丹後一色氏
永禄四年(一五六〇年)十二月 丹後国 加佐郡 建部山城 一色義定
「若狭の山猿どもが纏めて逝ったそうだな」
父である一色義道がそう述べる。その手には若狭で造られたという澄み酒が握られていた。その対の手は女人の胸元に伸びていた。なんとも武士とは思えぬ体たらく。
「そろそろ若狭を我らの物とするか」
父がそう声をかけると、周囲からは肯定の声しか響いてこなかった。それもそうだ。父の側近は佞臣と化しているのだから。父に苦言を呈する者は疎まれ遠ざけられ居なくなってしまった。
祖父であり名君であった一色義幸を亡くした丹後は混迷を極めていた。後を継いだ父上が領内に悪政を敷いたため人望に乏しく、そのために国衆の離反が相次いでいるのである。某が軽く嗜めてみる。
「しかし父上、公方様は何といたしましょう。公方様の甥御を攻めるのです。大義名分が必要となりましょう」
「そんなのはどうとでもなる。我らは三管四職の一色ぞ。幕府とて蔑ろにできるわけがなかろう。……しかし、そうだな、其の方の言にも一理ある。では若狭の子猿を保護するという名目で若狭に雪崩れ込もうではないか。子猿も父猿を失って心細かろう。儂が可愛がってやろうではないか。くっくっく」
父が下卑た笑いを上げる。こうなってしまってはもうどうすることもできない。しかし、父の願い空しく、攻め込むことはできないだろう。何故ならば金子が足りないからだ。
「しかし、攻め込むには金子が足りませぬ。兵も兵糧も足りませなんだ。どうかご再考を」
「そんなもの百姓どもから巻き上げれば良いではないか。何のための百姓ぞ!」
父が某に盃を投げてきた。それを避けずにただ耐える。どうやら百姓に税を課し、その金子で兵糧の類を買い足そうと言うのだ。しかし、それでは雑兵や中間、小者が集まらなくなってしまう。
「攻め込むのはいつをお考えでしょうか」
「早ければ年明けじゃ。遅くとも来年の六月までには攻め込むぞ」
父はそう述べて満足そうに頷いた。侍女に代わりの盃を持って来させる。そして再び若狭の澄み酒を呑み始めるのだ。それを見ては思う。勝てるわけがないと。
その澄み酒を大々的に売り出しているのが父上の言う小猿なのだ。今、若狭は生まれ変わろうとしている。商人と話していても若狭の話で持ち切りだ。
だというのに、父上は何も変わらない。御祖父様が居た頃が懐かしい。御祖父様が後二年、いや一年でもご存命ならばこうはならなかっただろうに。
佞臣達は父の決め事に頷くばかり。そして父の命だからと言ってそれを嵩に懸けて民百姓を追い詰めるのだ。竹野郡や熊野郡の国衆たちからは反発が起きるだろう。
そこに武田から調略の手が伸びたらと思うと身の毛もよだつ思いだ。この父の暴挙をどうやって止めれば良いのだろうか。評定が終わり、お開きとなる。
「あの……如何でしたか、兄上」
そう話しかけてきたのは弟の右馬三郎である。力なく首を横に振る。それだけで全てを察する、賢い子であった。しかし、それを父上に理解してもらえない以上、宝の持ち腐れだ。
「このままでは我らは滅びるだろうな」
自嘲気味にそう呟く。もし、父上が本当に若狭に攻め込んだ場合、返り討ちにあってそのまま若狭の武田が丹後まで雪崩れ込んでくるだろう。
「兄上……どうでしょう。このまま若狭に逃げ落ちては如何でしょうか」
右馬三郎がそう述べる。それは某を心配して心からの提案だろう。家督を継ぎたいからといった邪な思いはない。ただ純粋に某の命を慮ってくれているのである。
「いや、それは出来ぬ。仮にも当主の子、嫡男なのだから相応の振る舞いをしなければならぬのだ。其方こそ逃げよ。逃げて一色の血を残すのだ」
「いやでございます! 私も生き恥を曝しとうございませぬ!」
そう述べる右馬三郎。その気持ちは痛いほどよくわかる。しかし、誰かが恥を忍んで行わなければならないのだ。右馬三郎か、それとも叔父上か。
「某も最善を尽くす。右馬三郎も頼りにさせてもらうぞ」
「もちろんにございます!」
こうして、我ら一色兄弟による存亡をかけた戦がはじまるのであった。
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