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粟屋越中

永禄三年(一五六〇年)八月 若狭国 後瀬山城 武田氏館


「ご報告にござる」


 そう言って部屋にやって来たのは明智十兵衛であった。俺は筆を止めて十兵衛に向き直る。

 十兵衛は静かに、ただ淡々とすました顔でこう述べた。


「粟屋越中守の妻子、一族郎党全てを捕らえましてございます」

「そうか、会おう。ついでだ。粟屋越中も引っ立てよ」

「はっ」


 そう言うと十兵衛は静かに立ち去って行った。さて、粟屋の処遇をどうするべきか。また新たな悩み事が生まれてしまった。粟屋も逸見も若狭武田の宿老なんて呼ばれているが、謀反を絶えず起こしている。


 粟屋一族は若狭に深く関わり過ぎている。安芸武田の時からの重臣である。今では安芸武田を裏切って毛利についているらしいが、若狭でも武田を悉く裏切ってくれたものである。許すまじ。


 正直に言うと手に余る人材だ。しかし、有能なのも事実である。惜しいとは思うが火種は消しておきたい。この手の輩は妻子を人質にしても裏切るものである。処断するしかないのだろうか。


 早計過ぎる。会って為人を確認してから判断しよう。俺は信景や十兵衛から聞いた粟屋越中しか知らない。一度、腹を割って話してみても良いかもしれない。


 中庭に粟屋越中とその一族郎党が縄で縛られ、地面に座らされていた。恐らく十兵衛が手配してくれたのだろう。流石は十兵衛。手際が良い。俺は粟屋越中を真っ直ぐ見る。


「粟屋越中、何か申し開きはあるか?」

「……ござらん。敗軍の将に語る兵は無い」


 諦観とも後悔とも取れる表情を浮かべる粟屋越中守。それは視界に家族が映っているからだろうか。そして、これから下される沙汰を案じてのことだろうか。


「さて、これからのことを話さなければならん。越中、何度も我らが武田を裏切っては謀反を繰り返してきたな。この罪、軽いとは申せまい。こうなってしまった以上、一族郎党ことごとく根伐りにする他ない。分かるな?」


 そう言うと辺りに緊張が走った。特に妻子の方から。越中の妻は気丈に振舞っているが、小刻みに震えているのが分かる。子ども達も泣かんと必死に耐えていた。


 しかし、頭では理解できていても俺の心が拒否していた。ここは厳しく処断しないと謀反をしても許されると思われてしまうのにだ。どうにか助けてあげられないか考えてしまっているのだ。これは偽善であろうか。


「……妻と子は、関係ござらん」


 力無くそう述べる粟屋勝久。しかし、その発言が許されるとは本人も思っていないようだ。三親等までは殺されてしまうだろう。妻子なんて必ず殺されると言っても過言ではない。


「逸見駿河守は敵わぬと見て自ら果てたぞ。それに比べ其方はどうだ。おめおめと生き延びて、恥を知らんか!」


 そうは言ったが俺としては泥水を啜ってでも生き延びる方に好感が持てる。最後まで諦めなかった証拠だ。


 しかし、国主という建前上、そう言うことも出来ずに激しく粟屋勝久を罵倒した。心が痛む。


「だが、我が武田に仕え励んでてくれたせめてもの情けだ。別れの時間はくれてやる。此奴等を縛り上げて牢にぶち込んでおけ!」

「はっ」


 そう告げて此処を後にする。どうだろう。信賞必罰の微妙な均衡を保てているだろうか。ドクドクと緊張の心音を響かせながら立ち去った。そして考える。あの粟屋越中守を上手く利用する方法を。


 もし仮に、本当に一族郎党を根切りにしてしまった場合、どんな損得が発生するだろうか。まず、得の方は周囲に示しが付く。以上。


 損はどんなことがあるか。もし、粟屋勝久に親しい者、逃れた親族が居たら俺を敵視するだろうな。そう考えたら殺さずとも追放で許してやりたい気もする。しかし、それだと示しが付かない。


「何やらお悩みのご様子ですな」


 そう述べてきたのは一部始終を見ていた沼田上野之助であった。相変わらず顔色が悪い。もうこの顔色が初期状態なのだろう。俺を心配そうに見ているから、更に顔色が悪く見えてしまう。


 どうやら俺に何度か声を掛けていたようだ。全く気が付かなかった。俺は頭を振って邪念を払い、上野之助に相対する。


「いや、ちょっとな。それで如何した?」

「金子を献上に参上仕りました次第に」


 そう言って上野之助は両手で抱えていた箱を軽く持ち上げる。彼を自室に招いて政の話と洒落込むことにした。


 まずは上野之助が持って来た箱の中身を確認する。軽く見積もって十貫はありそうだ。それだけの銭でも今の俺にはありがたい。


「上野之助、一月の利益は如何程か?」

「我が熊川だけでもざっと三百貫に。十兵衛殿も同じくらいあるかと」


 上野之助の領地は広くはない。それなのにここまで稼げているのは偏に椎茸と蒸留酒のお陰だろう。十兵衛は澄酒を量産して敦賀の湊に卸しているから数で利益を出しているに違いない。


 出来れば椎茸の栽培方法と蒸留酒の製造法は門外不出にしておきたい。であれば、他の領主達が稼ぐ方法を探さねば。澄酒だけでは稼ぎに限界が来てしまう。


「蕎麦は如何であろう?」

「蕎麦……ああ、蕎麦切りでございますな。そちらも御屋形様の仰る通りに製麺することは出来たのですが……」

「だが?」

「蕎麦を乾燥させて乾麺の状態にするのが難しく……難儀しておりまする」

「そう難しく考えることはない。要は索餅と同じよ。その要領で行えば必ずや成功するであろう」

「はっ」


 そう言って頭を下げる。まだ開発を始めて数か月しか経っていないのだ。直ぐに成果を求める方が酷と言うものである。


 索餅とは奈良時代から伝わる素麺の原型のようなものである。小麦粉を水で練り、塩を加え縄状にした食品で、乾燥させて保存させているのだ。その乾燥を参考にしろと伝えているのである。


 それよりも折角、新庄に屋形を建てて貰ったのに台無しになってしまったな。


 祖父も父も亡くなり、俺が新庄に移る必要が無くなってしまったからだ。これを有効活用出来ないものだろうか。


「山内伊右衛門はどうだ?」

「まだまだ頼りない部分はございますが家臣の祖父江勘左衛門、五藤吉兵衛の両名がしかと手綱を握って良い方向へと導いておりまする」

「そうか。では、山内伊右衛門に新庄を任せてみるか。関の数も減り、楽市と楽座を始めた今、物流は重要だ。敦賀から熊川を通り京へ荷が運びやすくなると商いが盛んになる。それを伊右衛門にも奨励させよう」

「畏まりましてございます」


 良い傾向だ。当主の座を継いで判明したのだが、若狭武田には借銭が多くある。踏み倒すことも出来るが、それだと商人と良好な関係を築くことなど出来ない。この案は以前にも却下した。


 何故借銭が多かったかが判明した。それは幕府や朝廷への段銭。それに祖父の銭使いの荒さに起因する。公家を招いての犬追いに連歌。なまじ京から近いだけに催しやすかったと思われる。


 まず、段銭を減らす。もう見栄も減ったくれもない。外に献上する銭があったら内政を充実させるのだ。その減らした段銭を借銭の返済に回すことにする。流石に一度には返せない額だったからだ。これも決めたことである。


 それから軍備の拡充や領地内の差配のことなどを上野之助と話し合った。そして一通り話し合った後、上野之助が俺にこう切り出してきた。


「先程は何をお悩みになられていたので?」

「ん? ああ、粟屋越中守のことよ。今は牢に入れてあるが、磔刑に処すには忍びないな、と。何か有用に使うことは出来んものかと考えていたのだ」


 こんなことを述べたら甘い君主だと思われないだろうか。愚痴を零してからはたと気が付く。しかし、覆水は盆に返らない。上野之助の反応を窺った。


「そうですな。それであれば某に一計がございまする」

「ほう、詳しく聞こう。近う寄れ」

「では失礼して」


 上野之助はどうやら気にしていないようである。それよりも粟屋勝久を上手く利用する方法を考えてくれた。彼は信頼できる家臣である。その考えというのはこういうものであった。


 まず、粟屋勝久を殺したことに仕立て上げる。そして彼を内密に公方のところ、つまり足利将軍家へと送り込むのだ。俺と伯父である足利義輝の連絡役を担ってもらうのだとか。


 それであれば粟屋勝久に謀反は出来まい。裏切るとなると将軍家に弓引くことになるのだから。それが出来るのは三好か織田くらいなものである。更に最後に衝撃的な言葉が上野之助の口から飛び出してきた。


「粟屋越中守を足利将軍家に送る代わりに細川兵部をこちらに貰いまする」

「……細川兵部には先日、断られたばかりだが何か手があるのか?」

「はっ。某にお任せ下されば必ずや」


 どうやら上野之助は細川藤孝を引き込む心算があるようだ。それであれば深くは聞くまい。彼の言葉を信じるのみである。


「分かった。この件は全て其方に一任する。結果だけ報告してくれたらそれで構わんぞ」

「承知仕りました。必ずや上手く事を運んで見せましょう」


 そう言った上野之助。まさか彼が本当に細川藤孝を連れてくるとは。心の何処かで彼を信じていなかったのを謝りたい。俺は細川藤孝とこの後瀬山城で再び相対するのであった。

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