関わりたくない孫犬丸
永禄四年(一五六一年)七月 若狭国 後瀬山城 武田氏館
後日、細川藤孝と山県孫三郎の両名から使い番がやって来た。森脇相模守が降伏して臣従するとのことであった。どうやら森脇相模守は俺の使いが決め手になったらしい。
これで田辺を睨む女布城を手に入れた。加佐郡の半分を手に入れたと言っても過言ではないだろう。丹後攻略の足がかりは確実にできたのだ。
一方の松田山城守だが、降伏する用意は出来ているということらしい。しかし、与謝郡の最北端だ。そこで反旗を翻しても攻め落とされてしまうだけである。
なので、機を見て合力するとのことらしい。お家を残すため、様々なものを天秤にかけなければならない。今はそれで許すとしよう。
ただ、あれからというもの一色義定の動きは無かった。家中で何があったのかは知らないがどうやらあの時の俺の決断は間違っていなかったらしい。
君尾山城も完成しつつある。俺は満足そうに報告を聞いていると、与四郎がやって来た。
「御屋形様、六角左京大夫ならびに畠山尾張守が挙兵された由。こちらに六角左京大夫からの使いが向かっている模様」
一難去ってまた一難である。どうやら報告通りに話が進んでいるようだ。再び俺は頭を悩ませるのであった。もう禿げそう。
◇ ◇ ◇
「蒲生下野守定秀にございまする」
「武田孫犬丸である」
今、俺の眼前には百戦錬磨の蒲生下野守が座っている。どうやら六角の使者として訪ねてきたようだ。俺を品定めするように眺めてから用件を切り出した。
「此度、御屋形様が三好征伐のため、畠山尾張守と呼応し兵を挙げることと相成り申した。そこで孫犬丸様にも御助力願いたいと御屋形様が仰せにございまする」
来たか。まずは前提条件の確認だ。こちらも悪戯に兵を減らすことは出来ない。
「確か三好と相対することになった場合、浅井新九郎殿が先陣を買って出てるということだが、そちらは如何でしょうや?」
「無論、浅井新九郎様も馳せ参じるとのことにございます」
「如何程の兵で?」
「六角が二万、畠山が一万、浅井が四千にござる」
「朝倉様が居らぬな。朝倉様がいないのであれば——」
「朝倉式部大輔様が千の兵を率いてご出陣なさるとのこと」
朝倉景鏡か。コイツは本当に要らんことをする。大人しく加賀の一向宗と争っていれば良いものを。
「左様であるか。私共も御助力したいところであるが、浅井は武田の怨敵でもある」
「わだかまりは解けたとお伺いしておりまするが」
「心の奥底に眠る恨みつらみはそうすぐに消えぬ。また、私にわだかまりが無くとも家臣達が如何思うか」
わざとらしく伏し目がちになる。我ながら悪くない切り口だ。六角に協力はしたいが、浅井と肩を並べて戦うのはまだ早いと伝えてるのだ。
ただ、協力したくない訳ではない。三好方に与していると思われても困る。確かに松永とは誼を通じているが、協力しているわけではない。それを素直に述べよう。
「ただ、三好方に通じていると思われるのは心外。少ないながら兵馬、兵糧は提供させていただきたい」
「……如何程で?」
「兵は三百。いや、三百は縁起が悪いので四百にしましょう」
厭味ったらしくそう述べる。問題は誰に率いらせるべきかである。武藤上野介か孫三郎が安心だが、過去の傷を抉ってしまわないか心配になる。
細川兵部、いや内藤筑前守に率いてもらおう。彼であれば悪戯に兵を消耗することはないだろう。今、若狭武田にとって何が大事なのか理解してる将だ。
「内藤筑前守と宇野勘解由に率いらせましょう」
「おや、孫犬丸様がお率いにならぬので?」
「私はまだ元服前の身。家臣達が私の身を案じて―—」
「先の砦の攻防の時には鎧兜も付けずに砦へ馳せ参じたとお伺いしておりますぞ。今回はそれを行ってくれないので?」
何処からか情報が洩れているようだ。唇の端を軽く噛む。でも笑顔は絶やしてはいけない。蒲生下野守も笑顔は絶やさない。傍から見れば和やかな会談だと錯覚するだろう。
さて、どう切り返すか。言い訳したら劣勢に追い込まれそうだ。それであれば蒲生下野守を揺さぶってみたいと思う。無理やり話を切り替えてみよう。
「蒲生下野守殿は六角左京大夫様が負けるとお思いで?」
このままだと負けるから兵を出せ。そう言ってるように聞こえるぞと伝えた。これは思っているとも思っていないとも答えられない難問だ。昔、俺も使った手である。
さて、どう切り返してくるか見物である。いや、更に追撃しよう。
「先程も申し上げた通り、私と新九郎殿が並ぶのは憚られるのだ。理解のある忠臣に兵を率いらせて何か問題が?」
「いえ、孫犬丸様がそれでよろしいのなら良いのですが、本当によろしいので?」
やや困り顔でそう述べる下野守。どうやら老婆心で参戦を勧めているようだ。そう考えるとこちらが不安に陥ってしまうから人間の心理とは不思議なものである。俺は手を強く握った。掌が汗で濡れていて気持ちが悪い。
「と申されると?」
「細川讃岐守晴之様を始め、六角左京大夫様に浅井新九郎様、朝倉式部大輔景鏡様もお越しになるでしょう。それに畠山尾張守利政様もお目見えになるでしょう。そちらに加わらなくてよろしいのか、と」
「構わぬ」
なんだ。そんなことか。勿体ぶるから何かと思ってしまった。顔を繋いでおけと言うのだろうが、生憎と興味は無い。仲良しごっこをしている時間は無いのだ。
俺が必要としているのは位の高い人物ではなく能力の高い、優秀な人物なのである。
「……承知いたした。それでは我が主に武田孫犬丸様は兵四百と軍馬、兵糧をご提供いただけるとお伝え致しまする。では、この話、直ぐに御屋形様にお知らせしたい故、失礼致す」
「よろしくお頼み申す」
そう言うなり蒲生下野守は退席してしまった。俺は姿勢を崩して息を吐き出す。圧が強くて肩が凝る。もっと和やかに話し合うことは出来ないものだろうか。
「御屋形様、その、よろしいでしょうか?」
「なんだ?」
申し訳無さそうに孫四郎が障子越しに話しかけてくる。恐る恐る声を掛けてきたのは彼なりの気遣いだろう。しかし、声を掛けなければならない事態が発生した。そういうことだ。休まる暇が無い。
「松永弾正さまの使いと申す者が……」
「ああ……会おう。別の部屋に待たせておいてくれ」
そりゃそうだ。三好からも援護をと頼まれるのは当たり前だろう。不味い。このままだと卑怯な蝙蝠になってしまう。この状況を打破できる方法は無いだろうか。
「楠木長左衛門正虎と申しまする。我が主より書状を預かって参りました。こちらを」
そう言って手紙を孫四郎に手渡す。孫四郎がそれを俺の所に運んできた。広げて中を読み進めていく。内容は察しが付く。これからの戦のことだろう。
松永は大和国を預かっている。流石に若狭に本人が来ることは出来なかったか。戦の準備で慌てているはずだ。
手紙には三好に助力を願いたいと記載されていた。それと共に俺の立場も理解できるとの記述もあった。
勿論兵を出すことは出来ない。そして三好に与することもできない。だが、松永―—というか内藤か―—に何かしらの協力はしないといけないと思っている。
内藤に兵糧を提供し、間接的に支援する形で納得してもらおう。もしくは丹波攻めに協力するのもありだ。松永も大々的に協力してもらえるとは思っていないである。してもらえれば儲けものくらいに思ってるはずだ。
突っぱねることも出来なくはないだろうが、それだと後々に苦労しそうだ。出来る援助はするべきである。
「あい分かった。返書を認める故、今暫くお待ちいただきたい」
そう言って楠木長左衛門の前を辞する。返書は二通用意した。一通目にはこう記載した。簡単に要約するとこういう内容となる。
此度の戦、若狭武田は約定通りに公方様にお味方致しまする。従って三好修理大夫様ならびに松永弾正様のお力になることは出来ませぬ。ご容赦いただきたい。
そしてもう一通の手紙にはこう記載するのだ。
内藤蓬雲軒殿が丹波攻めに難儀している様子。丹波攻めの御助力として兵糧その他、何なりとお申し付けください。必要なら我が若狭武田が丹波の北から攻め込み、挟撃致しましょう。
つまり、足利との戦に助力はできないが丹波攻めなら協力できますよ。という手紙を用意したのだ。そもそも、俺は内藤蓬雲軒と誼を通じたのであり、三好に臣従した訳ではない。挟撃も方便である。
そして、俺が丹波攻めの足しにと送った兵糧を内藤蓬雲軒がどう使おうが、それは内藤蓬雲軒の勝手である。それを仄めかすようなことはしないが。
一番困るのは俺が三好に合力すると思われることだ。この手紙が流出しても良いように断るところはきっぱりと断る。蒲生下野守はまだ俺を疑っていそうだ。追及の燃料を投下する訳にはいかない。
「こちらを二通、必ず松永弾正殿にお渡しいただきたく」
「畏まった。確かに御受け取り申した。それでは某はこれで失礼致す」
楠木正虎が書状を持って退出する。さて、段々と話が拗れてきたぞ。美味しいところだけ掻っ攫えるよう、入念な準備をしなければ。
戦で畿内が乱れれば乱れるほど弱小の若狭武田が飛躍する芽が出て来ると云うもの。虎穴に入らずんば虎子を得ず。蝙蝠と揶揄されようとも丹後を切り取ってみせる。新たにそう心に決めたのであった。
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