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時の岸辺のシャノアール

作者: 長尾衣里子

「年下の恋人ができたの」

 ときめいている凪子(なぎこ)。凪子の恋人はぬこだ。ぬこは沖縄出身の恋人につけたあだ名。沖縄では、猫のことを「ぬこ」と呼ぶそうだ。

 ぬこは猫と小型犬をかっていた。目の中に入れても痛くないかわいがりっぷり。

「こんな風に小っちゃくて、かわいい女の子がタイプなのだろうな」

 ためいきの凪子。なぜなら、凪子の背はぬこと変わらない。どう考えても大型犬だ。

「わたしのどこがいいの?」

 一度、たずねてみたことがある。

「寛容なところ」

 ぬこはこたえた。

「わたしが寛容? やきもち焼きなのに」

 凪子は首をかしげる。おっとりしてるから、そう見えるのかしら。

「海のように、深く愛そう」

 このとき、心した。


 ぬこの仕事は体力勝負だ。睡眠不足は命とり。

「熟睡したいから」

 夜は寝室から閉めだされた。慣れっこなのか、猫のほうがききわけがいい。

「ニャーニャー」

 猫をまねて呼んでみる。扉は閉ざされたまま。

「アオーン」

 どこからか、猫の遠ぼえがした。窓の外、満月がうつくしかった。


 そんなふたりの楽しみは天体観測デート。

「プレアデス散開星団<すばる>を撮ろう」

「土星の環っかを撮ろう」

 星空散歩の気分ではしゃぐ。だが、ふたりともファインダーごしより、ぼーっと凍てつく星々を眺めているほうが好きだった。南国育ちで寒がりなふたり。凪子がホットミルクのボトルをさしだす。ぬこはカフェインがダメなのは承知の上だ。しかも、猫舌なのでフーフーして飲む。月のない絶好の星見日和。テントも立てず、寝袋にくるまる。真夜中にめざめると、目の前には満天の星。隣には丸まるぬこ。凪子はほほえみ、目を閉じた。

 初デートを思い出す。凪子からジブリパークへ誘った。ディズニーランドでも、USJでもよかった。だが、ぬこは絶叫系がダメ。メリーゴーランドでも気分悪くなる。それなら、歩いて楽しむジブリがいい。何より愛知万博跡地に造られたジブリパークは、凪子の地元だ。遠距離で望み薄かと思われた。けれど、凪子は見逃さなかった。ぬこのリュックに下がった黒猫ジジを。「魔女の宅急便」がお気に入りなのね。凪子はぬこのジブリ好きに賭けた。

 作戦成功。人ごみで手をつなげるかと胸が高鳴る。しかし、ぬこは照れたように石畳の「魔女の谷」を進んでいく。

「おなかすいた。グーチョキパン店に寄ろうよ」

「……………」

「くつずれが痛いから、ネコバスで行こう」

「……………」

 いくら声をかけても、かまわずスタスタ。後で聞いたら緊張していたらしい。散々だった初デート。それもなつかしい思い出だ。


 口げんかは少ない。だが、問いつめられると、ぬこは憎まれ口をたたく。かと思うと、凪子のひざにゴロンとひざ枕。凪子はツンデレなぬこの黒髪をなでた。


 凪子はサイエンスライターだ。休日も情報収集に余念がない。パソコンに向かう凪子に、ぬこがバックハグ。かまって~といわんばかりに邪魔しに来る。

「キーボードの上で寝そべる猫よりマシかしら」

 苦笑いの凪子。

「すぐ終わるから」

 そう言う凪子のうなじにキス。

「もうすこし待って」

 猫ジャラシ代わりに、ぬこの手を胸にもっていった。おとなしく待つぬこ。それも、五分ともたなかった。ぬこの手がだんだん大胆にまさぐりはじめる。やがて、胸のボタンをはずしにかかる。大きな手が入ってきた。キーボードをたたく凪子の手が、たまらず止まった。目を閉じ、深く吐息をもらす。あらがいがたい誘惑。パソコンのシャットダウンもせず、凪子はぬこに身をまかせた。首すじを下りてゆくぬこのくちびる。胸にうずめた頭を抱き、くしゃくしゃにする凪子の指。そして、重なりあうふたり。傾く夕陽に染まる。甘美に、とけてゆくようだった。


                  ※


 三月から、ぬこの全国行脚(ぜんこくあんぎゃ)が始まる。猫たちと留守番の日々。だが、ゴールデンウィーク明けの沖縄出張はゆずれなかった。

「わたしも行ってみようかしら」

 凪子は沖縄に行ったことがない。前々から関心はあった。「琉球列島の成立ち」というシンポジウムにも参加。氷河期に沖縄本島と宮古島が陸続きだった説に興味をもつ。いかにも、サイエンスライターらしい。

 ただ今回、沖縄行きに踏み切ったのは、恋人の生まれ故郷が見たいだけだった。さんぴん茶を飲み、ちんすこうをつまみ、ポー玉にぎりを頬ばって、ゴーヤチャンプルでも食べれば、それでいい。

 五月、那覇空港に降り立つ。まぶしい太陽。青い珊瑚礁の海。色鮮やかなハイビスカス。すべてが目新しい沖縄なのに、不思議となつかしい風が吹いた。

 たまたまホテルの前から、ぬこの母校までバスが出ていた。レストランもない安宿。どうせランチに出かけるなら、母校近くで食べようか。スマホでググって翌日の計画をねる。夜はふけゆく。

 翌朝。三〇分ほど、バスに揺られる。

「この学校に、ぬこは通っていたのね」

 感極まって、校門の写真をパチリ。貧しい家庭で育ったと話していたぬこ。一方、お嬢様育ちの凪子。ピアノにエレクトーン。欲しい物は何でも手に入った。だが、ぬこのように、毎晩、抱きしめて眠るほどの宝物は持ちあわせてなかった。それが安物だろうと、ぬこのほうが満ちたりていたのじゃないかしら、心の中は……。そんな気がした。

 裕福になった現在でも、ぬこは物を大切にする。チャリティー活動にも積極的だ。そんな所を尊敬していた。かといって、なぜ好きかと聞かれたら、わからない。年が離れすぎている。まともに考えれば、常識はずれの恋。「頭を冷やせ」と言い聞かせる。だが、理性のブレーキはきかない。ラインの返事が来なければ泣きそうになる。わがままを言って困らせる。精神年齢は同じくらいだろう。


                  ※


 出張ラッシュが落ちついたころ、ぬこの様子がおかしい。かずの寝室から、うめき声が聞こえる。

「どうしたの、ぬこ。だいじょうぶ?」

 ノックしても返事がない。合鍵をさがして入った。ぬこの姿はない。黒猫が一匹いるだけ。窓は閉ざされている。

「どこから入ったの?」

 黒猫に話しかける凪子。

「ぬこがつれてきたのかしら。それにしても、幼いころ助けてくれた猫そっくり」

 よく見ると、シーツが血で汚れている。

「ひどい傷だわ」

 凪子は黒猫のちぎれかけた左耳を手当てをした。

「明日、動物病院につれてくね」

 翌朝になると、黒猫の姿は消えていた。ぬこも帰ってこない。どちらの身も案じられた。


 二週間後、ぬこはふらっと帰ってきた。ぬこの左耳にも傷跡があった。

「その傷、どうしたの? 心配したのよ」

 凪子はそっと、傷跡にふれた。

「思いきって言うよ。オレ、ぬこなんだ」

「わかってるわよ」

「そうじゃなくて。満月の夜のほかは人間の姿してるけど、ほんとは黒猫なんだ」

 きょとんとする凪子。

「魔法猫チェシャーキャットにかまれてから、人間の姿でいられる時間が短くなってきた」

「悪いジョークはやめて」

 出て行こうとするぬこ。

「待って。どこに行くの?」

 凪子は追いすがる。

「ただの猫にもどっちまえば、もう会話もできない。その前に姿を消すよ」

 ぬこはそっと、凪子の涙をぬぐう。

「行かないで。猫でもかまわない。あなたを愛してる」

 凪子はぬこを抱きしめた。


 それから時が過ぎ―ー凪子のそばには、片時も離れない黒猫の姿があった。チェシャーキャットにかまれてから、不死身となった黒猫。凪子が生涯を終えるまで、ずっと寄りそい続ける。

「人生の最果てに、こんなハッピーエンドが待っているなんて。あなたに会えて幸せだったわ。これからは自分の人生を生きて」

 白髪の凪子。息を引きとる間ぎわまで黒猫をなでる。うれし涙とも知らず、黒猫はぬれた頬をなめる。しわだらけの口元がほほえんだ。(つい)の息ひとつ。

 悲しげな咆哮(ほうこう)が響きわたる。凪子の最期をみとった黒猫。墓まで寄りそってから、人知れず姿を消す。

 そして、時をかける黒猫(シャノアール)となった。


後日談―ー時の岸辺をゆくシャノアール。かつて、沖縄まで飛んで自分の母校を訪ねた凪子を思い、くりかえし恋人の少女時代を訪れる。幼いころ、凪子は獰猛な犬に襲われかけたことがあった。突然、躍り出た一匹の黒猫! 勇敢に立ち向かい、自分より数倍大きな犬を追っぱらった。九死に一生をえた幼い凪子。そのときの黒猫にも、左耳に傷跡があった。

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