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孫四郎と恵瓊

永禄二年(一五五九年)二月 京 室町殿


 それは突然の出来事だった。

 俺が後瀬山城の武田氏館で弓の稽古に励んでいたところ、前触れなく父がその稽古場にやって来て言い放った。


「義兄殿の許へ向かう。其方も支度せよ」


 義兄殿。つまりは将軍である義輝の許へ向かうと言い始めたのだ。何を突然と思っていたのだが、どうやら各地方の大名が上洛を行うようだ。つまり、これは上意なのだろう。


 この頃の将軍である義輝と言えば、三好と不承不承ながら和睦をして京の御所に戻っているはずだ。その御所も改修をするとかしないとか、そんな話も出ているらしい。


 そんなこんなで俺は父についてノコノコと京へと上っていったのである。共に京へ向かったのは俺の護衛として源太と父の供回りである内藤重政、それから武藤友益と幕臣の青井将監である。


 しかも上洛のその兵数は三百。父にしては出したな、という印象だ。まだ西に蔓延る粟屋、逸見の脅威が完全に拭い去れていないというのに。


「公方様に置かれましては京へお戻りになられ、誠に祝着でございまする」


 そして今、俺は父の後ろで将軍である義輝に頭を下げている。両脇には三淵、細川、和田、柳沢、上野、進士、大舘、伊勢など名だたる幕臣が並んでいた。


「久しいのう、豆州。それから孫犬丸。息災であったか?」

「はっ。一族すべからく息災に暮らしておりまする」

「若狭の内乱は治まったのか?」

「彼奴らの手足は捥いだも同然。暫くは何も出来ますまい」


 将軍と父がにこやかに談笑する。義兄弟の間柄だ。仲が悪い訳が無い。俺はこのつまらない話が早く終わらないかとボーっと待つ。将軍の手前、席を立つことすら出来ない。ただ同じ姿勢で耐えるだけだ。


 そのときにふと、気が付く。俺に視線を送っている男が居ることに。たしか三淵藤英だったと思う。何やら険しい目つきでこちらを見ている、いや睨んでいる。苛烈な感情を全面に押し出しているのが分かる。


 その横に居る細川藤孝は心配そうに兄からばれないようにか、横目で盗み見ていた。この二人は兄弟だったはず。どうしてこうも異なる性格になってしまったのか。


「孫犬丸、そちも大きくなったな。いくつになった? 構わん。直答を許す」


 此処で唐突に俺に話題が振られた。頭の中を切り替えて、落ち着いた口調で自身の数え年の年齢を口にする。この時代に誕生日などは無い。新年を迎えた時点で全員が一歳、歳を取るのだ。


「八つになりましてございます」

「ほう! そいつは目出度いのう。何か欲しいものはあるか?」

「……いえ、ございませぬ。公方様から祝いの御言葉を賜れただけでも恐悦至極に存じまする」


 危なかった。一瞬、欲しいものが口から溢れそうになった。銭、太刀、種子島、(金になる)茶器など欲しいものは枚挙に暇がない。しかし、それらを抑え込んで殊勝な言葉を吐き出した自分を褒めてやりたい。


「そうかそうか。じゃが、それだけでは儂の気が済まん。何ぞあったであろうか。暫し待っておれ」

「はっ」


 そう言って自ら席を外す足利義輝。何を持ってくるのか。太刀を多数所持しているという認識だが、それを手放すだろうか。それであれば献上された茶器や馬なんかを持って来るだろうか。それだと非常に困るのだが。


 やはり銭が良い。出来れば銭にして欲しい。もしくは銭になりそうな茶器だ。この時の俺の頭の中は銭で埋め尽くされていた。なんと言うか、現金な八歳児だと自分でも思う。


「待たせたな。これをやろう」


 そう言って差し出したのは一振りの太刀であった。やはり太刀だ。無難な選択であろう。問題はどんな太刀か、である。まさか天下五剣のどれかだろうか。それであればこの上なく嬉しいぞ。


「修理亮盛光の太刀だ。其方は脇差しか差して居らんでな。気になっておったのじゃ。そろそろ太刀が欲しい年頃じゃろう。持って行け」

「ははっ。ありがとうございまする。家宝にさせていただきまする」


 修理亮盛光。聞いたことのない太刀だが貴重な品なのだろうか。周囲を見ると、幕臣達が「公方様、それは」「大樹、何を!」と言いながら慌てている。どうやら貴重な太刀のようだ。


「それはな、四代義持公の頃から我が足利家に伝わる太刀だ。と言っても修理亮盛光の作はあと二振りある。気兼ねするでないぞ」


 そう言ってけらけらと笑う将軍義輝。そう言われると貴重なんだかどうなんだか俺にも分からなくなってくる。ただ、悪い太刀ではなさそうだ。ありがたく頂戴しておこう。


 将軍への謁見はこれにてお開きとなった。どうやら後が(つか)えているらしい。美濃の斎藤家いや一色家、尾張の織田家、そして本命の越後の長尾家などが謁見を控えているらしい。どれも一流の家柄だ。


 出来ればどの家とも誼を通じておきたい。しかし、美濃の一色治部大輔はもうすぐ死んでしまうはず。そして長尾弾正少弼は我らの宗家である甲斐武田家と争っている。俺に良い印象は無いだろう。となれば、残るは織田家。だが会いたくない。


 俺の勝手な想像だけど、織田信長って苛烈な印象がある。正直、会うのは怖い。間違っても敵に回したくはないと思う。その思いから俺は急いで御所を後にした。


「用は果たした。若狭に帰るぞ」


 そう述べて帰り支度をする父とその家臣達。俺は若狭には帰らず、何日か京を見物していくことにした。理由は親戚筋である久我家にご挨拶へ向かうという名目だ。


 付き人はいつも通り源太である。本来ならば出来れば京から足を延ばして堺に向かいたい。しかし、そうも時間は取れないだろう。


「まずは寺見物でもするか」


 時間が欲しい俺は父に久我家への挨拶のほか寺院を巡るため、京に残るという殊勝な言葉を吐いてしまった。流石に裏切る訳にはいかない。


 そう思って京のあちこちを巡る。正直、あまり栄えている印象はない。それもこれも応仁の乱による度重なる戦禍によるものだろう。


 その光景にまざまざと思い知らされる。今が戦国乱世だと。京が京らしくなるのは何時になることやら。


 そんな中、一つの寺に寄る。東福寺という臨済宗の寺だ。京の都でも格式の高い寺なのだそう。正直、寺や宗派については詳しくない。分かるのは本願寺と一向宗が怖い、敵に回してはいけないということだけだ。


 秋であれば紅葉が美しかったのであろう木々の間を抜け、本堂へと向かう。その時、一人の少年と擦れ違った。酷く悲しい目をした少年であった。俺よりも少し年下くらいの少年だ。


 オレは何故かその少年が気になって仕方が無かった。育ちも良く品を感じられた。恐らくは何処かの公家か武家の子だろうか。気になって少年の後を追ってしまった。その少年が光ったような気がした。


「若様!?」

「すまん源太。先に本堂で待っていてくれ」


 急いで少年の後を追う。確か、こちらの方へ歩いていたはずなんだが。東福寺の敷地は広い。いや、もう東福寺から離れているのかもしれない。周囲が寺院ばかりでおかしくなりそうだ。


「見つけた。っ!?」


 少年は六波羅門の傍に居た。短刀を持って。その切っ先をゆっくりと喉に当てる。手が震えている。喉が生唾を飲み込んだようにごくりと動いた。光ったのは短剣に反射した日の光だったか。


「何をやっている!?」


 俺は咄嗟に動いていた。少年の手に手刀をお見舞いし、短刀を地面に落とす。そしてその短刀を素早く遠くに蹴り飛ばした。伝左に稽古をつけてもらっていなかったら素早く動くことは出来なかっただろう。伝左に感謝だ。


「止めないで下さい! ううぅっ」


 そう言って泣き崩れる少年。出家させられたということは、相当に無念な出来事があったのだろう。それを私心で悪戯に刺激してしまった。これは俺も申し訳ないことをしたと思う。


 しかし、俺が後を追わなければ間違いなく彼は自害していただろう。そういった意味では助けることが出来て良かったと思う。少年が落ち着くまで背中を摩る。


「私はたけ——、孫犬丸と申す。其方の名は?」

「あ、尼子孫四郎にございまする」


 ぐずりながら名を名乗る孫四郎。尼子と言えばあの尼子だろうか。そして名も孫四郎と言うのか。名前の孫繋がりで奇妙な縁を感じずにはいられない。


「尼子か。あの十一ヶ国太守と謳われた尼子伊予守の傍系かな?」

「わ、私は尼子伊予守の曾孫です」


 傍系どころではなかった。話を聞くと尼子伊予守の次男の更に長男の五男ということらしい。そんな少年が何故寺に預け入れられているのか。今まで良い暮らしをしていたであろうに。


 それよりも重要なのは今、この場で何をしようとしていたのか、ということだ。勿論理解している。死のうとしていたのだと。しかし、それを尋ねても良いものなのだろうか。いや、尋ねるべきなのだろうな。


「何故に死のうとしたのだ?」

「もう、こんな所に居とうはないのです」


 その声には悲愴さと切実さが乗っていた。どうやら寺には居たくないらしい。何か嫌なことがあるのだろう。よく見ると少年の腕や足に青黒い痣が見える。それを見た途端、勝手に口が動いていた。


「ならば、共に来るか?」


 深くは聞かず、そう訊ねた。これで来ないのであればそれまで。来るのであれば小姓として取り立てよう。名門尼子の子だ。礼儀作法は習っているだろう。


「……よろしいのですか?」

「構わん。童の一人や二人、増えたところでだ。それに、俺も小姓が欲しいと思っていたところなのだ」


 これは本心だ。前も考えていたが俺はもっと将の層を厚くしなければならないのだ。この孫四郎が俺の馬廻りとして兵を五十でも百でも率いてくれるようになったらどれだけ助かるだろう。


「どうする?」

「い、行きまする! 何卒、何卒!」


 俺が返答を催促すると孫四郎はこの機を逃すまいと二つ返事で首を縦に振った。それだけこの東福寺に居たくなかったのだろう。深くは聞くまい。


 すぐに孫四郎を連れて行こうとも思ったのだが、どうやら持っていきたい荷物がある様子。一度、孫四郎と別れて再び東福寺の六波羅門で合流することにした。


 源太が俺を探しているのが見える。相当慌てているようだ。俺は源太に声を掛ける。


「お、居た居た。源太、帰るぞ」

「えぇ!? 若様はまだ東福寺を何も見て回っていないではないですか!?」

「構わん。それよりも良い出会いがあった。そちらを優先だ」


 そう言って有無を言わさず東福寺の本堂を後にする。他の僧に見つかると厄介なことになりそうだ。出来るだけ誰にも会わずに済ませたい。


 しかし、そうもいかないのだ。人一人が出るとなればそれなりの荷物になる。それなりの荷物を僧が持っていたら怪しまれるだろう。孫四郎も例に漏れず、兄弟子に見つかったようである。


「安芸の不動院から参りました恵瓊と申します。なにやらこの子を身請けするのだと伺いましたが」


 安芸国の不動院から来た恵瓊。なんか聞き覚えがある。俺が一生懸命思い出そうとしていると何故か源太が横でイキり始めた。僧に嫌な思い出でもあったのだろうか。


「そうですが何か。これは本人と我等の問題でしょう。そもそも、あの少年が思い詰めてぶへっ」


 俺は源太の後頭部を叩いて黙らせる。そして深く頭を垂れた。思い出した。安芸の恵瓊といえば安国寺恵瓊じゃないか。


 安国寺恵瓊と言えば安芸の武田の家系だ。毛利元就に滅ぼされた安芸武田の遺児。その遺児が毛利に仕えることになるとは何という皮肉だろうか。出来れば此処にも楔を打っておきたい。


「我が家臣が知らずにご無礼を仕り申した。安芸武田家のお方とお見受けいたしまする。私は若狭武田家の武田孫犬丸と申しまする」


 恵瓊は本家の安芸武田の出なのだ。遜ってもおかしくはない。若狭武田は宗家の甲斐武田から枝分かれした安芸武田の更に枝分かれなのだから。源太はハッとして三歩下がり膝をついて頭を垂れた。


「拙僧は既に僧籍に入った身。今は竺雲恵心上人に付き従っている瑶甫恵瓊にございます」

「左様でございましたか。我らとしましては恵瓊殿もお身内にございますれば、是非とも我ら若狭武田家にお力添えいただきたく存じ上げまする」


 祖父と父の争いで一門衆が弱まってしまっている。恵瓊が補佐に入ってくれたらどれだけ心強いだろうか。孫四郎を勝手に連れて行こうと思っていたが話は変わった。


 東福寺の住持となる竺雲恵心に会わせていただく。竺雲恵心は四十程の物腰柔らかなお方であった。孫四郎、恵瓊の両名を連れて対面する。


「武田孫犬丸と申しまする」

「ご高名は(かね)てより伺っておりまする。竺雲恵心にございまする。此度は尼子の若様を連れて参りたいということですな」

「いえ、孫四郎だけでなく恵瓊殿も連れて参りたく。恵瓊殿は我が若狭武田の親族なれば、若狭にて手厚く保護したく存じまする」


 恵心の顔色は変わらない。常に嫋やかな笑みを浮かべているだけである。辺りを静寂が支配する。源太の喉の音が響いてきそうだ。


「はてさて、困りましたな。どちらも大事な弟子にございますれば。お前達はどうしたいのです?」


 恵心が二人に話を振る。この問いに最初に答えたのは孫四郎だ。即答だった。居住まいを正し、恵心に正対してしっかと目を見据えて述べた。


「はい。私はこの寺を出たく存じます。孫犬丸様の元で励みとうございまする」

「そうか。であれば私は何も申し上げません。貴方は勝手に居なくなった。そういうことに致しましょう」


 東福寺としては尼子側から決して外に出すなと言い含められていることだろう。ただ、孫四郎は死をも覚悟する決意だったのだ。恵心も何処かでそれを理解していたのだろう。むしろ道を見つけほっとしたようにすら思える。


 忍びないと思ったのか、恵心は孫四郎に寺を離れる許可を与えた。残るは恵瓊だけである。恵心が優しく「恵瓊はどうですか」と促す。しかし、口は重いままだ。熟考した後、ゆっくりと口を開いた。


「……分かりませぬ。私は何をすべきなのか。どうするべきなのか定まりませぬ」

「ならばもう少し私の下で励みなさい。孫犬丸様、申し訳ございませぬが、恵瓊はお諦めいただけませんでしょうか」


 なるほど。孫四郎に許可を与えたのは恵瓊を出さないためもあったのだろう。これは本人の意思が何よりも大事だ。だが、毛利にだけは行ってほしくない気持ちもある。


「分かりました。恵瓊殿は気持ちが定まっておられないご様子。であれば、こちらからも強く申し上げることはできませぬ。ですが、気持ちが定まった暁には必ず我が元を訪れていただきたい。例えそれが私の意に沿えない場合でも。如何にございましょうや」


 恵心が恵瓊を見る。恵瓊は俺を見て「かしこまりました」という言葉と共に力強く頷いた。どうやら了承していただけるようだ。それであれば俺も此処で矛を収める。


 こうして俺は尼子孫四郎と出逢い、彼を麾下に加えたのであった。


ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー

【現在の状況】


武田孫犬丸 八歳(数え年)


家臣:熊谷直澄(伝左衛門)、沼田祐光(上野之助)、明智光秀(十兵衛)、市川信定(右衛門)、逸見源太、尼子孫四郎、山県孫三郎?

陪臣:明智秀満(左馬助)、藤田行政(伝五)

装備:越中則重の脇差、修理亮盛光の太刀

地位:若狭武田家嫡男

領地:三方郡(二万石)

特産:椎茸(熊川産)、澄み酒(国吉産)

推奨:蘇造り、蕎麦造り、農地拡張、家畜(鶏、牛、兎)

兵数:300

安国寺恵瓊は安芸武田の出自のようですね。そして東福寺で修業をしていたのだとか。

このころの東福寺は名家の子息を出家させる場だったのでしょうか。

偶然にもそこに居合わせた孫犬丸であった。


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[一言] 「すべからく」は漢文由来で「すべからく~べし」として使います。 「須らく見るべし」と言えば、「必ず見るべきである」という意味になります。 さて、「当然元気にしております」との意味で使用され…
[気になる点] すべからく…誤用では?
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