個の利、家の利
「久しいな、いつ以来だ」
俺の目の前で平伏しているのは朝倉景鏡である。丁度朝倉の話をしていたところに朝倉景鏡がやってくる。そして顔を見て思い出した。朝倉金吾宗滴公にお会いした時に取り次いでくれたのが朝倉景鏡だった気がする。
「武田様がまだ御屋形様ではなく若様と呼ばれていたころですので、果てさて何年前でしょう」
惚けた声を出す景鏡。何とも憎たらしい男だ。こんな憎たらしい男が一体何の用だというのだろうか。はやく本題に入りたい。雑談を切り上げて俺は本題へと移る。
「して、本日の用向きは何だ。生憎と公方様に御呼ばれしておってな。暇ではないのだ」
「おお! そうでございましたな。この度は元服とご婚儀、誠におめでとうございまする。後でお祝いの品々を運ばせましょう。我が殿もさぞ喜ぶことでしょう」
涙を拭うふりをしたり、大きく頷いたりと忙しい男である。これが景鏡の人心掌握術、相手の懐に入る太鼓持ちの技能なのかもしれない。
「ああ、ありがとう。用件はそれだけか? じゃあ――」
「暫く! 暫くお待ちを!」
俺が景鏡を帰らせようとすると、必死の形相で景鏡が制止を掛けてきた。何というか、滑稽を通り越して呆れてしまうほどに。これが景鏡の策略なのだろうか。
「儂が参上仕ったのは他でもござらぬ。加賀の一向宗のことでございます」
そう言われた瞬間、俺の背筋に嫌な汗が流れた。もしかして俺たちが一向宗を扇動していたのがばれたのだろうか。もし、ばれたのであればどこから情報が漏洩したのか。いや、まだばれていると確定したわけではない。
努めて平静を装う。そして景鏡の言葉の続きを促した。
「一向宗がどうした?」
「一向宗が越前に度々侵入してほとほと困っておりましてな。その一向宗退治を武田様にご助力願えないかと。そうお願いしに来た次第でございます」
「そ……そうか」
これはバレているのか。バレていて、わかっていて俺に告げているのだろうか。それとも本当に気付かずに助力を請うているだけなのだろうか。わからん。侮り難し、景鏡。
「しかし、ただ働きをする気にはなれぬ。もちろん見返りは用意してあるのだろうな?」
「ありませぬ」
あっけらかんとそう言い放つ景鏡。正気で述べているのだろうか。それとも俺を試しているのか。全くわからない。何がしたいのだろうか。
「ありませぬが……朝倉を敵に回さぬ方がよろしいかと。いくら丹後、但馬を手に入れたとはいえ越前と近江から攻め込まれたら一堪りもございますまい」
その瞬間、背筋に悪寒が走る。景鏡の目を見れば理解できる。全て本気で述べているようだ。ここで槍働きをしないのであれば朝倉と浅井が連動して武田を滅ぼすと。
確かに、浅井は動きかねん。朝倉とは先代、先々代からの仲だろう。そして我らは浅井に敵愾心を抱いておる。朝倉から災いの目を摘んでおけ、と言われたらどう転ぶかわからんぞ。
「如何なさいますかな、武田孫犬丸様」
この期に及んで俺を孫犬丸と呼ぶ。そんな俺こと孫犬丸は判断を迫られる。浅井と朝倉を敵に回すか。それともタダ働きをするのか。後者はない。とすれば前者だが、果たして勝てるだろうか。
「即答は出来ぬ」
「何故にございます?」
「戦は国家の大事だ。いくら国主と言えど勝手には決められぬ。家臣たちと相談してから返事をしよう」
そう述べると景鏡は大仰に天を仰ぎ、それから落胆しつつ溜息を吐いた。
「あの麒麟児と謳われた孫犬丸様が。こんなにも簡単な問題を即決できないとは。このようなのは二つ返事で了承し、適当な数の兵を送っておけば良いのです」
嘘だ。了承したら了承したことになるのだ。何を言ってるかわからないと思うが、そういうことなのだ。適当な数の兵で許されるわけがない。なし崩し的に切り崩しにきたな。
どうするべきか。冷静になれ。切り出してこないということは一向宗のことはバレていない。もし、バレていた場合、それを脅しの道具に使ってくるはずだ。まどろっこしいことはしてこない。
では、何故こんなに焦っているのか。景鏡も引けない事情があるのだろう。それが何かはわからんが。とりあえず、共闘の答えが今欲しいのだ。そう考えると段々と落ち着いてきた。危うく相手の術中に嵌るところだった。
「それは出来ぬ。ふふふ、その手には乗らぬぞ、式部大輔」
段々と景鏡との付き合い方がわかってきたように思う。しかし、落としどころを見つけなければ平行線のまま終わってしまう。そうなれば危ういのは我らかもしれぬ。浅井を動かしてほしくない。そこで妙案を思い付いた。景鏡の腹の底をほじくり返すような妙案が。
「しかし、褒美があるのであれば話は別だ。我らに敦賀をくれぬだろうか。其方としてもその方が都合が良かろう?」
「ふむ。それは魅力的な提案ですな。しかし、それを我が殿が承諾するとは思えませぬ」
「それを承諾に持って行くのが其方の仕事よ。近う寄れ」
そう言うと景鏡がじりじりと躙り寄ってきた。そして周囲に人がいないことを確認してから俺は扇子を使って口元を隠しながら景鏡に伝える。
「もうすぐ我らは敦賀にて荷止めを行う。多少不便でも小浜を使う。いや、使わせる。敦賀の税収は落ちるだろうな。そうなれば、其方には好機であろう?」
俺は嗤った。ああ、自分でも理解できる。今、俺は日ノ本で一番卑しい笑みを浮かべているに違いない。ほら、景鏡もぽかんとしているじゃないか。と思ったのもつかの間、俺以上に卑しい笑みを浮かべる景鏡。
「それは興味深い話ですなぁ。是非とも詳しくお聞かせ願いたいところにございますれば」
「なに。自国の発展を願って民に強制して小浜を使わせるだけのこと。それ以上でもそれ以下でもないわ」
「確かに。自国のことであれば口出しは出来ませぬな。しかし、税収が落ちるのは痛い。何とも痛い!」
そう言って膝を叩く景鏡。ここから逆転の提案を捻り出さねばならない。さて、どうやって出すか。税収が落ちるのが問題なのであれば、それを補填してあげれば良いのか。閃きそうな気がする。
「でしょうな。では、我らが一向宗討伐の助力を行う代わりに敦賀一帯をお貸しいただきたい。もちろん、お貸しいただくのだ。賃料はお支払いいたしましょう。それで如何か?」
「賃料によりますな。現状の税収を維持できるのであれば吝かではございませぬが」
「では、この話は無かったことにするか。どちらにしても敦賀の税収は大きく落ち込むことになるぞ」
「あっはっはっは。孫犬丸様は面白いことを仰る!」
「ふっふっふっふ。で、あろう?」
喧々諤々とやり合うこと数刻。まずは俺が敦賀の税収を大きく落とし、そこで朝倉義景が激怒。すかさず景鏡がやってきて、俺に敦賀を貸し、賃料を取る案を提案する。
その見返りに俺は落ち込む前の敦賀の税収の八割の賃料と一向宗退治の共闘を申し出て丸く収める方針とした。そして俺は気が付く。今度は一向宗と、本願寺と良好な関係を築けなくなることに。
まあ、今は敦賀を借り入れる密約を結べたことで満足しよう。そのままなし崩し的に併合してやる。絶対にだ。そう心に誓うのであった。
戦記物です。
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餓える紫狼の征服譚 ~ただの傭兵に過ぎない青年が持ち前の武力ひとつで成り上がって大陸に覇を唱えるに至るまでのお話~
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