銭が無い
弘治三年(一五五七年)九月 若狭国 後瀬山城 武田氏館
俺は伝左衛門と源太を呼び集め、二人が調べてくれた情報を整理することにした。三人で車座になり、井戸水で喉を潤しながら話し込む。
「若様がお察しの通り、若狭の民は度重なる戦により疲弊しておりました。我ら武田に良き感情は持ち合わせていないかと」
源太が口火を切る。どうやら俺の見立て通り、若狭の百姓は戦続きで疲弊しているとのこと。どうしても農兵を主力として扱わざるを得ない。しかし、そうなると戦が長引けば長引くほど作物が作れなくなる。
作物が作れなくなれば年貢も納められなくなる。その日、食うものにも困るのだ。ひもじい思いをするだろうな。餓え死ぬ者も出ているはずだ。
「逆に商人は羽振りが良いようですな。若様の椎茸や酒はもちろん、戦による武具の買い付けや乱妨取り、人取りにて儲けている様子にございます」
戦が多ければ多いほど儲かるのは商人だ。父上もまだ商人から多くの銭を借りているのだろう。やはり銭を稼ぐということは間違っていない。
「銭が無いのは困るな。しかし作物の収穫が減っている方が問題だ。食べるものが無ければ生きられぬ。銭が無ければそれも買えぬ。そうなれば人が減る。人が減れば国は亡ぶぞ」
だが、残念なことにこの問題に気が付いている者はいない。それよりも目の前の勝利が大事なのだ。俺一人が頑張っても糠に釘、暖簾に腕押しである。
「御屋形様に反旗を翻すは御先代様、武田信方様、粟屋勝久、粟屋光若、逸見昌経、南部孫三郎が怪しいかと」
どうやら御祖父様に付き従うものは少なくないようである。彼らを祖父から剥がして俺の家臣団として組み込むか。それとも滅ぼして領地を召し上げ、新たな者を雇うか。悩みどころだ。
問題は俺が粟屋光若や南部孫三郎を知らないということである。知らなければ判断する術も無い。どうにかして渡りを付けられないだろうか。
「また、銭回りも良くありませぬ。伺ったところ、御屋形様は商人に五千貫の借銭をしているそうにございます」
「五千貫だと!?」
俺は思わず立ち上がった。日本円に換算すれば七千万近い借金を当家はしていることになるのだ。これだけでも驚いているのに更に驚くことを述べる二人。
「この金額はあくまで御屋形様が借りた額にございます。武田が借りた額は更に増えておりましょう」
「あぁ……」
父だけじゃなく祖父、曾祖父、高祖父が連綿と借りてきた結果なのだ。ここまで来ると商人は我らにずっと付き纏って来るだろう。そりゃ源四郎も俺のことを深く知っているわけだ。
なにか良い報告は無いかとあれこれ二人に尋ねてみる。しかし、返ってくる答えはどれも芳しいものではなかった。唯一の良い報告と言えばこれくらいである。
「朝倉の様子はどうだ?」
「朝倉は一向宗に手古摺っているようですな。やはり金吾殿が亡くなられたのが痛手かと。未だ内輪で揉め合っていると伺いまする」
源太がそう報告する。北からの介入は考えなくても良さそうだ。まずはほっと胸を撫で下ろす。北がゴタゴタしている間に若狭を統一し、借銭を返済しておきたいところだ。
「十兵衛と上野之助の稼ぎは如何程だ?」
「今は年に五百貫程かと」
素晴らしい成果なのだが、この売上を全て返済に充てたとしても十年掛かる。いや、利子が掛かるので十年以上の返済になるのだ。気が遠くなる借銭である。
もちろん、売上の全てを返済に充てることはできない。仕入れや軍備に当てなければならないのだ。返済に充てられるのは良くて二割である。下手をすれば利子しか返せないかもしれない。
「良い湊があり京からも近いというのに、どうしてこうなっているのだ!」
俺は声を張り上げる。此処まで来ると百姓は我ら武田を不信しているだろう。まずはそこから凝り解さなければならないと思うと叫びたくもなるというもの。
呪われているのではないかと思うほどだ。若狭に下向してきている土御門有脩に祈祷してもらいたくなるほどである。これは些事ではない。だからこそ匙を投げたくなる思いだ。
「嘆いていても始まらん。まずは殖産を推奨するしかない」
百姓とも良好な関係を築かねば。いざと言う時に守ってくれるのは他でもない、百姓なのだから。
「伝左、源太の両名は村々を巡れ。俺は村を慰撫して回ることも厭わんぞ」
まずは領民との関係改善からだ。向こうから年貢を差し出してもらえるような領主にならなければならない。まずは生き残ることが最優先だ。
今のままでは確実に死ぬ。支配が行き届いていないのだ。父と祖父がどうのこうのだとか、自分の生きたいようにだとか言っていられる場合じゃない。
いや、違う。今この時点で父の顔色を伺っているのが駄目なのだ。俺は自分の信念に基づいて動く。縛られてはならない。ここで日和れば、将来の俺が辛くなるのだから。
優先順位は民の慰撫、収益の改善、そして富国強兵だ。父が矢面に立っている間に領民との関係を改善し、下からの力で俺が当主の座に付く。
今ならば理解できる。どうして武田は先代の当主を追放するのかを。そして、俺もその道を辿ろうとしていたのであった。
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