戦と稽古
永禄元年(一五五八年)十一月 若狭国 後瀬山城 武田氏館
戦が起きた。それも二箇所で。何処で起きたかというと、この若狭と近江で起きたのである。兵を挙げたのは父と伯父。つまり、武田義統と足利義輝の義兄弟が兵を挙げたのだ。
まずは足利義輝が三月に兵を起こした。勿論義輝単体で兵を起こしてもたかが知れてるというもの。六角義賢がそれに呼応した。そして間を置かずに父、武田義統も挙兵したのだ。
我が父ながら強かだと思う。このままだと義兄の戦に巻き込まれると判断したのだろう。そこですぐさま粟屋勝久と逸見昌経を討伐する兵を起こしたのだ。これで将軍に呼ばれることはない。いや、呼ばれたとしても断れる方便を得たというのが正しいか。
父は兵を千程集めて若狭の西である大飯郡に攻め込んだ。よく千も集めたなと感心する。恐らく十兵衛たちから貰った銭を使ったのだろう。ならば納得の兵数である。
対して粟屋勝久と逸見昌経はそれぞれ兵を三百程搔き集めていた。逸見は自領から集めてきたのだろうが粟屋はどうやって集めたのだろうかと疑問に思う。
どうやら、そこは親族である安芸および若狭の粟屋氏を頼ったようだ。つまり、粟屋に至っては親族総出の総力戦だ。負けたら後は無いだろう。旗頭は勿論祖父の武田信豊である。またしても担がれる形となった。
先にぶつかったのは足利と三好であった。開戦の理由は改元である。帝が崩御し、代替わりした。それを機に改元を行うことになったのだ。
しかし本来、改元というのは武家の棟梁たる将軍と朝廷が相談して定めるもの。なのだが、あろうことか朝廷は将軍である足利家を無視し、三好家と相談して改元を行ったのだ。これには足利家も大激怒である。
俺は三好と決めるのが道理だと思うがね。何せ、葬儀も即位も三好家が銭を出したのだ。金の切れ目が縁の切れ目と言うように、もう朝廷の中では足利家は頼りにならないという意見が大半を占めているだろう。俺も同じ気持ちだ。
周囲から着々と支援を得ていた足利は六月、六角とその子飼いである高島や朽木等と共に北白川で三好家とぶつかったらしい。しかし、結果は見えているというもの。足利家が勝てる訳がないのである。
最初は戦況を優位に進めていたらしいが、それはまやかしだ。三好の本拠から続々と兵を送られたら一堪りもないだろう。特に鬼と恐れられる三好長慶の弟、十河一存なんかが出て来られたら……想像するだけで嫌だ。
と言う訳で六角家も本腰を入れて戦った訳じゃないだろう。あくまでも将軍を立てるために付き従ったに過ぎない。ここで本気を出せば間接的に朝廷に弓引くことになるのだから。六角家は難しい立場だろうな。
案の定、今月に六角の仲裁で両者は停戦になった。間もなく足利義輝は上洛するだろう。ますます将軍足利家は落ち目だな。歴史がこのまま流れると足利義輝は、殺される。まあ、同じ流れを辿るのかは分からないが。
問題は父と粟屋勝久、逸見昌経の連合軍よ。小競り合いは起きていたが、本格的な戦は七月から始まった。粟屋勝久がよく粘っているというのが率直な印象である。彼には後が無いから当たり前と言えばそうなのだが。
俺であれば逸見昌経を赦免し、粟屋を一族郎党ことごとく討ち取って終わりにするだろう。しかし、父は頑として粟屋勝久と逸見昌経を攻めた。その結果、大飯郡の南を切り取り弱体化させることには成功した。
しかし、両名とも生き永らえている。全く持って厄介な話だ。農繁期に入ってしまったので停戦し、粟屋勝久と逸見昌経の両名は父の配下に舞い戻っている。父も多くの兵を失った。
そして現在に至る。獅子身中の虫を再び飼うことになったとは。せめて、どちらか片方だけでも駆除しておけば良いものを。
「どうしたのです? 深い溜息なんか吐いて」
心配そうにこちらを見る母。そりゃ溜息も吐きたくなるというものだ。貴方の旦那と兄が俺に迷惑を掛けようとしているのだから。そんなことはおくびにも出さないが。
「いえ、父上もお忙しいなと思いまして」
「何を仰いますか。其方も武田の嫡男。行く行くは御屋形様を見習って家を盛り立ててもらわなければ。ほら、この後は弓の稽古でしょう?」
促されるまま庭先に降りて弓弦を張る。傍には伝左が控えている。俺は山県孫三郎から武芸の手解きを受けているのだ。周知の事実ではあるが、孫三郎は戦で父から恩賞を貰う程に武芸に通じているのだ。
また、父や叔父からも手解きを受ける。武田流弓術を学ぶためだ。これは有職故実であるからして、決して疎かにすることは出来ない。
「ふぅ」
息を吐いてから矢を番え、狙いを定めるように弦を引き絞る。狙うは十間先の的である。
「ふっ」
息を吐くと同時に弦から手を離した。やや山なりになって矢が飛んでいく。乾いた音がして的の右上に当たって落ちた。刺さらないのは稚児でも引きやすいよう、弓を弱めてあるからである。
「構えや所作は一通り覚えられましたな。それを崩すことのないように」
「はいっ」
そう言う叔父の武田信景が俺を褒める。それを聞いてホッと安堵のため息を吐く。残念ながら俺の武芸の才は人並みのようだ。
「まだまだですな。もっとこう、脇を引き締めて狙い撃たねばなりませんぞ。若!」
叔父とは反対に孫三郎の指導に熱が入る。本来ならば銭稼ぎに精を出したいところなのだが、腐っても将来の若狭武田家を率いる身だ。弓の一つくらい、まともに扱えないようでは部下に示しがつかない。
俺ももうすぐ七つ。あと二、三年もすれば早い者であれば元服する年になってきた。元服すれば大人として扱われる。今のまま、元服しても良いのだろうか。若狭を、自分を守り切ることは出来るのだろうか。
様々な不安が俺の胸中を占める。その度に、それらを振り払うかのように俺は矢を的に向けた。そして放つ。この矢に心のもやもやを乗せて霧散させられたら良いのに。
しかし、現実はそうも甘くはない。己の力で何とかしなければならないのだ。幸いなことに銭は稼げている。俺の――だけでなく十兵衛や上野之助達のも併せた――領地も一万石程ある。兵も六百には到達していないが、近しい数を動かせるはずだ。
今、十兵衛と上野之助には農兵と銭で雇った兵を半分ずつにするよう言い伝えてある。なので、雇い兵だけで言うならば三百程だ。
そろそろ頃合いだろうか。銭は貯まった。種子島を買い込む良い機会だ。軍備を増強しなければ。
問題点としては率いる将が少ないことだ。俺は元服したら父の下、侍大将として働くことになるだろう。
それであるならば、十兵衛と上野之助、それから伝左と源太には俺の下で足軽頭として働いてもらう。
左馬助と伝五、右衛門には更にその下の組頭として働いてもらうつもりだ。うん、将が足りない。
俺が百、十兵衛と上野之助は百。左馬助と伝五、右衛門と源太、それから伝左は五〇だとしても五五〇しか率いれない。
それならば一人あたりにもっと大軍を率いさせれば良いと思うかもしれないが、あの十兵衛ですら百を率いるのはこれが初めてだ。実戦でいきなり三百を率いよというのは、ちと荷が勝ち過ぎる。
これは早急に何とかせねば。そう思っていた俺の人生は急に動き出す。どうやら猶予期間は此処までのようだったらしい。そのことを当時に理解していれば、と後悔する俺なのであった。