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上野之助と麝香と兵部

永禄三年(一五六〇年)九月 若狭国 後瀬山城 武田氏館


「驚いた。上野之助、どのような手を使ったのだ?」


 俺は細川藤孝が上野之助と供にやって来たとの知らせを受けて腰を抜かす程驚いていた。それと同時に自分の至らなさを痛感する。現代の知識があるから説得できると言う訳ではないのだと。


 俺は藤孝に会う前にどうやって篭絡したのか、その手練手管を上野之助から聞き出すことにした。


「手練手管とは人聞きの悪い。誠心誠意をもって接しただけにございまする」


 笑顔でそう前置きを置いてから上野之助がゆっくりと語り始めた。


◇ ◇ ◇


~沼田上野之助の場合~


 御屋形様は粟屋越中守を何とかしたいと頭を悩ませていた。心お優しい御屋形様である。お味方と敵方、両方の気持ちを汲んでくれる御屋形様である。それ故に危うい。


 そんな御屋形様のために一肌脱いであげたい。最初はそんな気持ちだった。しかし、それと同時に自分の中に沸々と欲が湧いて来たのだ。自分の考えた策がどこまで通用するのか、という欲が。


「おい、起きろ」


 深夜。朔日を選んで粟屋越中の牢に潜り込む。事前に御屋形様には話し済みだ。牢番も某の手の者に変えさせてもらっている。二度、粟屋越中の頰を叩く。


「んっ、うん? 何事だ?」

「ここを出してやる。支度をしろ」


 理解が追いついていない粟屋越中守を無理やり覚醒させて、事情も説明しないままに準備を急かす。

 準備をさせるのは簡単だった。妻子を人質にすれば粟屋越中守はすぐに動いたからだ。


「よし、では向かうぞ」

「何処へだ!? 何をする気だっ!?」

「静かにしろ。追って道中に説明する」


 そう言い聞かせて粟屋越中を京へと連れて行く。牢には過去の戦で戦死した遺体を入れて火を放った。粟屋越中が死んだと偽装するためだ。妻子は安全な場所で匿うことにする。


 そして宣言通り、その道中に彼を何処に連れて行くのか、そして何故連れて行くのかを説明することにした。


「御屋形様の御慈悲でお主を生かしておくことにした。有り難く思え」

「……」


 粟屋越中は黙って聞いている。どうやら今だに訝しんでいるようだ。某は話を続ける。


「しかし、若狭に置いておくことは出来ぬ。そこで、其方には公方様のお側で励んでもらうことにした。分かるな?」


 早い話が連絡役である。京で起こったこと、将軍の側で起こったことを御屋形様に一早くお伝えするのが粟屋越中の新たな任なのだ。そして拒否権は無い。拒めばそれこそ妻子の身が危ない。


「能うか?」

「白々しい。能わなくてもやらせるのであろう」


 此の期に及んで未だに悪態を吐く粟屋越中守。これには流石の某も頭に来てしまった。軽く言い返す。


「御屋形様のご厚意で生かされていることを努努忘れるでないぞ」


 道中で更に身なりを整える。見た目はそのまま能力に直結するのだ。少しでも良いように振る舞わせる。その辺りの心配はしていない。粟屋は腐っても有能な男なのである。


 まずは細川兵部の屋敷を訪ねた。実は、某は細川兵部とは昵懇の仲である。というのも、細川兵部が某の妹に熱を上げているからだ。


 細川兵部の屋敷に到着したのは夜が明けてからであった。中に入れてもらい、細川兵部に面会を求める。すると、一刻もせずに細川兵部が某達の前に現れた。


「これは上野之助殿。如何なされましたかな?」

「細川兵部殿にお願いの儀があって参上仕った次第にござる。この者、あ……安田越中守と申す者なれば佐幕の志強く、是非とも公方様のお側にと御屋形様が仰られてございまする」

「成る程、その取次を頼みたい。とう言うことにございますな」

「是非に」


 そう述べて頭を下げる。勿論、これだけだと交渉材料として弱いのは熟知している。そこでこれの出番だ。


「これは我が御屋形様からの心付けにございますれば」


 そう言って箱を渡す。中身はもちろん銭だ。といっても大した額ではない。ほんの五貫程である。五貫を大した額ではないと言い切れる日が来るとは思わなかった。十年前の自分だったら考えられないことだ。


 そう思うと御屋形様が生まれてから大分様変わりしたように思う。もしやすると、御屋形様が日ノ本をも変えてくれるやも。いや、それは夢を見過ぎか。

「……こちらはお返し致す。その者、佐幕の志が強い者であれば願っても無い。こちらからお願いしたく存じ上げる。早速、公方様に話を通しに参りましょう。暫しお待ち下され」


 よかった。これで最初の関門は突破した。あとは公方様の面前次第というところだろうか。

 粟屋越中守も余計なことを口走らなかった。どうやら己の置かれた状況を理解し、どうするのが最適なのか把握したのだろう。彼に相対し、きちんと釘を刺しておく。


「御屋形様はきちんと働けば妻子も返すとの仰せだ」

「……」

「考えてもみよ。打ち首を止めて其方に生きる道を与えたのだぞ。今更嘘を吐く道理が無い」


 そう。冷静になって考えれば分かるはずなのだ。御屋形様の温情にて生かされていると。それを理解したのかどうか。表情からは全く読めん。相変わらずの狸ぶりである。


「そうか。そうだな。其方の言う通りだ」


 本当に理解しているのかどうか定かではないが、そう呟く粟屋越中守。その時、細川兵部の使いの者が来て我ら共々、御所へと呼ばれてしまった。後は出たとこ勝負だ。某の舌先と粟屋越中守の態度を信じよう。


 越中と共に御所へと赴く。近習から小姓まで見るからに鼻持ちならない、お歴々の方々しか御所には居なかった。そう思うと下男まで鼻持ちならなく見えてくるから人間というものは不思議である。


「こちらでお待ち下され」

「承知いたした」


 御所の一室で待つ。相手は公方様だ。おいそれと時間は割けないということだろう。直ぐに会ってしまったら暇だと思われる。それは沽券に関わると思っているのだ。くだらない。


「お待たせしました。此方へ」


 別の者が迎えに来る。その者の後をついて公方様の待つ部屋へと入った。伏し目がちに入室し、顔を上げないまま平伏して口上を述べる。


「公方様に於かれましては益々のご健勝、御喜び申し上げまする。某、武田孫犬丸様の命により馳せ参じましてございまする」


 これは皮肉が過ぎただろうか。ご健勝ではあるだろうが、それだけだ。戦も三好に押され、改元まで許してしまった。今は健康しか取り柄が無いのだ。


「それは兵部から聞いておる。人を推挙したいとのことであったな」


 公方様は怒も哀も示されずに用件を述べた。どうやら心が少しずつ強くなっているようだ。それもそうか。弱いままだと淘汰されて終わりだ。少しでも強くならなければ。


「はっ。御屋形様が是非にと。我が武田家は公方様の忠実な臣であるとの仰せにございました。そこで佐幕の志が強く、戦に秀でた安田越中守を寄騎としてお加え下さるよう、平にお願い申し上げまする」


 そこで言葉を一度区切る。厄介払いであることは察されているだろうか。粟屋と逸見は青井将監から謀反人であるという報告は受けているはずだ。ただ、名前も変えているし面も割れていない。大丈夫のはずである。


 そして、断ることも出来ないはずである。断れば御屋形様との関係が拗れてしまう。それを口実に御屋形様が公方様の許から離れていくことが可能なのだ。これは、御屋形様を離して良いのかどうか、を公方様に問うているのである。


「其の方、名を何と申す」

「はっ。沼田上野之助祐光と申しまする」

「では上野之助よ。安田越中を迎え入れたとして、どのような利があると申すのか?」

「まず、我が武田と公方様の結びつきが更に強うなります。連絡も密になりましょうな。有事の際は御屋形様が京へ翔ぶが如く参るでしょう。また、安田越中は武田の内情にも精通しておりまする。つまり、後見である公方様には何一つ隠し立てするつもりがないという御屋形様の御意思にございますれば」


 この辺りで納得していただけると有り難い。難しいだろうか。難しいだろうな。見方によっては武田が間者を御所に送り込んだと見ることが出来る。それであれば、如何するか。


「もう一つ、お願いしたき儀がございます」

「申してみよ」

「願わくば細川兵部大輔殿を御屋形様の寄騎に」


 この一言で場が騒然とする。当の細川兵部大輔も動揺しているのが分かった。

 何も伊達や酔狂でこの言葉を放った訳ではない。この一言には様々な狙いがあるのだ。


 当たり前だが幕臣の中でも序列は存在する。細川兵部大輔のことを面白く思っていない連中は某の提案に賛同してくるだろう。それに細川兵部大輔を送り込むことはそう悪いことではない。


 これで諸手を上げて賛同してくれるのは側近である上野殿と進士殿であろう。近臣として確固たる地位を築くことができるのだ。


 こちらから粟屋越中守を送ったように、御所からも細川兵部大輔を送る。互いに情報を渡し合いましょうというご提案を暗にしているのだ。探られて痛い腹が無い訳ではないが、細川兵部大輔が相手なら何とかなる。


 まず、御屋形様の身内であることが大きい。更に我が妹を娶ったならば某の義弟にもなるのだ。そこまで足を突っ込めばもう後戻りは出来ぬ。彼の者は武田の忠臣となるだろう。


 御屋形様はご本人に話を持って行ったから駄目だったのだ。こういう場合は公方様に許可をいただき、公方様の命としてもらうのである。


 当分は足利将軍家と若狭武田家の両家の忠臣という立場で問題はない。我らも将軍家に弓引くつもりは無いのだから。さて、公方様と幕臣達はどう出るか。


 公方様も細川兵部を疎んじ始めていると聞く。どうも正論の小言が多い様なのだ。こればかりは仕方がない。公方様は日ノ本中の武の棟梁。息苦しいであろうな。


 仲違いして居る今なら引き抜くことができるはずである。


「ふっ。殊勝なことよな。妹が可愛いのか?」

「は?」

「そう隠さんでも分かる。儂にも妹は居るでな。可愛がっておった故、嫁に出すときは心の臓が掴まれる思いだった。今、武田豆州が討たれ悲しみに暮れているのであろうな」

「は……ははっ」


 何を勘違いしたのか、公方様がご自身の妹の気持ちを慮って涙していた。どうやら、某は妹思いの良き兄と言うことになりつつあるらしい。


 こう見ると思慮深く、臣下想いの良い将軍に思う。しかし半面、思い込みが強く、そうと決めたら引かないのはいただけないが。


「京は戦乱が絶えぬ故、妹の婿を近くに置いておきたいのだろう。有事の際に助けられるように。相わかった。其の方の思いを汲んで細川兵部を武田家の寄騎に致す」

「ははっ、有り難き幸せにございまする。こちら、我が御屋形様からの手土産にございまする」


 此処で後出しで手土産を渡す。本来ならば怒られるのだが、怒られたり窘められたりすることはなかった。何故ならば、手土産と言うのは銭だからである。その金額は百貫。我が主は段銭は出さないが、見返りの銭は出すようだ。


 それくらいの額であれば容易く出せることをまざまざと見せつけたのだ。武田には銭がある。公方様はそう思ったことだろう。


「それでは某はこちらで失礼仕る。貴殿はしかと励まれよ」

「はっ」


 こうして、某の考えた策は面白い程に嵌まり、御屋形様のお望みを叶えたのであった。


◇ ◇ ◇


「という次第にござる」

「成る程。其の方が切れ者だというのは知っておったが此処までとは。これからも頼りにするぞ」


 そう言うと上野之助はむず痒そうな表情を浮かべた。しかし、それも一瞬。直ぐにいつもの具合の悪そうな表情に戻り、俺に一言こう述べた。


「お叱りになりませんので?」

「何を叱ることがある」

「勝手に金子を使ったのですぞ。それも百貫という大金を」


 確かに。上野之助の言うことは最もである。勝手に金子を使い込まれていざという時に金欠に陥っていては元も子もない。しかし、これは俺が上野之助を信じている証でもあるのだ。それを説明しなければ。


「よく言うではないか。『謀は密なるを良しとす』と。百貫が我が武田に優位に働くと判断したから支払ったのであろう。それであればその判断に異を唱えることはない。もし、口を挟むとするならば其方の心が武田から離れた時だな」


 冗談交じりにそう述べる。そもそもの話、俺はそんな高度な駆け引きについていくことは出来ないのだから。

 何はともあれ心強い味方が増えた。上野之助と共に細川兵部の許へと向かう。


 彼は後瀬山城の一室に通され、俺のことを待っていた。


「細川兵部殿、いや叔父御殿とお呼びした方がよろしいでしょうか?」

「与一郎とお呼び下され。これからは足利と武田のため、粉骨砕身の想いでお仕えいたしまする」


 流石に与一郎と呼ぶことは出来ない。やはり兵部と呼ばせてもらうことにしよう。早速だが兵部にはお使いに行ってきてもらおう。


「兵部、三つ程頼みがあるのだが」

「何でしょう?」

「公方様の所へ赴いて訪ねてきて欲しいのだ。一つ目は大友から譲り受けたという火薬の秘伝書を書き写させて欲しいという願い。二つ目は私を祖先の元信に倣い、丹後守護に任じて欲しいという願いだ」


 そう述べると難色を示す細川兵部。うん、俺自身も無理難題を述べていると思っている。だが、こちらには切れる札が何枚も残っているのだ。


 本来、官位は朝廷に願い出るものだが、今回は官位ではなく守護職だ。それならば朝廷ではなく幕府、つまり将軍の範疇となる。


「勿論タダでとは言わん。銭も御贈りするが、銭の他に三好を牽制する方法を実行しようというのだ。実はな―—」

「―—なんと!」


 この兵部の反応を見る限り、悪くはなさそうだ。道筋は出来たのだが兵部の顔色は芳しくない。如何したのかと尋ねるとこんな答えが返ってきた。


「残りの一つの頼みとは何でございましょう?」

「ああ、其方と上野之助の妹の祝言が決まったら教えてくれというものだ」


 そう言って下卑た笑みを浮かべたのであった。

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