元服の罠
俺は馬に跨り、母を籠で運びながら京に向かって進んで行く。護衛には細川藤孝とその兵およそ五十名が随伴していた。
別に戦をしに行く訳ではない。少し少なくも感じるが、三好と六角の戦は既に終わっており、危ない場所を通る訳ではないのだ。
「さて。兵部は此度の戦をどう見る?」
「三好が京を失いはしましたが、直ぐに取り返しましょう。十河讃岐守、三好豊前守が亡くなったとは言え叔父の日向守長逸、腹心の松永弾正らが居りまする。それに何と申しても阿波と讃岐がございます」
そうなのだ。三好が地盤としている阿波と讃岐の合わせて三十万石が無くならない限り、三好が崩れることは無い。海が天然の要塞となっているため、阿波と讃岐は攻め込まれないのも強みの一つだ。
「では、また直ぐに三好が京を取り返すと」
「某はそう見ておりまする」
「奇遇だな、俺も同意見だ。では、公方様もそう見ていると考えるべきか。だから三好親子と行動を共にしていると」
「それを確認するために石清水八幡宮に向かうのでしょう?」
俺が公方に付いて質問すると解答せずにそう述べる細川藤孝。確かにその通りだ。今は一路、京へと向かうのが先決である。
清水山で一泊しそのまま船で堅田を通り比叡山まで下っていく。そして大津で降りるのだ。一向宗のお膝元を通るのは怖かったが、我らは本願寺と上手くやっておる。うん、大丈夫だ。
そこからは徒歩で石清水八幡宮へと向かう。しかし、やはりと申すべきか水運は良い。時間も運べる量も桁が違うのだ。
我らは日本海側を押さえつつあるが、やはり敦賀を抑えないことには話にならない。敦賀を押さえねば、京への荷を俺が掌握できないのだ。そして、俺は京への荷を掌握しなければならないのである。
そんなことを考えていると石清水八幡宮に着いた。事前に向かうという連絡はしてある。柳沢元政、粟屋越中守が俺達を手厚くもてなしてくれた。しかし、まずは公方である足利義輝に挨拶をしなければ。
俺は母を連れ立って公方義輝に面会する。近習が声を上げる。
「失礼いたしまする。武田孫犬丸様が罷り越しましてございます」
「そうか、通せ」
許可が下りたので俺は母を連れ立って公方義輝の前に進み出る。そして低頭した。母も俺に倣い、頭を下げる。
「ご健勝にて何よりでございまする。ご無沙汰しておりました」
「ご無沙汰しておりました。兄上」
「孫犬丸に幸か。息災にしておったか?」
「ははっ。お陰様で息災にしておりました」
「そのようだのう。聞いておるぞ、丹後に攻め込んだと。一色式部大輔が悪政を敷いていたために誅したとか」
「ははっ」
どうやら公方義輝の機嫌は悪くないようだ。それどころか、どこか上機嫌にも見える。六角左京大夫に追われて石清水八幡宮に滞在しているのではないのだろうか。少し訝しい。
「今は一色右馬三郎殿と協力し、共に丹後を治めておりまする。しかしながら山名右衛門督がこの丹後に攻め込んでまいりまして、ほとほとに困っているところにございまする」
「……そうであったか」
公方様の顔が引き攣る。どうやら俺が一色重之と共に丹後を治めていることは存じ上げなかったようだ。後ろで苦々しい顔をした男が居る。一色藤長だ。
おそらく一色藤長が自分の縁者を丹後に送り込み、公方様を介して丹後を返してもらおうとしていたのだろう。ふふふ、そうはさせんよ。俺は後継である一色重之と治めているのだ。家臣達にもそれを認めさせている。
ここでそれを蒸し返せば俺は反発する。そうなれば畿内どころではなくなるぞ。将軍として政を牛耳ることはできなくなる。俺はそれに協力しなくなるだろうな。それを踏まえた上なのか知らないが、母がこう切り出した。
「兄上、どうか孫犬丸に丹後守護の位を与えてはくれませぬでしょうか? この通りにございます」
そして俺の母が深く頭を下げた。俺を思っての行為である。俺もそれに倣い、低頭する。さて、貢物は大量に渡している。これで公方義輝がどう判断するかだ。
「ふむ。丹後守護の位を与えるのは吝かではないのだが、やはり元服してないことにはのう」
そう述べる義輝。しまった、元服のことを忘れていた。しかし、俺ももう数えで十一である。十分に元服しても良い年になった。しかし、元服したら厄介ごとが増える。それでも良いのだろうか。
いや、良い。腹をくくるぞ。じゃないとまた一色藤長の横槍が入ってくるに違いない。いや、一色藤長だけではない。俺を元服前と侮る者が大勢出てくるだろう。
今まではそれでも良かった。しかし、今は十五万石の身代である。家臣も増えた。面子に関わる。俺は面子など気にしないが、家臣が気にするのである。元服し、これを機に丹後を俺のものにする必要があるのだ。
「それでは元服すれば守護の位を頂けると?」
「勿論じゃ。儂は甥である其方こそが若狭、そして丹後の守護に相応しいと思っておる。若狭の武田は丹後守護も兼ねておったからの」
「有り難きお言葉にございまする。それではこの孫犬丸、元服いたしとうございます」
「うむ、よう申した。烏帽子親は儂が直々に行ってやろう。可愛い甥のためだ。一肌脱ごうではないか!」
そう宣言する。だが、この判断は結果的に間違いであったと後悔する羽目になる。この時の俺は全くもって理解していなかったのであった。
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