人手
永禄五年(一五六二年)七月 若狭国 後瀬山城 武田氏館
元服と祝言の準備で忙しい中、一人の男が仕官を求めて後瀬山城を訪ねて来た。二十台前半の若武者である。どうやら先の三好と畠山がぶつかった教興寺での大戦に負けた落人のようだ。
正直、期待はしていなかった。だって負けた側の将で年齢もまだまだ若造の部類だ。しかし、我ら若狭武田家は慢性的な人材不足に陥っている。それもこれも領地を早急に広げ過ぎたのが原因だ。
明らかに丹後までで止めておくべきだった。だというのに連鎖戦線に巻き込まれ但馬国まで奪ってしまったのだから、自業自得と言う他ないだろう。そして公方からは因幡も奪えと言われているのだ。
文字通り、人手が喉から手が出るほど欲しいのである。
その落人に会って名を尋ねる。齢は二十前後であった。彼は大男らしからぬ凛とした聞き取りやすい声で静かに、丁寧に名を名乗った。
「嶋左近清興と申しまする。我が嶋家は畠山家にお仕えしておりましたが先の戦で領地を追われてございます。仕官先を求め、この若狭を訪ねさせていただいた次第にございますれば」
平伏しながらそう述べた。それを聞いて目が点になった。まさか嶋左近だとは思わなかった。過ぎたる者と呼ばれた武将が目の前で低頭平伏している。慌てて面をあげさせた。
「何故当家へ? 貴殿であれば誘いは数多あったのではないか?」
「若狭武田家は外様の活躍著しく、勢いは日増しに強くなっておりまする」
つまり、時勢を読んだと。若狭武田家で、若狭武田家なら活躍ができる。そう思ってくれたのだろう。嫌いじゃない。読める男は嫌いじゃないぞ。
しかし、嶋家は畠山の次は筒井に仕官していたはず。そこを我らの噂を頼りに流れてきたということか。その選択が間違いではなかったと思わせてやりたい。
「前の畠山家ではいくらで召し抱えられていたのだ?」
「はっ。五百石でございます」
「わかった。では其方に新庄の地を任せよう。今なら千石ほどはある。私の直臣として励んでくれ」
「は……え、よ、よろしいので?」
惚けている嶋左近。そりゃそうだろう。突然、倍以上の領地が降って来たのだから。
俺としては勿論構わない。高禄を持ってでも召し抱えたい人物だ。今なら石田三成の気持ちが分かる。その左近が今はたった千でなびいてくれるのだ。安い買い物である。若くて良かった。
「もちろんだ。それとも城下に住んで五百石から始めるか。俺としてはどちらでも構わんぞ?」
「御冗談を」
本音を言うと直ぐにでも評定衆に加えたいところだが、好き勝手行うと譜代からの反発は避けられん。まずは新庄の地で力を貯めてもらうとしよう。丁度、山内一豊の後任を考えていたところである。
それに噂通りの男かどうか見極める必要がある。千石くらい軽く御してもらわなければ俺が困るのだ。ゆくゆくは若狭武田の一翼を担ってもらわねばならうのだから。
「それよりもだ。やはり三好家は強かったか」
「はっ。こちらの弱気を突かれました。三好方は全ての部隊に一門衆を配置しておりました。そのお陰で統率が取れていたのです。対してこちらは国衆や豪族の寄せ集め。作戦を決めるのも一苦労という次第にございました」
「なるほど。よく分かった。礼を言おう」
そう述べて頭を下げる。やはり三好の強さは一門衆の団結力だ。こちらも何とか団結を促したいところだが、何か良い考えはあるだろうか。
そう思うと徳川家康が天下を盗ったのも納得がいく。あそこは家康と四天王の絆、それから松平十八家の絆が強いのだ。家臣団の絆が強くなければ国は治まらん。
絶対に逃がしたくないのは明智光秀と細川藤孝、沼田祐光に嶋左近、それと前田利家と山内一豊である。彼らの絆を深める良い案はないだろうか。
明智と細川には若狭武田から嫁いでいる親族だ。そして明智と細川は子を婚姻させよう。沼田も代々若狭武田に仕えてくれている。心配はしていない。問題は残る三家だ。
「時に左近。其の方に子は居るのか?」
「はっ、五歳になりまする息子がおりまする」
確か前田家にも幸という娘が居たはずである。年齢も釣り合いが取れる年齢だ。将来的には婚姻を考えておこう。しかし、五歳の息子か。
「もし良ければ私の小姓にしたいのだが、如何か?」
「願ってもない光栄にございまする。是非に」
「うむ、よろしく頼む。孫四――」
そうだ。孫四郎は居ないのであった。代わりの人間を呼び、嶋左近に新庄の説明をさせる。
しかし、少し困ったことになってきた。これは完全に俺の落ち度なのだが、褒賞の土地が不足しつつあるのだ。
いや、土地自体はまだ余っている。特に但馬国の仕置きがまだ済んでいない。また、山を切り開き、開墾し、田畑にしたいと考えていたところだ。そうすればまた土地が増える。
では何に悩んでいるのか。それは沼田を始め明智や細川、前田に山内など逃したくない恩顧の人材を優遇してしまったという問題である。
そうすると必然的に旧臣に恨まれないため、彼らも厚遇しなければならない。しかし、旧臣は領地を移動したがらない。父祖伝来の土地が大事なのだ。そうすると彼らも代官を用意しなければならない。人手が要る。
こうして、両者のご機嫌を取り続けた結果、領地に融通の利く空きが無くなりつつあるのだ。人も不足してれば土地も不足している。三国を持っている大名だというのに何ともおかしな話だ。
先程も述べたように、幸いなことに但馬国を切り取ったので、今はそこの仕置きを進めることができる。特に金山や銀山などの鉱山は大きいだろう。
最後の手段だが、土地に根ざした国衆から土地を奪うことにする。田結庄、塩冶、太田垣、田公の領地をがっつりと減らそう。こちらに与さなかったのだ。大義名分は立つ。
褒美を与えるには攻め取るしかない。そしていつかは行き詰まり、高転びする。こうやって信長は失敗したんだったっけ?
ちょっと良く覚えていないが、危機的状況であることには変わりはない。うん、やはり武田高信には因幡国の東を譲ってもらおう。
褒美の方法を見直す時が来たのかもしれん。金品で渡すか。それとも給与制にするか。いや、まだ早過ぎる。時代に即していない。ここについては誰かに検討してもらうことにしよう。
これからも有能な人材が仕官しに後瀬山城を訪れるかもしれない。その時、俺は正しく対処できるのだろうか。不安になってきた。
いや、今はこれで良いのだ。良い人材の取り合いの時期である。まだ我らは成熟していないのだ。少し無理をしてでも人材の確保を進めよう。そして、更に領地を切り広げるのだ。
もう一度頭を整理させるため、俺はその場にぐでんと寝転んだのであった。その時であった。頭元に黒川与四郎が音も無く訪れたのは。
「失礼いたしまする」
「おわっ! 驚いた。いつからそこに」
「ずっと居りましてございます。ご報告をさせていただいても」
「うむ」
「まず、毛利と尼子の和議が成り申した。石見の銀山は毛利の手に」
「……そうか」
まあ、そこは譲れないだろうな。これで毛利は満足、尼子は家中穏やかではないだろうな。何故そのような判断を下したのか。尼子義久、暗愚であったか?
「他に気になりましたのは」
「ん?」
「毛利陣中に曲直瀬道三の姿が」
「それは……毛利陸奥守か?」
「おそらくは」
毛利元就は御年既に六十の半ば。この時代であれば長寿と言われてもおかしくない年齢である。どこで何があってもおかしくない。
「病状は探れたか?」
「申し訳ありませぬ。そこまでは」
「分かった。毛利……いや曲直瀬道三の動向を注視しておいてくれ」
「ははっ。曲直瀬道三に人を送りましょう」
「頼む」
首肯して音も無く与四郎が立ち去る。考えることが増えてしまった。今度は周囲に誰も居ないことを確認してからその場にぐでんと寝転んだのであった。
戦記物です。
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