名実ともに丹後を手中に
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永禄五年(一五六二年)三月 若狭国 後瀬山城 武田氏館
三好実休が死んだ。久米田で畠山高政の猛攻に遭い、落命したというのだ。そしてそのまま畠山氏に高屋城を奪われたという。
三好長慶と三好義興の親子両名にとっては昨年の冬、将軍地蔵山で六角と浅井の連合軍に叩かれ、再起を図っている最中の出来事であった。段々と三好家に暗雲が立ち込めてきた。
三好長慶は実弟の訃報を聞かされた時、連歌の会の最中であった。しかし、その訃報に動じる事無く見事な句を返したとか何とか。これも戦略的宣伝だと俺は判断しているが、果たして。
これで畿内の三好家の影響力は弱まるだろうか。今回、一人勝ちしたのは六角義賢だろう。戦で痛手を負ったのは主に浅井新九郎だ。やはり先鋒を引き受けたのが悪手だったのだろう。
浅井は兵も減り、銭も減ったように見える。しかし、その武勇は轟かせた。間違いなく名を上げるだろう。
となると、畿内に覇を唱えるのは六角義賢になってくる。ただ、指を咥えて見守っている三好長慶ではない。どこかで反撃に出るだろう。
此処で意外だったのが公方である足利義輝の動きだ。六角義賢を歓迎するかと思いきや、長慶を支持して石清水八幡宮に逃れてしまったのだ。
あれだけ三好を討てと檄文を飛ばしていたのに、意味が分からない。どのような意図があるのだろうか。
いや、違うな。この場合は『共に向かった』のではなく『連れ去られた』と考える方がしっくりとくる。この点に関しては粟屋勝久に確認を取るべきだ。
どちらにせよ、この諍いには巻き込まれたくない。今は山名にだけ集中しておきたい。ふむ。巻き込まれないよう、色々と手を打っておく必要がある。
いっそのこと、公方義輝に会いに行くのも手だ。しかし、簡単に若狭を離れて京に向かっても良いのだろうか。
若狭から京までは往復四日。馬を飛ばせばもっと早くに着くことが出来る。ならば行くべきだろう。京に近いという利点は最大限に生かすべきだ。
「文、母上の様子はどうだ?」
「はい。先代様がお亡くなりになってからというもの、塞ぎ込んでおられます。時には出家を口にすることもあるとか」
「……そうか」
文に膝枕をしてもらいながら母上の様子を尋ねる。俺が戦に出ることも本当は止めて欲しいと思っているのだろうな。
「母上は本気で出家を望んでいるのか?」
「如何にございましょう。私にはわかりかねますが……。ずっと屋敷に籠もられておられますので、気晴らしに外へ出歩いてみても良いのではないでしょうか」
「気晴らしか。そうだな。母上に会いに行くぞ」
俺は文を連れて母上に会いに行く。母上はというと、父の位牌に手を合わせ念仏を唱えていた。その姿を見ると、本当に父のことを愛していたのだなと思う。
「母上、母上は居られませぬか!?」
「なんです。騒々しい」
文を連れて母に会いに行く。母を久しぶりに見た。少しお窶れになっただろうか。父が亡くなられてからというもの、塞ぎがちになってしまった。会うのも久しい。
俺も人の子、母が心配ではない訳ではない。だが、何となく母とは思えぬのだ。それに当主というのはこんなにも忙しいものなのか。
八万石の当主でも忙しかったというのに、今や十五万石だ。兵も千は動員できるようになった。前までは千ですらひぃひぃ言って集めていたのに。
「これから石清水八幡宮に参りたく存じます。母上も共に如何でしょうか?」
「いいえ、母は遠慮しておきます。京は戦禍が酷いと伺います。何故そのような所に今、赴くのですか?」
「伯父上が石清水八幡宮に居られるとお聞きしましたので。ですので、母上も是非に。文も連れて行きましょう」
母は逡巡してから「そうですね」と短く声を上げた。どうやら共に京へと向かってくれるようだ。後瀬山から石清水八幡宮へ向かうには熊川を通り近江の清水山から船で淡海――琵琶湖のこと――を船で下るのが速そうだ。
「それでは急ぎ支度を行います。母上もお出かけの支度を行っていただければ」
「分かりました」
これが少しでも母の気晴らしになってくれると良いのだが。だが、母が居るとなると急いで向かうことはできない。往復で四日は確定だな。後は滞在日数次第だ。
さて、後は誰を護衛に選ぶかが問題だ。将軍に拝謁しに向かうのだ。粗相のない人選でなければならない。有職故実に通じている人間と言えば、明智十兵衛か細川藤孝のどちらかだろう。
それであれば細川藤孝だ。彼の領地である熊川を通るのだから、その時に護衛として付いてきてもらうことにしよう。あとは手土産だ。何を持っていけば喜んでくれるだろうか。無難に銭だろうか。
ただ、銭は重く嵩張るのが難点だ。そう考えると干し椎茸は便利だと思う。
今回は銭の他に干し椎茸と小浜に届いた昆布や魚等の美物、それから蘇を送ることにしよう。
問題は名目だ。今回、公方義輝は六角義賢に京を追われて石清水八幡宮に滞在している。喜ばしい状況ではない。今度こそ、丹後守護を貰いに行くのはありかもしれない。そうだ、そうしよう。
そうすれば丹後に進出してきた山名を討ち取る名目が出来る。丹後守護を掲げ、丹後を我が物にするのだ。そうすれば俺は二十万石に届こうかという石高になる。
俺は怪しい笑みを浮かべながら手土産を手配する。京へと上る準備を始めたのであった。
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