田楽狭間
永禄三年(一五六〇年)七月 若狭国 後瀬山城 武田氏館
蒸し暑い。七月ともなれば気温は三十度を超える日も出てくる。戦国時代は小氷河時代だなんて言ってた奴は何処の誰だ。全然そんなことないじゃないか。
そして更に若狭は海沿い。潮風が肌に纏わり付いて不快さを増してくる。いくら国主の嫡男とは言え、毎日のように風呂に入れる訳ではないのだ。
「夜分に失礼いたしまする。火急の用にて寝屋に入らせていただきますれば」
「……ふっ、どうした?」
入ってきたのは黒川与四郎であった。深みのある低い声が部屋に響く。与四郎が入ってきたこと、全く気が付かなかったぞ。その気になれば俺は殺されてしまうな。自嘲の笑みが零れてしまった。
「今川治部大輔、田楽狭間にて織田上総介に討ち取られたとの由」
「そうか。では、今川は荒れるであろうな。それよりも浅井と六角だ。こちらを注視せよ」
「……驚きませんので?」
「十分驚いておるぞ」
「……はっ。承知」
そう言うと声がぴたりと止まってしまった。どうやら立ち去ったようだ。
寝付けない俺は寝返りを打ちながら考える。まずは順当に織田信長が台頭してきた。今川から松平も独立し、衰退の一途を辿るだろう。
そして織田と美濃の一色がぶつかる。ここまでは想定した流れになるだろう。しかし、一色義龍も手強い。いくら織田信長といえど、そう簡単に美濃は併呑できなかったはず。
「いや、先のことなんてどうでも良い。まずは浅井と六角をどうするかよ」
野良田で戦が起こりそうなのである。六角の使者は父の許へ向かうだろう。その時に父がどう判断するか。六角に加勢するかしないか。これは加勢する方向で話を持って行かねば、俺達が六角に睨まれてしまう。
しかし、この戦で六角が負ければ六角は衰退する。その六角に付き従う必要があるのかも疑問だ。じゃあ、浅井に付くかと言われると素直には首肯できない。
六角と浅井が争っている最中、浅井の背後を荒らすという手もある。しかし、それを行うと浅井から目を付けられることは必至だ。浅井、朝倉とは盟を結び、西の粟屋と逸見、ひいては丹後の一色まで攻め滅ぼすか。
そうなると丹後を攻め滅ぼす大義名分が必要になる。今から用意することは可能だろうか。将軍に献金して丹後守の官職を買うか。丹後守ではない。丹後守護だ。しかし、一色家は幕府の三管四職の家柄だ。首を縦に振るか分からん。
いやいや、待て待て。そもそも丹後守護職は武田信賢が持っていた。その線で俺も丹後守護に封じてもらい、そこから一色を攻める手はずを整えよう。
そもそも、一色と若狭武田は因縁の間柄。攻め込む理由など叩けば埃の様に出てくるだろう。後は優先順位の整理だ。まず、勝てるか勝てないかで考えよう。
一色には勝てる自信がある。しかし、浅井にも朝倉にも勝てないだろう。今の六角なんて以ての外だ。その点で考えると西に伸ばしていくのが正しい戦略に思える。
だが、浅井と六角の戦で浅井に大勝されても困る。我が若狭と北近江は領地が接しているのだ。そして浅井と朝倉は仲が良い。両者が手を組み若狭に殺到されてはひと溜まりも無い。
この点で言うと、六角と浅井が争っている最中に浅井の背後を荒らすべきだ。領内の立て直しを図っている最中に若狭の西に居る粟屋と逸見を取り除き、一色を蹴散らす。
もし、若狭に浅井と朝倉の連合軍が攻め込んできたら三好を、松永と内藤を頼ろう。彼等にしてみても両家が勢力を伸ばすのは歓迎しないはずだ。
最後の問題はこの通りに事を運べるか、である。何度も言うが、俺はあくまで国主の嫡男。何の権限も持っていないのだ。そう考えると父が邪魔だな。
「いかんいかん」
父が邪魔という判断に陥ったところで慌てて首を振る。父を弑するなど、武田の業は何処まで深いのだという話になってしまう。最近は直ぐに父が邪魔であるという思考に陥ってしまう。
しかし、これは何とかしなければならない問題だ。今日は全く寝付けなかった。これは暑さのせいだということにしておこう。
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