義輝の病気
永禄四年(一五六〇年)十一月 若狭国 後瀬山城 武田氏館
まだ寒さが残る日に足利義輝の使者を名乗る男がやってきた。名を安田信行と名乗ったが、みるからに粟屋勝久である。人払いをしておいて正解であった。さて、何用だろうか。察しは付くが。
「して、今日はどうしたというのだ。越中」
「安田越前守にございます。御間違いなされてるのでは?」
人払いを済ませてあるので砕けた口調で話しかける。本来ならば将軍の使者は将軍と同じである。つまり、同じように持て成さなければならないのだ。しかし、粟屋も気にしていないようである。このまま話を続けよう。
「公方様がしきりに三好を討てと。こちらがその檄文にございまする」
「また面倒なことを」
書状を受け取る。どうやら義輝は六角と浅井、朝倉。それから畠山と北畠に我ら若狭武田を加えて三好を討伐するとのことだ。俺は檄文を無造作に投げ捨てる。
総大将は勿論足利義輝だが、それを補佐するのは六角義賢ということだ。そこに畠山と北畠、そして若狭武田が続くらしい。先鋒はまたしても浅井とのこと。全く持って諦めていないようである。
まずは六角と浅井の和睦を取り成すことができるかどうかである。それ如何で将軍の面目を保てるかどうかに関わってくる。どんな和睦の条件を出すか。見ものだ。
「上手く行くとお思いなのだろうか?」
「そう思われているから檄文を発布しているのでは?」
「そうだったな。失言だ。して、公方様は何と?」
「若狭武田の孫犬丸は我が子も同然、必ずや我が意思を汲んでくれるだろう、と」
そこまで聞いて俺は頭を押さえた。何故この時期に動きを見せたのだろうか。頼りの今川義元が織田信長に討たれたので焦っているのではないだろうか。
「公方様のご様子は?」
「各地の調停を頻繁に行っておりまする。島津と大友、尼子と毛利、そして松平と今川も調停する所存にございまする」
そうやって和睦の使者として存在感を高めようという意図だろうか。さて、この中の何人が義輝に呼応するだろうか。俺一人が声を上げたところで何も変わることはない。
「我等としても力になりたいところではあるが、何せ丹後との諍いが収まらぬ」
「それであれば公方様ご自身が仲介なさると仰せにございます」
また厄介なことをしてくれる。ここまで来ると、わざと邪魔をしているのかと勘繰りたくなってしまう。さて、どう切り抜けようか。
「いや、待て待て。六角と浅井、朝倉。北畠に畠山が呼応するのだな。それらが立ち上がるのであれば我等武田も公方様の御元に馳せ参じると伝えてくれ。仲介は無用」
「つまり、彼らの一人でも不参加であるのならば協力しないということにございますね?」
「そういうことだ。そこは気付かせぬよう、手心を加えてくれ」
改めて思う。粟屋勝久を生かして将軍家に潜り込ませて良かったと。俺の見立てでは全員が参加することはない。六角と浅井の戦が終わったばかりだぞ。
恐らく、それも仲裁すると公方は言い出すのだろう。それでは人心は掌握することはできないぞ。何も理解していない。溜め息が出る程に。
「公方様はまだ三好に拘っているのか。三好と共存する気は無いのか?」
「ございませぬな」
三好を討ったとしても、第二第三の三好が現れるだけである。六角も織田も自分達が後ろ盾になった暁には将軍を操り人形が如く扱いたいだけに過ぎないと何故気が付かないのか。
いや、違う。気が付いているのか。そしてそれを良しと出来ないのだ。名門の矜持というやつだろう。そんな役に立たないもの、犬にでも食わせておけば良いものを。
「六角も朝倉もどうせ動かん。良いように伝えておいてくれ」
「承知いたした」
「そうだ。そろそろ妻子をそちらに向かわせる手はずが整う。今回の事、上手く取り計らってくれ」
やはり将軍は何度も軍を動かせと催促してくるか。どちらにしても浅井と手を組むのは無理だ。家臣が反発するに違いない。それをどうして理解できないのか。してくれないのか。
「もう駄目だな」
俺は将軍を信じるのを止めた。いや、前々から信じていなかったが、金輪際、彼らの言うことは聞くまい。
まずは我等のこと。家臣のことを第一に考えるべきである。俺は国主になったのだ。その義務がある。心に誓ったのであった。
◇ ◇ ◇
時を同じくして先の戦を受けて六角で代替わりが発生した。六角義賢が息子の六角義治に家督を譲ったのだ。
とは言え、息子の六角義治は齢十五、六。まだまだ経験不足が否めないはず。などと自分のことを棚に上げてそう考える。
代替わりの最初の政策として美濃の一色と盟を結ぼうと画策しているらしい。しかし、父の義賢が良い顔をしないのだとか。代替わりしても実権はまだ義賢が握っているようだ。
上記の理由もあってか、親子仲は良好とは言えないようである。さて、ここはどちらに付くべきであろう。
美濃との同盟は明らかに浅井を意識してのこと。それであれば息子と仲良くしても良いかもしれない。
では、何故家督を譲ったのか。それは先の戦で勝てなかったこと。そして公方からしきりに三好を討てと尻を叩かれていることが大きいだろう。
代替わりした故、家中穏やかならじ。そう答えて参戦を拒否したのだろう。六角が拒否したとあらば畠山、北畠も拒否を示す。その良い口実となったはず。
これで脆くも将軍の夢は露と消えたのであった。自分の考えの浅はかさを反省するか、それともこの責を周りに押し付けるのか。
とかく、我らが将軍を利用こそすれ、協力することは無くなっていくのだろう。
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