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若狭評定

永禄四年(一五六〇年)十二月 若狭国 後瀬山城 武田氏館


 若狭にも冬が来た。もうすぐ、俺が当主の座を継いで一年が経とうとしていた。


 冬の間、百姓には田畑の開墾を奨励している。新たに開墾した土地は向こう五年間、税を半分に減税している。それだけで領民はやる気になってくれているようだ。ありがたいことである。


 しかし、だからと言って今までの田畑を疎かにするようならば考え物だが。その辺りは村長をしっかりと締めることにしよう。


 若狭はどうしても山が多い都合上、主な産物は麦や蕎麦になるだろう。それでも領内の生産性が上がるのは間違いない。俺としても歓迎したいところである。


 本当は六角の新たな領主となった六角義治に会うため、観音寺城へ人を遣わせたかったのだが、美濃との同盟という考えがどうも良くなかった。


 家督を継承し、当主となったにも拘わらず父の怒りを買って飯高山へ逼塞しているというのだ。重臣達も激しく叱責させられたという。つまり、会うことはできなかったのだ。残念。


 そんなことよりもまずは銭集めだ。開墾だけでなく田畑の改良も進めた。水田には田植定規を導入し、正条植えを推奨する。


 塩水選も行い、それから合鴨農法を……と言いたいところだが鴨が用意できなかった。仕方が無いので田鯉農法を導入することにする。


 田鯉農法の利点は雑草の生育と発芽を抑制してくれる点と土が鯉により撹拌され、土が豊かになる点だ。虫に関してはどうしても合鴨農法に劣るが導入しないよりはマシだ。


 水田で育った鯉も――味は置いておいて――食せない訳ではない。腹を満たすことは出来るのだ。それだけでも導入する価値があるというものである。


 それから田畑に関しては以前のたい肥が良く働いているらしい。大根が大きく太く実っていた。大豆も良く穫れている。所得と兵糧は着々と溜まり始めていた。


 年が明けてからというもの、バタバタと動きがあった。大きなものは六角と浅井の和睦だろう。

 これは公方が執り成した。どちらも三好に当てるためであろう。


 六角がもっとごねるかと思ったが、意外にもそのようなことはなかった。やはり、講和の条件を浅井が三好の先鋒となることを入れ込んだからに違いない。そこに足利の圧力だ。飲む他無いだろう。いや、他に密約があると考えるのが妥当かもしれない。


 これで浅井と三好が潰し合ってくれると踏んだ訳だ。しかし、この条件を浅井がすんなりと呑み込んだことが気がかりである。何か策があるのだろうか。残念ではあるが、現段階ではそれも分からない。


 良かったことと言えば公方がすんなりと火薬の秘伝書をくれたことだ。悪かったことは丹後守護の位を頂戴できなかったことである。


 どうやら元服していない者を守護に任ずることは出来ないというのだ。とても当たり前の正論を言われてしまった。それとも一色から剥奪するのを躊躇ったか。その両方だろうな。


 じゃあ、元服すれば良いじゃないかと思うかもしれないが、元服したらしたで厄介ごとが増えてしまう。まだ数えで十なのだ。元服は先延ばしにしておきたい。


「ふむ、困ったな」


 俺は明智十兵衛、沼田上野之助、細川藤孝、武田信景、内藤重政、熊谷伝左衛門の六名と評定を行っている。選定の理由は譜代と一門、それから若者を入れてみた。どうだろうか。


 そして今日の議題は勿論、富国強兵についてである。皆の手前、ああ言ってしまったが丹後を切り取るのはまだ先延ばしにしておきたい。まずは領内の仕置きを進めたいのだ。


「今動かせる兵は如何程か?」

「百姓は開墾に躍起になっておりまする。動かすと反感を買いましょう。即座に動かせるのは雇い兵のみで二百程かと。ただ、他国とは良好な関係を築けてござる。攻め入られる心配はないものと考え下され」


 武田信景が俺を安心させるようにそう述べる。違う、そうじゃない。そういうことを聞きたいわけではないのだ。雇い兵が少ないことを俺は憂いているのである。


 他国が攻めてこないなど気休めにしか過ぎない。事実、丹後と我らは犬猿の仲なのだ。俺が心許なしと見るや丹後一色は攻め込んでくるだろう。


「検地は進んでおるか?」

「進捗は四割ほどかと。終わるのは来年になるでしょう。御屋形様の考えで隠田の申告が上がっておりまする」


 十兵衛が答える。俺が考えた隠田を調査する方法は簡単である。自分から申告しない場合、税を課しただけだ。また、他の村の隠田を報告した場合は褒美を与えることにしてある。それで隠田が多数発覚したのだ。


 もちろん、自分で申告しても褒美を出すことにしている。そのお陰で他者に利を与え、自己に不利益を被るくらいならばと皆が申告してくれたのである。


「街道の整備は?」

「そちらも進めておりまする。河川の整備と街道の整備を並行して行っておりまする」


 上野之助が答えた。彼が責任者のようだ。上野之助ならば俺の意図を汲んでいるはずである。河川と街道を整備する目的は物流の効率化だ。者と物が動けば銭が動く。若狭が潤うのだ。


「良きに計らってくれ」

「ははっ」

「丹後の様子はどうか?」

「はっ、一色左京大夫の後を継いだ子の一色式部大輔は領内に悪政を敷き、人望乏しく丹後はまとまらぬ状態にございます」

「調略は進めてくれ。その様子であれば切り崩すこと容易であろう」

「承知いたしました」


 話し合いは続いていく。それから議題は丹後へと移っていった。丹後は我々若狭武田とは因縁深い相手である。


「一色式部大輔義道なる男は如何な男か?」


 俺がそう尋ねると先陣を切って答えたのは伝左であった。先程と重複した質問にはなるが、前回は丹後に対しての質問、今回は一色義道に対しての質問である。


「一色式部は領民に高い税を課し、人心、国衆悉く離れていると聞き及びまする。しかしながら但馬国の山名氏とは婚姻関係にあり、近頃は毛利にも近付いている模様にござる」


 その言葉に周囲が同調の首肯をする。それであれば国人達の調略は難しくないのかもしれない。しかし、これに異を唱えたのは叔父の武田信景であった。


「しかしながら嫡子の一色五郎義定は剛勇に優れ、家臣からも一目置かれているとの由。努々油断なされぬよう」


 成る程。現当主が暗愚であるが故に嫡子が優秀になってしまう例か。春秋戦国時代の趙の末期を見ているかのようだ。それであれば一色義道と一色義定を反目させるのも有りかもしれない。


「丹後の領主、国衆達の調略は如何か?」

「領主や国衆となると主だった者は森脇相模守宗坡、松田山城守頼通、高屋駿河守良栄、稲富相模守直時、矢野弥三郎政秀など、この辺りでしょう」

「松田殿は御家人にございますれば某に伝手がございまする」


 上野之助が領主達の名を上げるとそれに呼応したのは細川藤孝であった。ふむ、流石に全てを調略するのは骨が折れるし時間もかかる。何か良い手立ては無いものか。


「では兵部は調略を頼む。日和見でも構わん。戦になったとき、加わらないだけでも儲けものだ」

「はっ」

「他の者も手当たり次第に調略をかけよ。敵か味方かをはっきりとさせるのだ」

「「「ははっ」」」

「お待ち下され」


 皆が従った中、そう言って待ったをかけたのは重臣である内藤重政である。こういう言い難いことを当然の様に述べてくれる家臣は重宝する。俺は内藤重政に話を振った。


「如何した?」

「手当たり次第に調略をかけるのは如何なものかと。悪戯に一色の反感を買うだけではござらぬか?」

「ふむ……内藤の言も尤もである。しかし、ただ手を拱いているだけではじりじりと貧するだけである。動くのならば弱いところに仕掛けるべきだ。義憤にかられ強い相手に挑む道理はない」


 今回、俺が狙っているのは「誘い」である。これに反感を覚えて国境の吉坂峠砦に攻め込んでもらう予定なのだ。それを迎え撃ち、返す刀で丹後に攻め込むのである。


 俺の想定通りだと、来年か再来年に攻め込んで貰うのだ。今は領内の仕置きを進め、来年以降に攻め込ませる。そのために少しずつちょっかいをかけるのである。


「成る程。それでは手っ取り早く丹後の田畑を荒らせば良いのでは。今は時が惜しい頃かと」

「叔父上の意見は最もだが丹後を手に入れた後の統治が難しくなる。此方で人心を手放してはいかん。時は惜しいが……そうだな。風聞を流すとしようか」


 叔父の武田信景が性急な案を出してきた。時間は全く惜しくない、それどころか引き伸ばしたいのでこう言っておいた。


 また、その後の統治を考えると強くは出られないのは事実である。そこで丹後にいくつかの噂を流すことにする。


 一つは丹後守護の一色義道が腰抜けで若狭武田の元服前の小倅に尻込みしているという噂。もう一つは若狭武田の小倅が一色義道を侮り攻め込む様相を見せているという噂だ。


 これにどう反応するかでまずは出方を伺おうと思う。慎重に対処しようとしているのであれば尻込みの噂を強くして国衆を取り込む。逆に憤りを見せているのであれば侮りの噂を強めるのだ。


「この噂を流す役目は黒川衆に任せる」

「はっ」


 いつの間にか背後に控えていた与四郎がそう述べる。これには俺のみならず一同が驚いていた。そりゃそうだ。居ないと思っていたのだから。しかし、良い機会だ。皆に紹介しておこう。


「えーと、俺が個人的に召し抱えている細作の黒川衆だ。彼が棟梁の黒川与四郎である。与四郎、丹後に草の者は仕込んでおるか?」

「勿論にござる」

「話は聞いていたな?」


 そう尋ねると不愛想な顔のままコクンと一つ、頷いた。これで噂を広めることは容易そうだ。ああ、細作を召し抱えていて良かったと心から思う。


「では頼んだ」

「はっ」


 そう言って与四郎は居なくなってしまった。皆は未だ戸惑っている。驚いていないのは唯一、事情を知っていた伝左だけだ。


 十兵衛と上野之助も驚いていたが、すぐに腹落ちしていた。どうせ俺のやることだからと納得したのだろう。これは長い付き合いだから行える所業だ。


 逆に細川藤孝、武田信景、内藤重政の三人は面食らったままだ。そんなに細作を用いるのが珍しいかね。六角や甲斐武田、織田も用いているであろうに。


「御屋形様、火急の知らせにござる」


 そんな時、今度は息子の与左衛門が評定の間の外から声を掛けてきた。火急の知らせとは不穏な響きである。俺は一言「申せ」とだけ告げる。皆も静まり返って与左衛門の言葉を待った。


「三好修理大夫長慶が弟、十河讃岐守一存が遠行との由」

「なんと!」


 評定の間が、揺れた。ここで鬼十河と呼ばれた猛者が逝くとは。まだ三十かそこらであろうに。これは我が武田にとっても一大事である。


 それは何故か。足利将軍家が三好征伐に乗り出すからである。六角と浅井を扇動して戦を仕掛けるだろうな。畠山や北畠も動かす可能性も出てきた。さて、どうする。丹後に攻め込む余裕はあるのか。


 与左衛門はまだ立ち去らない。どうやらまだ伝えなければならないことがあるようだ。促してから与左衛門の言葉を待つ。次に出てきた言葉は俺を悩ますのに十分な言葉であった。


「十河讃岐守殿、松永弾正に密かに弑されたと囁かれておりまする」


 その言葉で再び評定の間が揺れた。権力争いだろうか。松永と十河は反りが合わなかったようだ。


 さて、どうする。俺は松永に与している。松永は三好に反旗を翻すだろうか。


「いや、方針は変えん。まずは丹後だ。叔父上、吉坂峠砦の守りを固める普請をしてくれ。急がぬが兵は三百は常駐させて欲しい。各々方、そのように心するように」

「「「「はっ」」」」


 評定を終わらせ、一人で思案に暮れる。この好機を公方が逃すだろうか。いや、ない。必ずや事を起こすに違いないと確信できる。では、起こすとしたら何時だ。農閑期の六月か七月だ。


 参戦の命が来た場合、一色と朝倉が参戦するならば馳せ参じると伝えよう。大事なのは我が身、我が領だ。

 動かせる兵の数を確認する。農民兵がおよそ七百。銭で雇った兵が五百というところだ。


 しかし、これを全軍動かせる訳ではない。東の朝倉の抑えに五百は残しておきたい。となると、動かせるのは七百である。七百で果たして丹後を切り取れるのか。雇い兵を増やし、百姓達とも話を付けなければならん。


 悩みの種は尽きそうもない。ただ、今はどうすることもできないのであった。

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