領天の領内
世界や用語の説明が極端に少ないですが、雰囲気でお読みください。
空が雨模様を呈しているのは解っていた。
降りだす前に下山するのが最善なことも。
それでも、久方ぶりに見つけた丸々と太った山桃に浮かれて、あと少しもう少しと留まってしまったのはツーイーリンだ。
「欲望に負けた……」
両手一杯の山桃に、いやそれでも後悔は無い! とキッと空を見上げる。だってこんなに大粒で紅く熟れた実なのだ。いま採らずにどうするというのだ。
結果が一寸先も真っ白な煙雨の山の中だとしても。
雨足が強くなり、咄嗟に身を寄せた崖下は、少しばかり雨を凌がせてくれたが、それも段々と厳しくなってきた。
すでに足元は跳ね返る雨粒でびしゃびしゃだ。体温が濡れた下衣に吸い取られ、ツーイーリンはぶるりと震えた。
「このままここで、夜を明かすのはゾッとしないな」
腰も下ろすことの出来ないこの場所で、一晩中立って過ごすというのは、考えるだけでも疲れることだった。
かといって、妙案も浮かばない。
万事休す。長いため息をついたところ、
「オイ」
ぬっと黒い腕が背後から伸びた。
太くみっしりと筋肉の張り詰めた腕は、ツーイーリンの両手の中の山桃を摘まむ。
「あ、こら!! 」
後ろを見上げると、つるりとした呂色の瞳にツーイーリンの乳白色が映っているのが見える。
縁取る濡れ羽色の睫毛は、いまは薄暗さで漆黒に重く、億劫そうにしばたいた。
ツーイーリンの影から、恐ろしく整った顔立ちの男がにょきりとその身を現す。
摘み上げた紅い実が、男の肉厚な唇に消えていった。
「こらシガン!! こんなところで出てくるんじゃない。狭いんだから!」
「うるせーテメェ。食い意地に負けてんじゃねぇよ」
ニ、三咀嚼して、シガンは「不味い」べっと種を吐き出した。
「こんな木屑くせえもんに浮かれやがって」
「木屑くさくない! 山の貴重な甘味だぞ。このクセのあるところが良いんじゃないか。だいたい君は」
「あー、うるせぇうるせぇ。言いてぇことはそれか。今の状況に言うことはねーのかよ」
「う、それは、その……」
そう、山桃を味わうのは濡れることなくゆっくりと寛げる場所でが相応しい。
本来ならばそうなっているはずであった。
ツーイーリンが欲張らなければ。
「スミマセン……。欲を掻きました……」
ニ三粒もいで満足して去っていれば、今ごろはどこか人里の宿で一息着いていたはずだ。
しゅんと項垂れるツーイーリンを横目で見たシガンは、仕方ないと言うふうに鼻から息を抜いた。
ツーイーリンを背後からグイと抱き寄せると、その肩に顎を乗せて空を睨む。
「明日まで止まねぇ。雨龍が踊ってやがる」
シガンがぐいと顎で示す方に目を凝らせば、ツーイーリンにも雨雲の隙間にキラリと光るものが見えた。
「あ、ほんとだ。すごく楽しそうだ。二頭見えるね。僕単体じゃない龍は初めて見るよ。他にも居るのかな。群れなのかい」
悲しそうに伏せられていた檳榔子黒の瞳がパァッと輝いて青みを増した。現金な奴とシガンが笑う。
「群れじゃねぇよ、番だぜ。今の時期は雨龍の繁殖期じゃねぇか」
「はんしょくき? 」
へえ、それは知らなかったとツーイーリンは素直に述べた。
そもそも領界な生き物である龍の生態は、知られていないことの方が多い。他よりも領界と接することの多い護領官ではあるが、かといってツーイーリンが領界獣に詳しいかは別の話だ。ツーイーリンの仕事は領域結界の監視と保持補修である。
領界獣の種類や出現地点に詳しくなっても、その生態までは考えたことは無かった。
「雨が多い地方だから、雨龍も好むのかな」
ツーイーリンが何の気なしに思ったことを言えば、呆れた色でシガンに見られた。ちょっと怯む。
「何だよ……」
「アイツらの繁殖地だから雨になんだぜ」
「えっ? あっ。逆なのか……。てことは、梅雨って雨龍の繁殖期だから雨が続くのか!!」
「おお。よく気がついたな」
「まあこれくらいって、君バカにさてるだろう!!」
ニヤニヤと笑いを噛み殺しているシガンに気づいて、ツーイーリンは目元を赤くした。
「もういい。君、引っ込め!! 狭いんだよ、濡れるだろ」
もうほとんど全身濡れているようなものだが、照れも手伝ってツーイーリンはシガンを影に押し込めようとぐいぐい押し返した。
このずば抜けて体格の良い男が邪魔だ。加えてツーイーリンも小柄なわけではない。
幅のほとんど無い崖の庇が、二人を守るには役不足も良いところだった。
だいたいツーイーリンの影に引っ込んでいれば、シガンが濡れることは無いのだから引っ込んでいれば良いものを。
ツーイーリンの言い種に、シガンは片眉を吊り上げた。実に皮肉げな表情となる。それを器用だなと眺めていたツーイーリンは、ぼそりと吐かれた言葉を聞き逃した。
「テメェの番をほっぽっておくわけねえだろ……」
「え? 何だって?」
「この上に雨宿り出来そうなマキの木があるとよ。ここよりかマシだろ。行くぜ」
「え、行くって、うわっ」
ツーイーリンを己の上着の中に抱き込んだシガンは、その長身に見合った長い腕を崖の上に伸ばし、腕一本で自身とツーイーリンを引き上げた。その膂力を目の当たりにする者が居れば、人間業ではないと戦くだろう。
「シガン! 君が濡れてしまう」
包まれた上着越しに雨音が大きく聞こえて、ツーイーリンは慌てた。薄い中衣越しの体温も落ち着かなくて、腕を突っ張る。
「ちぃっと黙ってろ」
ツーイーリンは膝裏を掬われるようにして、シガンの片腕に腰かけるように抱えられた。思わず「ひえぇ」と声をあげる。
「しがみつけ」
その一言の後、シガンはものすごい速さで走り出した。
「えええええええ?????」
崖の上は森であったはずだ。と、すれば、木が生い茂っているはずだ。こんな真っ直ぐ走るような速度か出せるはずが無い。無いったら無い。
シガンの上着に包まれ、その鎖骨辺りに額を押し付けしがみついているツーイーリンには見えるはずもなかった。
木々や草が自ら避けるようにして真っ直ぐな道を作り出していることを。まるでシガンの邪魔をしないようにと。
「おい、着いたぞ」
身体に掛かる圧が消えたと気付き、ツーイーリンは詰めていた息を吐いた。
「着いたって……」
そろ、とシガンの上着から顔を出せば、見事な太さの木の幹が目にはいった。白い筋の浮き上がる幹は、硬く歳経ていそうだった。
上の方へと視線をやれば、どこまでも高い。幾重にも張りでた枝が遠い。広く長く張った枝は地面近くまで垂れ下がり、まるで天幕の様を成していた。
「すごい」
巨木の存在感にツーイーリンは息を飲んだ。すごい。それしかでてこない。
上の方で折り重なっている枝と、繁る葉のお陰か、この木の下には雨が落ちてこない。
サーサーと音だけが、雨を伝えてくる。
そっと地面に下ろされたことにも気付かずに、ツーイーリンはぽかんと古木を見上げていた。
「すごい。こんな大木見たこと無いよ……」
そっと木肌に触れれば、温かいような気もした。
「すみません。雨が止むまで軒をお借りします」
なんとなく一言断った方が良い気がして、そう声をかける。
サワ……と空気が揺れたような感じがした。
「ねえ、シガン。よくこんな素晴らしい木を知ってたね」
笑顔をシガンに向けると、ビシャッと冷たいものが飛んできた。
「うわっ、ちょっと君、どういうつもりだーー!!」
ブルルルッ
シガンが頭を振って、犬みたいに水気を飛ばしていた。
それをツーイーリンのすぐ隣でやってくれたものだから、せっかくシガンの上着に守られていたツーイーリンも、同じぐらいずぶ濡れになってしまった。
シガンは悪びれた様子もなく、フンと息巻いて鬱陶しそうに髪をかき揚げている。秀でた額が晒され、濃く形の良い眉がくっくっと上下した。
何となくバカにされてる気がすると、ツーイーリンは奥歯を鳴らしてカチカチ抗議しておく。
「あーもうずぶ濡れだ。君、何がしたいんだい……」
ツーイーリンが濡れぬように気を遣って運んでくれたと思いきや、ここに来て台無しである。
「とっとと体拭け」
「もっと他に言うことありますよねシガン」
「脱がすぞ」
「わあっ!! いいよっ。自分でやりますっ」
伸びてきたシガンの手を、身をよじって躱し、ツーイーリンは上着に手を掛けた。じっとりと湿っている布は、体に張り付いて脱ぎにくい。
もたもたと手間取っているうちに、シガンがツーイーリンの荷をあさって綿布と撥水加工の天幕布を取り出す。
五徳や携帯薬缶、水玉なども手早く取り出し並べ終えると、綿布を広げてツーイーリンに近づいてきた。
何とか上着を脱ぎ終えたツーイーリンは「君が先に使うといい」と、
今度は中衣と格闘する。薄い分、肌に張り付いてさらに脱ぎにくい。
「チッ」
「舌打ちとはずいぶんだな」
そんな反応されるいわれはないぞとシガンを睨めば、そちらはもっと苦虫でも噛み潰したように顔を歪めて睥睨してくる。
「いいから全部脱いで来い」
唸り声のような低い声で命じられる。
「君は頭がどうかしたのか。こんな山中で全裸とか無い、」
「いいから、ぜんぶ、ぬいで、来い」
「横暴だ……」
抗うのも面倒になったツーイーリンは、納得がいかぬと顔をしかめながらも、中衣を脱ぎ終えた。それから下衣に手を掛け、チラリとシガンを伺い見た。男同士とはいえ、自分一人だけが真っ裸というのも恥ずかしいのたが。
シガンは布を顔辺りまで持ち上げて待っている。
一応、見ないようにしてくれている配慮に、照れ臭さが湧いてきて、ツーイーリンは何だよとかもごもごしながら全ての衣を脱ぎ去った。
深足袋も脱いで、裸足で立つ。足の裏がひんやりとして、寒さに全身が粟立った。震えながら、シガンの広げる綿布に飛び込む。
ツーイーリンの冷えた身体を抱き留めたシガンは、布でその身体をしっかりと包み込むと、ぐるっと巻き上げた。
足の爪先までくるんでしまうと、窪みのある木の根の辺りにそっと下ろす。
「火を興すまでそこに居ろ」
「こんな木の近くで大丈夫かい」
山中で火を焚くのならば、開けたところでやるものだ。
いくら雨で湿気っているとしても、こんな木の枝に囲まれたところでやるものでは無い。
「話は着けてある」
「誰と、何の?」
シガンは枝天幕が薄くなって隙間がある所の地面を浅く掘り、穴の回りにいくつかの石を並べた。
「石なんて、いつ拾ってきてたんだい」
「運ばせた」
布の中でもぞもぞしながらも、興味深く見てくるツーイーリンをあしらいながら、シガンは着々と火起こしをして行く。
乾いたマキの木の落葉を穴に敷き、その上に松かさを置き、乾いた枝を組む。
「そんな乾いた枝なんてよくあったね」
「運ばせた」
適当な松葉をまとめて、理を開いて火を招いた。松葉に火がつく。それを松かさの上に突っ込んで、火が移ったのを見てから今度は風を招いた。細く静かに風を送り込むと、松かさが勢いよく燃え出した。
枝に火が移り、パチパチと爆ぜる音がしだす。
白い煙がもうもうと上がり、やがて抑えられ、火が煌々と焚きあがった。
焚き火の前に撥水布を敷き、四隅を石で固定してシガンは満足げに頷いた。
ぬしぬしとツーイーリンに近づき、ひょいと抱き上げる。
そしてぬしぬしと火の元へと抱えて運んだ。
「うう、あったかい……。シガン、ありがとう」
「おう」
この際、シガンの膝の上に抱えられたままなのは無視しようとツーイーリンは思った。
かように火の暖かさは偉大だ。
しばらくパチパチと爆ぜる火を眺めているうちに、ツーイーリンの寒さで強ばった身体もほぐれ、細かな震えも止まった。
このまま寝てしまいたい、という誘惑が身体の奥から忍び寄ってくるが、真っ裸で男の膝の上ではそれは出来ない。せめて濡れた服を乾かさなくては。
ツーイーリンの脱いだ服は一式、シガンが焚き火の近くの枝に掛けておいてくれている。
理を開いて風を招けば、もっと早く乾かせるはずだ。
立ち上がろうと、もぞついていると
「おらよ」
口元にヒヤリとしたものを当てられた。
何だ。
シガンが差し出したのは、ツーイーリンがこだわった山桃の実だった。いつの間にかツーイーリンの手から無くなっていたのにも気がつかなかったが、シガンが持っていてくれたらしい。
布の隙間から手を出そうとしたが、それは押さえられ、ぐにと実が唇に押し付けられる。
このまま食べろということらしい。
時々シガンはこういうことをしてくる。そういうときは頑固だ。
ツーイーリンは諦めて口を開いた。
指ごと山桃を押し込まれる。ちゅ、と音を残して指が離れた。指の腹が紅く染まっている。
山桃の繊維質な実を、歯でこそげとるようにして食む。
甘酸っぱい果汁が広がる。その奥に、さっきシガンが不味いと唸った木の渋みのような味がある。
ツーイーリンとしては、これが美味しさの一部なのにと思う。万人の口に合うように均された果実とは違うこのクセが、
「もご」
種をどうしようかと思案していると、シガンの指が口元に添えられた。戸惑っていると、くっと唇を割られる。
出せということらしい。
軽く口を開くと、指が口内に入ってきて、種を摘み取っていった。
次の実が口に当てられる。
そうやって十粒ほど山桃を食べた。
辺りはいつの間にか、完全な闇に覆われていた。明々とした炎の先に、キラキラ火の粉が舞い上がる。
不思議なことに、煙は一度もこちらに向かない。
枝の天幕の向こうでは、未だに強く雨の音がする。
「あの番は、まだ踊っているんでしょうか……」
瞼を落とし掛けながら、ツーイーリンは雲の中をうねる二頭の鱗を思い出していた。艶々の鱗は、鏡面のように世界を写し反射させていた。龍とはあんなに美しかったんだなぁと、微睡み微笑む。
シガンの指が、スリ……と唇を擦った。
熱いな。すごく熱い。シガン、君熱があるのでは?
そう聞こうとするが、眠くて眠くて身体を動かせない。
チュプ。シガンの指が口の中に潜り込んでくる。
ん、君、止めなさい。寝ぼけて噛んでしまうかも……
舌で押し返そうとする。きゅ。二本の指で舌を捕まえられた。
「んふぅ」
苦しいと息で訴えると、密かに笑う気配がした。指は舌を離れ、代わりのように唇を何度もなぞられる。
もぞもぞする。
ねえ、君。それくすぐったい。眠いので止めてもらえますかね……。
止まる気配の無い指を指で食むと、むいっと下唇を捻られた。
もう。僕は眠いんですって、ば……。
スゥー。
規則正しい寝息が聞こえてきて、シガンは口許を緩めた。
ツーイーリンは眠ったらしい。
離しがたくてまだ唇を弄んでいると、「んん~」と眉をしかめられた。
鼻の頭に口付けて、ツーイーリンが眠りやすいように抱え直す。
領外に居るシガンに眠りは必要ない。
ツーイーリンが目を覚ますまで、シガンにとっては瞬きにも満たない時間だが、それでも長い。
だがこうやってツーイーリンが手の中に居るのは気分が良い。
「まぁたこりゃ、おまえの好みドンピシャな子じゃないのォ」
シガンの眉間に、渓谷もかくやという深い皺が出現した。
舌打ちをして、不快を表す。
「誰が見て良いと言った、ジジイ」
「お~怖」
いつの間にか背後を取っていた男に、シガンは怒気を向ける。
「酷い孫だね~。番が風邪ひきそうだっつーてピリピリしてるから、避難場所を提供してやったお祖父ちゃんにその言い草っ」
ワシ傷ついちゃう、と拳を口に当て目を潤ませるのは、シガンに負けずとも劣らないゴリゴリ筋肉質の美丈夫だった。
「何がお祖父ちゃんだ。勝手に引退して人に面倒ごと押し付けやがって。何処に行ったかと思えば、こんなとこにいやがったのか」
シガンと同じ濡れ羽色の髪に、赤みのある鳶黒の瞳の男は、祖父と言うだけあってシガンと通じる気配がある。
「だぁ~って、飽きちゃったのよねん。領天はここずっと泰平でさぁ。領外の方が動きがあって飽きない」
「おい、シュストゥ」
「はいぃぃぃ!!」
第三者の声がかかり、祖父ことシュストゥがビクーッと背筋を伸ばした。
シガンは新手に舌打ちをする。
マキの木の幹に、陽の光を集めたような金の髪の美丈夫が寄りかかっていた。
「こそこそ何をやってるかと思えばお前は。よその番にちょっかいかけてるんじゃない」
「や、やややだ、ユージーンちゃんたら、ちょっかいなんてえ。ちょっと孫が心配になって見にきただけなのに」
両の人差し指をツンツン合わせてシュストゥがユージーンを上目使いに見ている。
シガンは内心うわぁだ。偉大なる祖父のグネグネした姿など見せては欲しくなかった。
ユージーンと呼ばれた男は、シガンに「すまなかったな」と声をかけてきた。
「新たな領天殿よ。俺はシュストゥの古馴染で、ユージーンと言う。もとは領外の民だったが、いまはこの御山の主をしている」
つまりはこの場の真の提供者というわけだった。
シガンは一言「感謝する」と述べた。ユージーンも心得たように「大したことではない」と頷く。
それから深々とため息をついて、シガンに申し訳ないと詫びた。
シュストゥが仕事を押し付けて領外にやってきたとは思わなかった。確かに引退したと言ったときは早いような気もしていたのだがな。
「何ならいまからでも領界に帰すが」
「いや。今さら帰されても迷惑だ。そっちで引き取ってくれ」
「なにそれ! 二人とも酷くない~ッ」
「ジジイ、静かにしろ。起きる」
「アッ、ごめんネ」
三人でそうっとツーイーリンを覗き込むが、よほど疲れていたのかピクリともしない。深く眠っている様にホッと詰めていた息を吐く。
「確かに輝度が高い子だな。領外に何千年に一人居るか居ないか」
「ユージーンちゃんもそうだったよ~」
「うるさい」
あしらわれてシュストゥは地面にのの字を書く。
「しかし、現領天が領外の民を番にするのは些か厳しいのではないか」
数千年前にも、領天が領外の民を番に望んだ件があったが、そのときは領界の民の反発が強く、話が流れたという。
「あ、それね。私が超頑張ったから~」
褒めて、褒めて、と復活したシュストゥがユージーンにグリグリと頭を擦り付ける。
それをポカリと叩いて、ユージーンはシガンに向き合った。
「そうなのか……?」
「反対がねぇ訳じゃねえが、そこまで忌避するやつも少なくなった」
「異種間婚を流行らせた。ぐっ」
親指をたてるシュストゥを、ユージーンがなんとも言えない目で見つめる。
「手段はともかく……。そうか、反対されないか。それは、良かった。番を大事にすると良い。シガン殿」
キリとつり上がり気味のまな尻を少し和ませ、ユージーンは立ち上がった。
「それでは挨拶も済んだし俺は座に帰る。シュストゥ、ほどほどにな」
「えっ? 待ってよユージーン」
引き留めるシュストゥに目もくれず、ユージーンはスッと脈に沈んだ。山の主と名乗るに相応しい、見事な溶け込みかたで、場は微塵も揺れなかった。
「追わんでいいのかジジイ」
「や、追うけどね……。シガン」
珍しく真剣な眼差しでシュストゥはシガンを見た。
「お前さん、きちんとその子に話してないだろう。その子がお前の番なのは誰が見ても明らかだが、その子に納得してもらわないといずれ揉めることになる。手の届かないところにいってしまってから悔やむ、なんてことにならんようにちゃんと伝えなさい」
「ジジイ……」
シガンは酷く驚いて言った。
「まともな事も言えたんだな」
「孫が酷い!!」
お前なんて振られっちまえ~と、とんでもない捨て台詞を残して祖父は脈に沈んだ。ユージーンのように微塵も場を乱さず。そも、現れた時も場の乱れがなかったのだ。それゆえシガンが気づかなかった。
あの二人はよほど相性の良い相手なのだろう。
「昔話の領外の民は、何ていう名だったか」
添い遂げられなかった領天と領外の民は、お話の外でどうなったのか。
全く興味をもたなかったシガンは話の結末を知らない。