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丹波松永兄弟

弘治二年(一五五六年)十一月 丹波国 八木城


 祖父を無事に砕導山城へ送った後、今度は丹波へと足を運んでいた。他国から若狭へ侵攻する勢力は出来る限り減らしたい。戦は起きるだけで百姓は小者もしくは中間として動員され、若狭の国力は落ちるばかりである。


 ただでさえ内乱で国力が低下しているのだ。丹波の松永がそれを大人しく見ているはずがない。つまり、今回はそれを先んじて掣肘するための行動である。


 最近、母がそこまで口煩く諫めてこなくなってきた。諦められたか、それとも信頼されてきたのか。後者だと良いのだが。


「若様は近江に丹波にお忙しいですなぁ!」


 暢気にそう宣うのは市川信定である。全く以て侵攻に遭うという危機感を感じていない。それとも俺が気にし過ぎているだけなのだろうか。時々、自分の行動が正しいのか考え込んでしまう。


 今、俺は伝左と源太に若狭の情報を集めさせている。何処を誰が治めているのか。我ら武田に対しどう思っているのか。財政の状況は良好なのかなど。


 なので、供は信定しかいなかったのだ。彼にはこういう事務仕事は向いていない。向いていないで片づけて良い話ではないのだが。


 俺が向かっているのは松永長頼、いや内藤宗勝と呼ぶべきか。その内藤が居としている八木城だ。ここで俺は三好との渡りをつける。しかし、その交渉は難航することは必至だろう。何せ、俺の母親は将軍の妹だ。


 そして三好と足利は今尚争いを続けている。飛んで火にいる何とやらだ。だが、会わねばならん。松永を、三好を粟屋と逸見に近付けさせてはいけない。若狭に動乱の冬が来てしまう。


 いや、嘘を吐いた。俺が会ってみたいのだ。内藤に。松永に。そして三好に。稀代の英雄に触れて、この日ノ本について深く議論したいのだ。


 しかし、三好には何の伝手も無い。松永なんてもっと無い。突然訪ねたところで門前払いされるのが関の山だ。さて、これは困ったぞ。


 ああ、忍びかそれに準ずる人物を召し抱えたい。やはり伊賀か甲賀に一度、赴くべきか。

 いや、そんなことは後で考えれば良い。今はどうやって内藤に目通りするかである。素直に門前払いされてくるか。


 八木城へ向かい、門前に立っている人物に信定が話しかける。その風体は威風堂々と言うのが正しい程、恥ずかし気も無く大声で俺を囃し立てていた。


「これにおわすは武田孫犬丸様にございまする。内藤蓬雲軒殿にお会いするため遠路遥々若狭より参られた次第、お取次ぎ給えぃ!」

「は、はあ」


 門番は信定のその堂々たる居住まいに圧倒されたのか―—はたまた、その堂々ぶりから約束があると勘違いしたのか―—内藤宗勝に取り次ぐため城内へと入っていった。


 あれこれ考えや策を弄するよりも堂々とした行動が功を奏することもあるのか。それを信定から学ぶとは。まだまだ学ぶことが多いな。どうやら俺は策に頼り過ぎる面があるようだ。


「お待たせいたし申した。お会いなさるとのこと。下馬して付いて参られよ」


 己の策への溺れっぷりを恥じながら下馬して馬子に馬を預ける。八木城も国吉城に負けず劣らずの堅城だ。しかし、観音寺城を見てしまった手前、そこまでの驚きは無かった。


 本丸に近付くにつれ、居館部が眼下に見える。まあ、山城なんてそんなもんか。そのまま本丸に入り、ある一室に通される。そこには男性が一人、火鉢にあたって暖を取っていた。


「ほれ、もそっと近う寄りなされ。そこでは寒かろう?」

「……失礼仕る」


 火鉢に躙り寄って暖をとる。この男が内藤蓬雲軒、松永弾正の弟だろうか。歳は五十手前というところ。しかしながら身体つきは壮健で見る人が見れば誤解されそうな程に目つきが鋭い。


「ささ、白湯も呑め。菓子も食うか? ん? それとも喉を通らんか。がっはっは!」


 其の割には人懐っこく、馴れ馴れしく接してくるのだから困ったものである。

 怖気付いたと思われるのも癪なので、白湯を一気に飲み干した。熱が喉を通り肚に落ちていくのが分かる。


「良い飲みっぷりだ。将来、大酒呑みになるぞ。さ、もう一杯」


 目の前の火鉢で温めていた湯を並々と湯飲みに注ぐ。これを飲み干しても良いが、そうすると腹が水でタプタプになってしまう。こちらはまだ子供なのだ。尿意を催しても困ってしまう。


 さて、どうしたものかと思案していると、遠くから床を踏み鳴らして誰かが近付いてくる音がした。急ぎの伝令だろうか。赤井や荻野もしくは波多野でも攻めてきたのだろう。しかし、入ってきた者の第一声は俺の予想を裏切るものとなった。


「兄上! 何をなさっておいでか!?」

「おお、甚介。遅かったではないか」

「遅かったかではございませぬ! また勝手をして! 孫犬丸殿、申し訳ございませぬ。某が八木城の城主、内藤蓬雲軒にございまする」


 どうやら遅れて登場したのが内藤蓬雲軒のようだ。歳は先程の男性よりも若い。四十を過ぎた辺りといったところだろう。兄と違い、目つきの悪さは感じられない。ただ、目は細めではあるが。


 それよりも、だ。俺が内藤蓬雲軒だと思って近付いていたのは世に聞く松永弾正であったか。道理で悪人のような面構えをしている訳だ。しかし、弾正がここまで茶目っ気のある人間だったのは意外であった。


「左様でございましたか。私はてっきり……失礼いたしました。私が武田孫犬丸でございます。よろしくお頼み申し上げる」


 内藤蓬雲軒に向き直り頭を下げる。松永弾正は怒られたというのにどこ吹く風である。内藤蓬雲軒もそんな兄にはもう慣れっこのようだ。弾正を無視して話を始める。


「まさか孫犬丸殿が我らをお訪ねされるとは微塵も思っておりませなんだ」

「そうでしたか。戦上手と名高い内藤様を出し抜けたとあらば、この上ない誉れにございますな」


 そう言って互いに軽く笑う。まだまだ腹の探り合いは始まったばかりである。

 それであればこちらから胸襟を開いて話そうではないか。仲良くしに来たんだ。仲良くしに来たよと素直に伝えることは悪いことではない。そうだろう?


「何故、内藤様は私が此方を訪れないと思われましたか?」

「孫犬丸殿の御母上は公方様の妹君。対して我等の主君は三好筑前守様。この答えではご不満かな?」


 俺と内藤蓬雲軒のやり取りについて、黙って耳を傾けている松永弾正。先程まで散々に俺を揶揄って来た男が黙んまりだ。逆にそれが怖く感じる。だが、ここで引いてはならない。更に押すべきである。


「ええ、大いに不満でございまする。私としては『それが何か?』という気持ちで胸中は埋め尽くされておりまする故」


 この言葉には内藤蓬雲軒も驚きを隠し切ることはできなかった。それもそうだ。数えで五つの男の子が其の回答では不満だとはっきり表明したのだから。


 勿論、意味が理解できていない訳ではない。将軍と三好は敵対関係。だから将軍の甥である俺は三好の家臣である内藤蓬雲軒を訪ねられないでしょと言いたい訳だ。しかし、訪ねちゃったんだなぁ。


 俺は硬直している内藤蓬雲軒に更に追い討ちをかける。できる限り話は優位に運びたい。そのためにも自分を高く買い取ってもらう必要があるのだ。


「私が思いまするに天下の趨勢は三好筑前様に傾いておるは必至。公方様も懸命に抗っておられるが、焼け石に水でございましょう。そして若狭は未だ国内で争いの火種が鎮まっておりませぬ。より強き者の庇護を得ようとする行為がそんなにおかしいでしょうか?」


 俺ははっきりと言い切ってやった。三好が天下人になりつつある、と。誰も口に出しはしないが、これは紛れも無い事実なのだ。あとは其の事実を認めるか認めないか。その違いだけである。そして俺は認める。三好の天下を。


「ぶわっはっはっは! これはまた面白い小僧だ。気に入ったぞ。よし、殺そう」


 今まで黙っていた弾正が大きな声で腹を抱えながら笑った。そして最後に聞こえた不穏な一言。腰の物の鯉口を切る。待て待て、何でそうなった。思考が突飛過ぎて追いつかない。


「兄上、何を申されまする!? 刀をお納め下され!」

「ならん、ならんぞ甚介! 稚児にしてこの賢しらな振る舞い。早々に芽を摘まねば後に大木として我らの前に立ちはだかろうぞ!」


 やはり松永弾正は優秀な男だ。俺が心から屈服するとは見ておらぬらしい。そしてその見立ては合っている。俺は若狭を統一するために三好を、松永を利用するだけに過ぎんのだから。


「なりませぬ! なりませぬぞ、兄上! この者を殺せば若狭はおろか、公方様にも大義名分を与えてしまうことになりまする!それに我等の信用も失いましょう!」

「内密に殺れば何の問題も無い!」

「このような大事、三好筑前様の許可も得ずに振る舞って良いとお思いかっ! 兄上、ご再考を!」


 俺を殺したい松永と俺を殺させたくない内藤が俺の眼前で揉めている。俺は一体、何を見せられているのだろうか。無駄な抵抗はしない。抗ったところでこの五歳の身体じゃまともな抵抗は出来ないだろう。


 暇なので考えを巡らせる。しかし、何故松永はこのようなことを口走り始めたのだろうか。本気で俺を殺そうとしているのか。いや、それは無い。思慮深い松永らしくないぞ。これはハッタリだ。ハッタリであってほしい。


「松永様。私を殺すというのは嘘、にございましょう?」


 そう思うと、その言葉が勝手に口から飛び出していた。松永弾正の動きがピタリと止まる。俺はそのまま、何故そう思うに至ったかをつらつらと、それこそ賢しらに語り始めた。


「松永様程のお方であれば人を御雇いになって私程度の人間、足を付けずに殺せるというもの。それを敢えて人目の多い場所でなさる意味が分かりませぬ。わざわざ危ない橋を渡る必要はございますまい」


 そう言って白湯を一口。喋り疲れた喉にすっと入ってくる。

 そこまで述べたら松永が火鉢を挟んで俺の対面に座った。内藤も三人で火鉢を囲むように座る。


「武田の坊主は賢いと噂になっておったが、胆力まであるとは。益々将来が恐ろしい男よ」


 いや、胆力がある訳じゃなくて生きることを諦めただけなんだが。まあ、良いように受け取ってくれたのであれば重畳。さあ、本題に移っていこうではないか。


「もったいなき言葉にございまする。松永様と内藤様の御兄弟と誼を通じることが出来ただけでも八木城に赴いた甲斐があったというもの。今後ともこの『孫犬丸を』良しなにお願い申し上げまする」


 武田をお願いする訳ではない。俺をお願いするのだ。そして俺は三好筑前に畏怖を覚えていることも伝えている。これだけで帰っても良いくらいだ。腰を浮かせてこの場を去ろうとする。あくまでも振りだが。


「あいや待たれよ。孫犬丸殿の想い、確と受け取り申した。如何かな? 我らが御屋形様にお会いしてみるは如何であろうか?」

「恐れながら、そちらは謹んで辞退申し上げたく存じまする。私が三好筑前様にお会いすることは出来ませぬ。その理由は先程内藤様が仰られた通りに。私は、三好筑前様にはお仕えいたしませぬ」


 そう述べると周囲の温度が二、三度下がったかのような気がするほど松永弾正、内藤蓬雲軒が不快感を露わにしていた。内心、ビビりながらも表情には出さない。ただ、個人的な感情としては会いたい。会ってみたい。


「私は内藤様と誼を通じるために八木城へ参りました。まあ松永様までいらっしゃったのは望外の僥倖でしたが。何を申し上げたいのかと問われたならば、内藤様とは相互いに協力関係を築いて参りたいものにございます」


 そう述べて平伏する。そう、俺は内藤の庇護下に入り、間接的に三好の支配下に収まろうという魂胆なのだ。


 内藤の狙っている丹波は若狭の西と接している。もし、内藤の援護がもらえるなら、父や祖父が俺を攻めてきても挟撃の体制を取ることができる。


「つまりこういうことか。外聞があるので三好家に仕えるのではなく、内藤家と、甚介と盟を結ぶと。ふむ、成程のぅ。考えたな、これは其方の謀か? しかし、其方の一存で勝手に決めてしまって良いのか?」

「ですので、先程申し上げた通り『武田』ではなく『孫犬丸』をよろしくお願いしたいのでございまする」


 向こうとしても悪い話ではないはず。内密にとはいえ、若狭国主の嫡男が恭順の意を示しているのだ。考え込む松永弾正と内藤甚介の兄弟。松永の顔に先程の弛みは無い。


「孫犬丸よ、其方は我等に何を求めているのだ?」


 松永弾正が口を開く。


「決まっておりまする。私が一刻も早く若狭国主の座に就くこと。これだけにございまする」


 つまり、父も粟屋も万障万難全てを排して俺を若狭の国主に据えろと、そう伝えているのだ。そうすれば若狭は内藤、ひいては三好のものと言っても過言ではない。だから若狭に手を出すな。祖父に手を貸すな。


 そして俺はそれを是と考えている。三好の天下は長くは続かない。内藤の丹波平定も上手くはいかないはずなのだ。丹波にはまだまだ剛の者が山程居る。特に丹波の赤鬼こと赤井何とかや丹波の青鬼こと籾井何とかが立ちはだかるだろう。


 俺としては粟屋や祖父、それから父と手を結ばれなければそれで良い。目下の敵はその三人。そして若狭を虎視眈々と狙っている朝倉だ。それらを撥ね退け、丹後を奪い取りたいと考えている。いや、丹後以外に攻め獲れる場所が無いのが現状だ。


「分かった。其方の要望を聞こう。其方が国主となった暁には十二分に働いてもらうぞ」

「ははっ。有り難き幸せにござる」

「ははっ」


 俺はわざと大袈裟に平伏した。顔を見られないその場所では人に見せられないような笑みを浮かべていたのであった。


 ◇ ◇ ◇


内藤蓬雲軒


 武田孫犬丸を見送る。なんとも不思議な稚児であった。兄上がその度量を認めるとは珍しい。隣にいる兄上に声をかける。


「兄上は武田孫犬丸をどう見ますかな?」

「読めぬ男よ。しかし、天下には届かんと見た」

「ほう、何故です?」

「奴には忠や孝が足りぬ。叔父である将軍をああも容易く売りおって。父ではなく自分を売り込むところが鼻に付く」


 そう言って兄上は鼻をふんと鳴らしていた。確かに孫犬丸の目は上を見ていない。どちらかというと下を見ているように見えた。


 国主である父や将軍である伯父ではなく、付き従ってくれる家臣や民百姓を守るために我らを味方にしようと必死になっている。そんな印象を受けた。人はそれを仁と呼ぶ。仁は孔子曰く最高の道徳だ。


「しかし、鼻に付くかどうかはわかりませぬが鼻が良いのは確かなようですな」


 一枚の手紙を兄上に差し出す。それは逸見昌経からの手紙であった。兄上はそれを読まずにびりびりと破り捨てた。もう孫犬丸と約束してしまった手前、読む価値は無いと判断したか。


 それは逸見昌経よりも武田孫犬丸の方が利用価値が高いと兄上が判断したということだ。この判断が吉と出るか、凶と出るか。儂は孫犬丸が将来、大きな障壁となって立ちはだかりそうで怖さを感じる。


「兄上、それは儂への文ですぞ。勝手にお破りになるのは止めてくだされ」

「おお、すまなんだ」


 兄上が舌を出して軽く謝る。そんな兄上を見て溜息を吐いた。願わくば、我らと孫犬丸の縁が切れぬことを願って。

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