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元服と官職

「そうかそうか! では、儂が烏帽子親となってやろう。その際、儂の名から一字授けようぞ。武田の諱は信であったな。では『信輝』で如何だ?」

「何をおっしゃられますか。元服しましたら武田孫八郎輝信と名乗りとうございます。もし、伊豆守を名乗っても良いと仰せであれば名乗りとう存じまする」


 義輝は控えめに信輝と提案してきた。しかし、これは罠である。きちんと遜り、輝信へと名を変更する。向こうも俺を立ててくれただけだろう。本気ではない。


 伊豆守は若狭武田が代々名乗ってきた官職である。俺も例に漏れず伊豆守を名乗るつもりだ。だったが、どうしようか。少し悩む。正直、官職などいらぬ。ただの孫八郎でも良いのだが、家臣に示しがつかない。公方義輝はというと、頻りに首を縦に振っていた。


「其方の父も祖父も豆州を名乗っていたな。良かろう! 儂が朝廷に伝えておいてやろう。そして元服した暁には若狭守護と丹後守護を其の方に任せる!」


 そうは言うものの、官職を決めるのは将軍ではなく公家。つまり帝だ。そして伊豆守は従六位下である。だが、俺は筋を通すために将軍にお尋ねしているのである。


 若狭の武田家は伊豆守から従五位下の治部少輔、正五位上の大膳大夫へと進むのが習わしである。武田元信は従三位まで進んでいた。


 従六位下は殿上人ではない。つまり、昇殿は許されないのである。帝に拝謁しようとなると、この役職では物足りないのだ。ただ、俺は帝に会うつもりもなければ、会えるとも思っていない。


 伊豆守って従六位下で合っているよな。時代によって地位が上下するから官職は厄介なんだ。


「ありがとうございまする。兄上」

「ははっ、有り難き幸せにございまする」


 母と揃って感謝を述べ、頭を下げる。これで俺は晴れて従六位下伊豆守に任ぜられることと成った。話は終わりである。そう思い退席しようとしたところ、公方義輝がこう述べた。


「これで其方は甲斐武田から嫁を貰うことが出来るな。いやあ、徳栄軒信玄公もそこを気にしておられたからのう」

「まあ!」


 血の気が引くとは正にこの感触を言うのだろう。どうやら一条信龍が先に根回しをしていたようだ。と言うことは一条信龍が武田信玄の許可を正式に取り付けたと言うことになる。


 そしてその信玄が本腰を据えてこちらを見てきた。そうなったら俺のような小者が信玄公のような叡智の塊に勝てる訳が無かったのだ。何処まで先を見通しているのか、恐怖すら覚える。


 母である幸は感嘆の声を上げた。これが好意的な声なのか、否定的な声なのかは判断がつきかねる。いや、考える余裕が無い。


「徳栄軒信玄公の嫡男の娘で、名を藤姫と申したか。まだ九つだが其方とは釣り合いが取れよう。いやあ何れ菖蒲か杜若。とても美人な姫との噂じゃぞ」


 そう述べて喜びの笑みを浮かべている公方義輝。彼にとっては自分の意を汲んでくれる大名が近くに居ればそれで良いのだ。俺であろうと、甲斐の武田であろうと関係無いのである。


 この婚儀を仲介したとなれば、自身の影響力が更に増したと思い込むだろう。危ない。いよいよをもって危ないぞ。できるだけ時を稼がねば。


「元服に関しては願わくば二条の御所にてさせていただければ幸いと存じまする。この願い、聞き届けてはいただけませぬでしょうか?」

「相分かった。では儂が二条に戻った時には、其方の元服の儀を儂が其方の父である武田豆州殿に代わって行うとしようぞ」

「はっ」


 ここまでされたのであれば、俺にも欲が出る。そう、但馬国だ。山名が攻め込んで来ている以上、こちらも攻め込みたい。しかし、足利義輝にひっくり返されかねん。


 現に俺が一色氏を皆殺しにして丹後国を自分のものにしていたら(いや、しているんだが)、先程の義輝の側近である一色藤長に掠め取られていただろう。それを防ぐ必要がある。先に義輝を抑えねば。


「恐れながら公方様に言上申し上げ奉りまする」

「なんだ?」

「山名右衛門督についてにございまする。彼の者、息子を一色家の嫡流と謀り丹後へと攻め込んでございまする。討伐の命を何卒」


 俺は更に頭を下げる。義輝は悩んでいるようだ。山名家は三管四職を務める幕府の名家だ。その山名が治める但馬に攻め入るのは流石に許せないようである。


「公方様は私よりも山名右衛門督が大事と」

「然に非ず」

「では――」

「そう急くな。山名右衛門督も手違いで攻め入ったに過ぎん。その方らは敵を間違えておる。憎きは三好だ。努々忘れるでないぞ」

「恐れながら公方様。そうは参りませぬ。我等の家臣が憤っておりますれば。山名右衛門督に一撃を喰らわせなければ公方様が如何様に仰せられても三好が目に入ってきませぬ」


 そう言われてしまっては義輝も黙らざるを得ない。本来ならば此処で三淵あたりが助け舟を出しても良いのだろうが、その肝心の三淵が割って入ってこないのだ。さて、落としどころを作るとしよう。


「そこでどうでしょう。我らは但馬に攻め入りまする。そこで頃合いを見て公方様に我らと山名右衛門督の和睦を斡旋していただきとうございまする。さすれば、将軍の威光ますます輝きましょう」

「おお! うむ、それが良い。良いことを申した。では、頃合いを見て和議の使者を出すとしよう」

「はっ。よろしくお願い申し上げまする」


 よし。上手く事が運んだ。これで我等は山名祐豊に一撃を食らわせても良いと言質を得たことになる。その一撃がどれだけ重い一撃か。死ぬよりも辛い一撃をお見舞いしてやる。低頭した俺はにやりとほくそ笑む。


 こうして加冠の儀の予約が入ってしまった。別にそれはどうってことない。いや、それも大事なのだが、問題なのは御所を追われたというのににこやかにしている公方義輝の様子である。


 何故こうも清々しい程の笑みを浮かべていられるのか。公方義輝の前を辞して細川兵部と合流する。互いに得た情報を交換するのだ。


「公方様は清々しい程にご機嫌であらせられた。御所を追われたことを意に介していないようであったのだ。それにしても厄介なことになったぞ。元服して嫁を取ることになった」

「おお、それは喜ばしいことではございませぬか! おめでとうございまする」

「何がめでたいものか。まんまと一条右衛門大夫に嵌められたわ」


 ぶうたれた顔をしている俺を見て察したか。細川藤孝が話を主線に戻す。


「某も気がかりなことがあり申す。某の兄上が何処を探しても居りませぬ。柳沢殿に尋ねても和田殿に尋ねても『知らぬ存ぜぬ』の一点張りにございました」

「なんと! 其方の兄が?」


 二人して首を傾げる。分かっていることは『何かがおかしい』其の一点である。

 こんな時のために俺は粟屋越中を公方様の傍に置いておいたのだ。粟屋越中を探し出して部屋の一室を占拠する。


「越中、これは如何なることか?」

「何故、某の兄上が居らぬのだ?」


 俺と細川兵部の二人に問い詰められる粟屋越中守。冷静になって考えると、粟屋には可哀そうなことをした。

 それだけ切羽詰まっていたのだと考えてもらえると嬉しい。


「それは、その……」


 口籠もる粟屋越中守。どうやら知っているけど話せない。そういう表情だ。

 無理やり聞き出すか。それとも情報を小出しにさせるか。順当に選ぶのは後者だろうな。


「公方様はご自分の意志でこちらに移られたのか?」


 越中は首を縦に振る。


「三淵大和守が見当たらないのは出奔したからか?」


 今度は首を横に振る越中。その後も幾つかの質問を投げかける。頷く、首を横に振る、無言の三種類で粟屋越中は答えてくれているようである。


 無言と言うのは文字通り答えられないということだろう。此処までの情報を纏めると、公方義輝は自分の意志で石清水八幡宮に移ってきた。


 そして直ぐに二条の御所へ戻ることが出来ると考えている。更に何らかの理由で三淵大和守は居ない。ということである。


「細川兵部、分かるか?」

「某にはてんで。しかし、三好が糸を引いているのは感じ申す」


 首を横に振る細川兵部。常に公方義輝の傍に居た兵部だから分かるのだろう。俺も公方が策を弄する人間でないのは感じている。その剣術と同様に正々堂々戦う御仁だ。


「ふむ。まあ、粟屋越中が何も申さないと言うことは、我らには関係の無い出来事なのだろう。それであれば気にするだけ無駄である」


 そう言ってきっぱりと忘れることにした。だって、これ以上考えても何も分からないのだから。それであれば他のことを考えるべきである。例えば、婚儀のこととか。


 さて、困った。これでは婚姻を破棄することは出来ない。信玄公も公方様も押さえられているのだ。


 一番困るのは若狭武田を乗っ取られること。それであれば乗っ取られないよう、配慮すれば良いのだ。いや、むしろ武田義信を使って甲斐武田を混乱させるのもありである。いや、それが可能だろうか。不安が俺を覆う。


 信玄公の謀略の魔の手から逃れることは出来るだろうか。相手はあの信玄公だ。俺の考えなど見透かされているのではないかと思う程に。


 現状、信玄公の良いように事が運んでいる。掌で踊らされているようだ。どうにかして一度、ぎゃふんと言わせてやりたい。しかし、手が思い浮かばん。


「はあ。まずは加冠の儀からだな。細川兵部、済まないが準備を任せても良いか?」

「勿論にございまする。某にお任せ下され」


 まさかの甲斐武田が俺達に絡みついてきた。それは蛇のようにねっとりと、じわじわと締め付けてくるような肌がひりつく感覚になる。


 まず、絶対に武田義信は若狭に長居させない。必ず、甲斐に返す。当たり前だ。甲斐武田の嫡男だぞ。何を考えているのか。信玄の次男は盲目だったはず。三男は夭折。


 つまり、武田家を正当に続けるには義信が跡を継ぐしかないのだ。もし、義信が跡を継げなかった場合、どうなるか俺は知っている。


 なので飯富虎昌、長坂勝繁、曽根虎盛の三人だけを当家で引き取ることはできるだろうか。向こうも太郎義信を孤立させたいと考えているはず。


 そうすれば太郎義信が謀反を起こしたとき、更に失敗する確率が高くなる。そして義信が間違えるよう、それとなく破滅へ誘導していくのだ。


 有能な人材を抱えられるならば抱えたい。飯富虎昌なぞ、喉から手が出るほど欲しい。藤姫の護衛と称して引き止め続けようか。何なら一条信龍に根回ししても良いかもしれない。


 いや、この際だ。飽和している甲斐武田の家臣を何人か貰うことにしよう。甲斐武田は優秀な人材の宝庫だ。そして褒美の恩賞や土地が足りていないはず。三男、四男が狙い目だ。


 どちらにせよ、まずは一条信龍と話をしてからだ。俺は用は済ませたとばかりに石清水八幡宮を後にすると、広野孫三郎を甲斐武田の本拠地である躑躅ヶ崎館に送るのであった。

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