序章
僕は、あの日銃を手にした。
父親を殺すために―――
「……あ、そういえば」
と、ふと思い出したように彼女が口を開く。
「私もね、一つだけ覚えてるんだ。……ううん、違うかな。忘れてたんだけど、思い出しちゃったのかもしれないけど……」
「何?」
「お母さんが死ぬ前に教えてくれたことがあって……。それが『人殺しは悪いことだ』っていうことと、『誰かを殺せば自分も殺されることになるから気をつけなさい』っていうことだったの」
「…」
「……おかしいよね。普通そんなこと言う親なんていないと思うし、それにお母さん自身が殺人者だったわけだし。……だからずっと、あれはきっと何かの比喩なんだと思ってた。だけど今にして思えば、そういう意味じゃなかったのかもしれないなって思うの」
「…じゃあ、どういう意味?」
「それは…」
彼女はそこで一旦言葉を切ると、僕の目を見つめながら言った。
「……ねえ、私達ってどうなっちゃうのかな」
僕は答えられなかった。
僕達がこれから先どうなるのかなんて、誰にも分からないからだ。
もちろん、僕自身にも。
「……ごめんね。変なこと言っちゃって。気にしないで」
と、彼女が笑顔を作って言う。
僕は黙ったまま彼女の手を握った。
そのまましばらく沈黙が続いたあと、突然彼女が大きな声を出した。
「あっ!」
驚いてそちらを見ると、彼女はベッドの傍に置いてある自分のバッグに手を突っ込み、中から何かを取り出した。
それは一枚の写真だった。写真には二人の人間が写っている。
一人は彼女だ。そしてもう一人は、僕よりも少し年上に見える男だった。
「これ、私のお兄ちゃん」
「へえ……」
「かっこいいでしょう? 自慢のお兄ちゃんだったんだよ」
そう言って笑う彼女につられて、僕も微笑む。
「どうしてこんな写真を持ってきたの?」
と訊くと、彼女はちょっと恥ずかしそうな顔をしながら答えた。
「あのね、最後にこの写真を見ておきたかったんだ。」
その言葉を聞いてハッとした。
そうだ。
こうして一緒にいられる時間は長くはないのだ。
「そっか……」
「うん。でも、やっぱりもってきてよかったかも」
「どうして?」
「だって、なんかこう……思い出がよみがえる感じっていうのかな。すごく懐かしかったもん」
「そっか……」
僕はもう一度同じ相槌を打ち、それから言った。
「ねえ、それ貸してくれない?」
「ん?……いいけど、どうして?」
「記念だよ。思い出として残しておくためのね」
すると彼女は嬉しそうに笑い、「いいよ」と言って写真を渡してくれた。
僕はそれを丁寧に折り畳んでズボンのポケットに入れた。それから二人で他愛のない話をした。
いろんなことを話したけれど、結局最後はいつも同じ話題になった。
「ねえ……」
「うん?」
「……また会えるよね?」
彼女は泣き出しそうな声でそう訊いた。
僕は答えることができなかった。
本当は会いたい。できることならいつまでも彼女と過ごしていたい。
だけどそれはできない相談なのだ。
「お願い……。約束して……」
消え入りそうな声で懇願する彼女を前に、僕はようやく決心がついた。
そしてゆっくりと口を開いた。
「分かった……。必ず戻ってくるよ。絶対にね」
「本当!?」
「ああ。約束するよ」
「ありがとう!……待ってるからね!」
彼女はそう言いながら僕に抱きついてきた。
まるで別れを惜しんでいるかのように――
僕はそんな彼女の身体を強く抱きしめ返した。
それからしばらくの間、僕らは何も言わずにお互いの存在を確かめ合った。
やがてどちらともなく離れると、彼女は寂しそうな笑みを浮かべて言った。
僕は病室を出るとき、一度だけ振り返った。
窓の外では相変わらず雨が降り続いていた。
僕は胸の中で呟いた。
さよなら、と。