砕導山城
若狭武田の菩提寺である桂林寺での葬儀が終わった。将軍家や六角氏もやって来る、若狭の国主に相応しい壮大な葬儀となった。
祖父である信豊は霊雲寺に葬った。我ら若狭武田の祈願寺は明通寺なのだが菩提寺は様々で、全員異なっているのだ。
皆、俺に気休めの言葉をかけてくれたよ。六角は大量の銭を持ってきてくれた。そりゃ、沽券に関わるもんな。
驚いたのは浅井久政。新九郎の父が訪ねてきたことだ。これが新九郎の苦肉の策だとしたら中々の策士だと思う。そして素晴らしい胆力だ。
下野守久政は戦に反対だった。それ見たことか、こうなってしまった。謝罪しに来ましたと半ば仲介役のような形になったのだ。しかし、我等武田勢からの視線は痛かっただろう。その胆力たるや流石は浅井家の当主だった男である。
それから三好からも使いの者が来た。使いはあの松永弾正であった。正式な使者か、それとも松永個人で来たのかは分かりかねる。こちらもたんまりと銭を持ってきてくれたよ。流石は堺を抑えているだけはある。
葬儀が終わった後、三淵、細川の兄弟を誘ったが案の定、袖にされてしまった。細川は事情は察しており、力に成りたいとは申し出てくれたが、やはり将軍は見捨てられないか。三淵はにべも無かった。俺はあいつが嫌いだ。
とりあえず、俺の後見は将軍であり伯父でもある足利義輝が行ってくれるとのことだ。これは心強い。これであれば他国はそう簡単に攻め込んで来れないだろう。将軍様様だ。
葬儀をやってみて分かったのは周囲は必ずしも敵だらけではないということだ。六角、三好、足利とは良好な関係を築けている。浅井も関係を修復したそうに見えた。
それであれば今、考えねばならないのは朝倉と一色だけである。しかし、その朝倉も浅井との関係が修復できたら良好な関係になるだろう。そもそも親戚筋だ。この関係を崩すのはまだ早い。
まずは銭だ。銭を稼がなければ。俺は家臣達に澄酒と蘇の造り方を教え広めた。これを京や堺に向けて売って稼ぎにするのだ。椎茸はまだ秘匿しておきたい。
それから考えられるのは楽市と楽座。それと関の廃止だ。しかし、それが本当に税収の増加に繋がるのだろうか。これには疑問が残る。
関の廃止は物流の効率化に繋がる。しかし、他国の間者も紛れ込んで来るだろう。関を廃止する得と廃止する損。どちらが上か。こちらには小浜がある。関の廃止は重要な事項だ。
よし、関は減らすに留める。そして、関銭は廃止だ。関でわざと人を泊め、関の周辺を栄えさせれば良い。そこで銭が落ちる。敵国の間者を大きく増やさずに銭を富ます。我ながら良い考えだ。
問題は楽市と楽座よ。つまり、座という商工会議所の特権を破棄し、税を免除することで誰もが市に参加できるようにする。しかし、これには確か落とし穴があったと記憶している。
まず、これを行うことで寺社との軋轢も生じてしまう。寺社の権利を剥奪するのだ。軋轢を生まない訳がない。それに闇荷や抜け荷が増えるはず。管理が緩くなるのだ。闇米も流通するだろう。
そして更に領主と商人の癒着である。税を払ってないのだ。権利を主張することは出来ない。賄賂や贔屓が起きてしまう。つまり、楽市と楽座は駄目だ。
いや、逆に考えるんだ。売り上げから税を取ろう。累進課税をこの時代に導入すれば良いのだ。いや、それだと商人が他国に流出してしまう。うーん、考えがまとまらないな。
基本の考えは楽市と楽座で良いのだ。ただ、寺社の権利を剥ぎ取ると彼らが損をしてしまう。だが権利を剥ぎ取りたい。いや、剥ぎ取る。
そこで、権利を剥ぎ取る代わりに不正が起きないよう、寺社に税の一部を渡して監視をさせれば良いのだ。そして不正を発見すれば更に報奨銭を渡す。
権利を丸っと剥奪されるか、税を貰って良しとするか。それなら後者を選び取るだろう。悪いが我らはまだ一向宗にそこまで強気で出られる立場ではない。
しかし、それでは寺社と商人が結び付き不正を働く可能性が出てくる。となると、それを監視するための……鼬ごっこだな。それなら寺社の監視を一向宗と、彼らに敵対しそうな法華宗に監視させるか。
それであればどちらか片方に不正があった場合、もう片方が処罰を求めるために申し出るだろう。これで楽市と楽座の欠点を少しは補うことが出来るぞ。
これで物廻りと銭廻りは良くなるはずである。どうしてこんなにも銭に神経質になっているのか。それは歴代の武田家当主が積み立てた借銭の催促を商人たちからせがまれているからである。
これに関しては商人を集めて話をしなければならんな。借銭の合計金額を聞くのもおぞましいくらいである。
残す問題は大飯郡を誰に任せるかだ。逸見駿河守は果てた。その代わりに西を治める人材を派遣せねば。特に、これから丹後へ攻め込むのだ。信頼できる人材が良い。
十兵衛は駄目だ。動かせぬ。朝倉への備えも丹後へ攻め込むのと同じくらい大事である。上野之助は熊川で地盤を固めてしまった。椎茸栽培の件が絡んで動かすのは難しいだろう。
虎清は未だ年若い。纏め役には役者不足というもの。虎清は逸見氏の高浜城に入ってもらうことにする。海沿いの高浜城。彼ならば俺の意図がわかるはずだ。
大飯郡のまとめ役は石山城の武藤友益にお願いしよう。逸見や粟屋のように反旗を翻されたら困るので郡司という程ではないが、ある程度の権限と責任は持たせるつもりだ。
問題は砕導山城である。
そして厄介なことに譜代衆以上は皆、城持ちなのだ。では誰かを城代にしなければならないのだが、誰にする。空いているのは……前田利家だな。彼に任せてしまって良いのだろうか。砕導山城は若狭でも指折りの大城だぞ。
俺は又左を呼び出した。彼に本当に城を任せても良いか確認するためだ。彼の武将としての真価は折り紙付きだが、今はまだ二十歳そこそこ。傾いている真っ最中だ。
「大将、お呼びでしょうや!?」
威勢の良い掛け声と共に室内に入ってくる利家。今日も彼は元気いっぱいだ。しかし、元気が良いだけに不安になってしまう。他にも二人程お付きの者が居た。彼らも部屋に招き入れる。
「ありがとうございまする。某、前田又左衛門様の家臣、村井長八郎長頼と申しまする」
「同じく前田又左衛門様が家臣、高畠孫十郎定吉にございまする」
村井長八郎と名乗った男は齢二十七、八程の男である。落ち着いた、柔らかな物腰からは冷静さと思慮深さが伺えるというもの。
もう一人の高畠孫十郎は又左衛門より年上で三十代半ばから後半にかけての人物だ。心配そうに利家を見ている。失言しないか気が気でないのだろう。そのくらい、俺は気にせんがな。
この二人が居るのであれば利家に砕導山城を任せても安心かもしれない。それに、外様衆でも功を上げれば城持ちに取り立ててもらえると喧伝できるのなら安いものだ。
実際、利家は砕導山城攻めの時には活躍したらしい。一番槍は利家だと右筆も記してある。侍首も挙げているのだ。城を与える程の活躍ではないのだが、そこは宣伝と割り切ろう。若狭では外様でも活躍すれば城持ちになれると。
また、前田利家を織田に返すのは惜しい。それならば早々に城を与えて根付かせてしまえば良いのだ。そう自分に言い聞かせ、自分自身を納得させる。
「城を一つ、治めてみるか?」
「……俺がか?」
思わずタメ口になってしまう利家。どうやら予想外の提案だったようだ。俺は静かに深く頷く。利家はと言うと、わなわなと震えているだけであった。
「嫌なら他の者にするが」
「待て待て待て! 暫く! お受け致す! 謹んでお受け致す!」
又左は両手の拳を床に叩き付けながら平伏した。そんな平伏の仕方があるか。高畠孫十郎が頭を抱えている。
傍に指導してくれる人物がいるのであれば大丈夫だ。うん、そう思うことにしておこう。駄目だったらば改善を促す。俺も改善案を出そうではないか。
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。 話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。 やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
誰の言葉だったか。まずはさせてみる。駄目なら話し合い、案を承認する。そして見守るのだ。ここは当主らしくドンと構えて堪えよう。
「ただし長八郎と孫十郎の言うことを確と聞くんだぞ。良いな?」
「……はぁ」
不服そうな顔でそう述べる利家。おいおい、城主になるんだ。腹芸の一つや二つ、出来るようになってもらわないと困る。まあ、砕導山城の城主となれば自然と身に付くか。地位が人を育てるのだ。
「で、何処の城を任せてもらえるので?」
「砕導山城だ」
「……は?」
「だから、砕導山城だ」
そう言うと利家と配下の二人がぽかんとした表情を浮かべていた。まさか砕導山城を任せてもらえるとは思ってもいなかったのだろう。ざっと二千石は固い。
今回は高浜の湊は含めなかったが、含めたら五千石にも届いただろう。だが、今回は二千石に留めることにした。こういうのは徐々にである。
「良いか、又左。お主が大飯郡を取り纏める気概で城を治めるのだ。お主が大飯郡を手中に置いたら丹後へ攻め込むぞ。良いな?」
「かしこまりましたっ!」
深々と頭を下げて退席する又左。直後、廊下から――おそらく喜びの――唸り声が聞こえてきた。又左に任せて大丈夫だっただろうか。
Twitterやってます。良かったらフォローしてください。
https://twitter.com/ohauchi_karasu
励みになりますので、評価とブックマークをしていただければ嬉しいです。
評価はしたの☆マークからできるみたいです。
感想やレビューも励みになります。
評価とブックマークで作者のモチベーションアップにご協力ください。
今後とも応援よろしくお願いします。