。絶対的な死が目の前に迫っているのをプリスカは認識すると、思わず腰が砕けた。
「さようなら、プリスカ」
コンコン。
正に九死に一生。執務室の扉をノックする音に、アナスタシアは動きを止めた。
「アナスタシア様、処刑の準備が整いました。刑の執行をお願いします」
「直ぐに行くわ。魔術部隊を招集しておいてくださる?」
「かしこまりました」
部屋の前から去っていく気配。
アナスタシアは見下すようにプリスカに冷たい視線を突き刺す。
「消えなさい、この国から。そして次はないわ。殺されたくなかったら二度と私の前に現れないことね」
それが最後の情けとでも言うのだろうか。へたり込むプリスカの脇を通り抜け、アナスタシアは去っていってしまったのだった。




