吉坂峠砦の攻防(下)
一進一退の攻防が続いている吉坂峠砦。そこに動きがあった。一色勢の後方が慌ただしくなっているのである。しかし、今はそれどころではない。ここを凌ぎ切らないと。
「ご注進! 前田又左衛門殿が敵の背後より急襲をかけた模様にございまする!」
「そうか! 承知した。お主はそれを其処彼処で吹いて回れ!」
どうやら又左は砦を迂回して一色義定の背後に噛み付いたらしい。これで砦内の士気が上がる。敵の士気を下げることが出来るのだ。
「上野介、敵の退路を断ったと喧伝しろ!」
「承知! お主等は袋の鼠ぞ! 退路は無い! 悉く討ち取ってくれるわぁっ!!」
そう怒鳴りながら指示を出していく武藤友益。どうやら盛り返すことが出来たようだ。戦はつまるところ、士気の争いである。
士気が無くなれば兵達は蜘蛛の子を散らすように去っていくが、士気が高ければ最後の一人まで前のめりで討ち死にする。死兵ほど強い者は居ない。
その時、砦の後ろで旗が上がった。まさか、俺達の後方に一色勢が回り込んだのか。嫌な汗が背中を流れる。
しかし、傍に居た武藤友益からは歓声が上がった。どうやら味方のようだ。
「松笠菱の旗にございまする」
松笠菱の旗と言うことは細川藤孝か。彼が来てくれたのは心強い。砦に招き入れ、旗を立てる。これで兵数も千五百と九百の戦いだ。十分に分がある。
「お待たせ致し申した、しかし肝が冷えましたぞ。御屋形様、今後はあのような行動はお控え下され」
そう言って細川藤孝が横に並ぶ。これで初戦は若狭武田勢の勝ちが見えてきたところである。前田又左もどうやら草木を分けながら散って逃げたようだ。その内、砦の後方に集まってくるだろう。
ドン! ドン! ドン!
敵方から腹の底が震える程の大きな太鼓の音が聞こえてきた。どうやら退き太鼓のようである。遠くから「退け、退けぇっ!」という声も聞こえてきた。
恐らく松笠菱の旗が目に見えたのだろう。此方の兵数が揃ってきたと判断したようだ。それは『奇麗な引き際』であった。
砦内は勝利に沸いている。俺はふぅと溜息を一つ吐いた。さて、反転攻勢と行きたいところだが、まずは兵に休息を与え、明智左馬助や山内一豊と合流することが先決だ。
「御屋形様、この機に追い首を取りましょうぞ!」
そう提案するのは武藤友益であった。確かに追撃は相手方に打撃を与えることが出来る。しかし、俺は消極的だった。敵方の雑兵も元を正せば駆り出された農民。討ち取るには忍びない。
かと言って追撃しないのも士気に関わる。これは武将首だけを狙って追撃を許可するべきだろう。
「わかった。上野介の追撃を許可する。ただし、小者や雑兵には目をくれるな。武将首、大将首だけを狙って追い打て!」
「承知仕った!」
手勢の百人を引き連れて勢い良く門から飛び出ていく武藤友益。それと入れ違いに入ってくる前田の又左。一仕事終えたという清々しい顔である。
「いやーぶちかましてやったぜ、おい。流石に予想してなかったのか、慌ててたなぁ!」
「後方に現れるなら使い番くらい寄越せ。後詰めが来るかどうかで兵の士気にも関わるのだぞ」
「まあまあ、大将。言うじゃないですか。『謀は密なるを良しとす』とな!」
そう言われたら何も言い返せん。いや、これはただの連絡漏れだろう。こいつには報連相の大切さも教えなければならない。密にした方が良いのか報告した方が良いのか。その判断の見極めが重要なのだ。
「其方の場合は『独断専行』だ。履き違えてくれるなよ」
「しかし、武藤のおっさんは何処に行ったんだ?」
「ああ、一色勢の追撃に出たのだ。俺達は砦で後続と合流してから向かうぞ」
又左の溜口をさらっと流しつつ何処へ向かったのかという質問に答えた。すると、又左の顔から段々と血の気が引いていく。
「大将、向こうで一色勢が待ち伏せしていたんだけど」
「……この馬鹿者っ! 何故それを早く言わん! 兵部は居るかっ!?」
どうやら引き返してくる時に見かけたようだ。抜かった。いとも容易く諦めるなとは思ったのだ。撤退は罠だったのか。嵌められたのはこちらぞ。どうする。友益を見捨てるか。
細川藤孝が慌ててこちらにやって来る。落ち着け。嵌められたのであれば仕返しすれば良いだけのこと。罠だと分かっているのであれば大丈夫だ。
「お呼びで」
「今、武藤上野介が追撃に出たのだが又左が言うには罠のようなのだ。兵を率いて連れ帰ってきてはくれぬだろうか。すまぬ」
「承知仕りました。なに、罠だと分かっているのであれば造作もございませぬ」
「もし、敵方が追撃してくるようであれば罠を張っておこう。上手く誘い出してくれ」
頷いて兵を三百程率いて駆け出して行った。俺は又左と共に種子島隊を率いて砦脇の茂みに隠れた。
「大将、城門は開けたままで?」
「構わん。まずは味方を逃がすことが肝要だ。それから敵方の横っ腹に種子島をお見舞いしてやれ」
「……」
又左は青白い顔をしている。どうやら責任を感じているようだ。それで言うなら責任を感じなければならないのは俺だ。友益を迂闊に送り出してしまった。一色の倅め。武勇優れると伺っていたが知略も備えているとは。
「何を呆けた面をしておる! 失敗したのであれば挽回すれば良い! 上野介と兵部を信じよ! 必ず助けるぞ!」
「は、はっ!」
両脇の茂みに種子島隊がそれぞれ二十ずつ。全部隊から種子島を搔き集めてきた。射線が被らないよう、互いに斜め前に向けて狙いを定める。まずは味方を全員逃がすことが先決だ。
心臓がバクバクと激しい音を立てる。それは反対側に潜んだ又左も砦に残った孫三郎も同じだろう。
足音が響いてくる。集団がこちらに向かっているようだ。全員、息を止めて趨勢を見守る。
最初にやって来たのは友益だ。良かった、生きていた。そのまま砦に飛び込み彼が引き連れていた兵も砦の門を潜る。そして殿が藤孝だ。全員が砦内に入ったのを見届けてから俺は手を挙げる。すると、全員が種子島を構えた。
「放てぇーっ!」
「ってぇー!」
どうやら又左が時を合わせてくれたようだ。両側から鉛玉が飛び交う。一色勢はどうやらこの反撃を予想していなかったようだ。斉射した後、すぐさま全員が砦内に入る。そして鉄城門を閉じれば一息付けるというものである。
上で孫三郎が矢を射かけ続けている中、俺は友益に近寄る。
「上野介、大事ないか!?」
「御屋形様、申し訳ございませぬ。またしてもおめおめと逃げ帰って参りました」
「何を申すか。元はと言えば俺が良く吟味せず其方を追撃に出したのが問題よ。すまん、堪忍してくれ」
そう言うと友益は目に涙を溜めていた。友益の心の手入れもしなければならないな。しかし、それはこの戦が終わってからだ。まずは被害状況を把握しなければ。
「孫三郎、死者と負傷者を調べてくれ。負傷者には手当を患部を良く洗って綺麗な布で止血してやれ」
「ははっ」
どうやら敵は引いてくれたようだ。謀られたのは痛かったが向こうも無理攻めと種子島での挟撃が効いているはず。被害は向こうの方が上だ。
更に内藤重政と山内一豊、明智左馬助と松宮清長が駆けつけてくれる手はずになっている。それで体勢を立て直して丹後にゆっくりと攻め込むとしよう。何なら築城するのもアリだ。
急いで取り込むことはしない。ゆっくり締め付けるように、蛇が卵を呑み込むように併呑するのだ。手始めは加佐郡である。当面の目標は田辺――現在の舞鶴――を手中に収めることである。
なので手始めは女布城を守る森脇相模守を篭絡するところからだ。厳しく接するか優しく接するか。優しくだろうな。飴と鞭だ。降伏するのであれば、所領は安堵する。これは他の国衆、領主全て同じ条件である。
しかし、一色式部の居城である建部山城があるのも加佐郡だ。田辺の西側にそれは建っている。つまり、加佐郡を手中に収めることは丹後を治めることと同義である。困難が予想されるだろう。
更に今回の戦に森脇相模守は加わっていなかった。となれば、懐柔する芽は有るとみて良いだろう。さて、どうしようか。
田辺は平地だが城が多く、押さえるのは困難だ。それであれば漢部――現在の綾部――はどうだろうか。
平地の多い漢部の西ではなく、山岳部の東側だ。君尾山に山城を築くのだ。麓は上林川と畑口川が交わる、水運に恵まれた場所である。若狭の高浜からも近く、悪くはない考えだ。
いや、駄目だ。漢部は丹後ではなく丹波だ。今は丹後に集中するべきである。それならば君尾山の丹後と丹波の境界線、やや丹後側に城を築くのが上策だろう。よし、その線で行こう。
問題は気候だな。豪雪地帯だと聞く。それであれば今の内に城を築いて前線地に仕上げた方が良いのか。食糧の生産力であればこちらが上だ。
従わないのであればまずは青田刈り、刈田と狼藉からだな。ただ、そんなことをしたら領民は勿論怒る。その怒りの矛先は領主と侵略者の両方だ。
そこで俺は救済策を出す。丹後の領民であれば食料を分け与える、と。つまり、領民から懐柔していこうという腹なのだ。領民がいなければ領主たり得ない。幸いにも食料なら分け与えるくらいの余裕はある。そこを突く。
「孫三郎、其方は女布城に赴き森脇相模守を説き伏せて来てはくれまいか。所領の安堵もする。説き伏せるのに必要だと判断されることは其方の権限で合意しても良い。だが、無理はするな」
「ははっ」
「兵部、其方は松田山城守を寝返らせよ」
「はっ」
「武藤上野介は松宮玄蕃允と共に築城を願いたい」
「どちらにでございまするか?」
「君尾山にだ。そこを拠点に丹後を切り取るぞ。麓には川があるはずだ。上手く築城せよ」
「ははっ」
残ったのは俺と前田又左衛門、それから熊谷伝左衛門の左衛門二人である。
まずは砦の補修から始めるとしようか。
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