近江より使者来る
永禄三年(一五六〇年)七月 若狭国 後瀬山城 武田氏館
六角の使者が後瀬山城に訪れた。使者は進藤賢盛。六角の両藤と謳われるその片方である。どうやら進藤賢盛は幕府や将軍との交渉も担当しているようだ。渉外役なのだろう。
今、父である武田義統とその家臣である内藤重政、それから武藤友益と熊谷直之、それに山県孫三郎ら家臣が両脇にずらっと並んでいる。父と相対する進藤賢盛。
そこに俺も無理を言って同席させてもらった。実はこの会談が開かれる前に俺は進藤賢盛を訪ねている。勿論口裏を合わせて父を戦に向かわせるためだ。
と言うか、向かわせるしかない。じゃないと、俺が勝手に援軍を送ると口約束したことをばらされてしまう。それだけは何としても避けなければならないのだ。
大丈夫、断る理由を一つずつ消していけば良いだけのこと。そう不安がることもない。オレは自分にそう言い聞かせていた。進藤賢盛が口を開く。
「此度はお目通り叶いまして恐悦至極に存じまする。我が主、左京大夫様が浅井を誅するために兵を挙げました。つきましては甥でありまする武田伊豆守様にもご参陣いただき、ご助力願いたいと我が主は仰せでございます」
そう述べる進藤賢盛。しかし、父の反応は芳しくない。と言うのも、父がこの戦を楽観視しているからだ。浅井は六角に勝てないのは自明の理。兵を出すまでもないと思っているのだ。
「何を仰られるか。某が参陣しなくとも左京大夫様が浅井の小倅なんぞに後れを取る訳が無いであろう。違いますかな? 進藤山城守殿」
父が挑発するように進藤賢盛に言い放つ。こう言われてしまっては進藤賢盛に拒否は出来ない。それでは六角義賢が浅井猿夜叉丸に敵わないと言っているようなものだ。助け舟を出すべきであろう。
「恐れながら申し上げます、父上。この戦、私は参陣するべきと存じます」
此処で口を挟む。父を始め、家臣の内藤や武藤がムッとした表情を見せているが、此処で止まってはならない。父に利を説かなければ。
「孫犬丸。其方は左京大夫様の勝ちを疑うのか?」
「疑ってなどおりませぬ。なればこそ、此処で参陣するべきなのです。勝ちの揺るぎない戦に呼んでいただいたのですぞ。兵を連れて参陣するだけで左京大夫様からは参陣の礼が貰えましょう。これほど美味い話はございますまい」
進藤賢盛は大きく何度も頷いている。家臣の中にも「成程」と呟く者が散見された。父も少し考える素振りを見せている。もう一押ししておこうか。
「大勢の兵を連れていく必要はございません。あくまで『若狭の国主』も六角に味方したという事実を内外に示すだけでも六角に益はあるでしょう。そして左京大夫様はそれを考えているのかと。浅井は昨年の肥田城攻めで兵を出し渋りました。これこそ、浅井が左京大夫様を恐れている証拠にございます。逆に参陣しなかった場合、我らの二心を疑われますぞ。いくらお身内とはいえ、左京大夫様がお許しになりますでしょうか」
「ふむ。孫犬丸の言、尤もである。しかしだな、西に蔓延る粟屋と逸見は如何する心積もりだ。儂が留守だと分かった途端にこの後瀬山城に攻め込んで来ようぞ」
じっとりと汗で濡れている拳を更に握り込んで父に考えを述べる。ここで選択を誤ったら俺の身が危なくなりそうだ。慎重に、言葉を選びながらも、父を触発させるよう促す。
「何を仰られますか。そこまでお分かりなのであれば大事ないでしょう。いや、むしろ好機でございます。父上が居らぬ間に私が砕導山城を攻め落として御覧にいれましょうぞ」
言ってしまった。砕導山城を攻め落とすと。しかし、吐いた言葉は飲み込むことが出来ない。待て待て、昌経を篭絡すれば良いのだ。
源太の元服の話もある。一度、昌経に会ってみても良いかもしれない。無下にはされないはずだ。再び自分に大丈夫と何とも言い聞かす。
鼻息荒く、そう述べる。父は「成程のぅ」と小声で呟き考え込んでしまった。どうやら、俺の考えが伝わったようだ。流石は戦上手なだけはある。その父が口を開き、家臣にこう尋ねる。
「内藤の。儂が動かせる兵は?」
「およそ千にございます」
「粟屋と逸見の兵は?」
「六百というところでしょう」
「其方なら如何程の兵でこの城を守り切れるか?」
「……守るだけであれば五百いただけましたら確実に」
そこまで聞いて再び考え込む父。どうやら、思考は良い方向へと転がっているようだ。若狭全体では一万も集められない。
五千でも無理をしているのだ。勿論、国の存亡がかかっていたら別だが。五千は必ず集める、集めなければならない。周囲を敵に囲まれているのだから。
「改めましてお願い申し上げさせていただきまする。何卒、我が殿へご助力願えませぬでしょうか?」
進藤賢盛が改めて援軍の申し出を行った。利は十分に説いた。ここで首を縦に振らなかった場合、俺が援軍に駆け付けなければならない。正直、それだけは避けたいところである。
「あい分かった。この武田伊豆守、左京大夫殿にご助力させていただくと申し伝えていただきたい」
「ははっ。承知仕りました。我が主もさぞお喜びになりましょう。早速伝えさせていただく故、失礼仕りまする。委細に尽きましては後日、お知らせ致しまする」
進藤賢盛は表情を一変させ、笑みを浮かべると直ぐに退出してしまった。恐らくは父の心が変わらない内に六角左京大夫に伝えることにしたのだろう。賢明な判断だ。
残された家臣と俺。進藤賢盛が居なくなった後すぐに軍議が設けられた。先に口を開いたのは父である武田義統である。
「儂は援軍として四百……いや三百の兵を率いて左京大夫殿の許へ向かう。山県孫三郎と武藤上野介を連れて行く。内藤筑前守と松宮玄蕃允は兵七百にてこの後瀬山城を守れ」
「「「「ははっ」」」」
父の下知に大人しく頭を下げる一行。満足そうに頷くと父はこちらに、俺に向き直った。さて、次は俺の番だ。大言壮語を吐いた責任を取らなければ。
「さて、孫犬丸」
「はっ」
「其の方、儂が若狭を離れている間に砕導山城を落とすこと能うか?」
小考する。十兵衛と上野之助が動かせる兵は六百程。合計せずとも兵数では勝っているが、籠城されたら勝ち目は薄い。
最低でも二千の兵が居ないと落とすことはできないだろう。だが、野戦なら勝ち目はある。つまり、野戦にさえ持ち込みさえすれば。
「……一計を案じさせていただけますれば」
「詳しく申してみよ」
「はっ。まず、後瀬山城の兵を減らしてもらいます。具体的には城を守っている内藤筑前守と松宮玄蕃允が仲違いしたという噂を流すのです。それで兵を連れて松宮玄蕃允が城を後にします。其処を粟屋越中守が見逃す訳がないでしょう。後瀬山城に攻め入ったところを出て行った松宮玄蕃允が兵を率いて粟屋越中守を挟撃します」
「しかし、それでは砕導山城を落とすことは能わんぞ?」
「砕導山城から兵が出た後、私と明智十兵衛、それから沼田上野之助の両名で砕導山城を攻めまする。兵の減った砕導山城であれば私でも落とすこと能いましょう。どうぞ、ご下知を」
そう言って頭を下げた時、横から待ったが掛かった。声の主は父の忠臣、内藤重政のようだ。差し出がましいと前置きをしつつも懸命に訴え出る内藤重政。
「お待ち下され、御屋形様! 若様は未だ元服前にございます。若様に何かあればお家の一大事、斯様な無茶はさせるべきではないかと」
そう言って必死に諫言する。俺も出来ることならば行きたくはない。だがしかし、ここで粟屋と逸見を叩いておかなければという思いもある。これが難しいところだ。
この命が降れば俺は戦に赴くことになるが、この命は降りることはないだろう。内藤筑前守が言うように俺はまだ元服前だ。歳も九つである。九つで初陣を飾るなど、前代未聞としか言いようがない。
「内藤備前守の言うこと、尤もである。孫犬丸は後瀬山城に残れ。代わりに十兵衛と上野之助に城を獲らせるとしよう。お前もあの二人には相当入れ込んでいるのであろう?」
どうやら色々と悪巧みしていることは父に筒抜けのようだ。それもそうだ。若狭の国主なのだから十兵衛も上野之助も尋ねられたら答えなければならない。隠し通せるはずがないのだ。それでも、銭の流れなんかは隠してくれているようだが。
また、これは試されているのだろう。入れ込んでいる十兵衛と上野之助にどれ程の力があるのか、示してみよ。そういうことなのだと思っている。
俺は黙って頭を下げる。どうやら話はまとまったようだ。俺は後瀬山城に内藤筑前守と留守番。代わりに十兵衛と上野之助が兵を率いて砕導山城を落とすこととなった。
さて、準備を整えなければ。
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