覚悟
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「よし。じゃあ帰るか」
昨日の松平殲滅作戦から一夜が明けた。織田はもう武田を侮ったりはしないだろう。朝食は摂らずに撤収および移動を開始する。そのために昨晩、兵たちには夜食を提供しておいた。
「畠山左衛門督を吹き飛ばしてそのまま北上する。松原まで向かい、高島まで逃げるぞ」
今日は松原まで向かうつもりだ。小谷城の浅井長政は病と称して門を閉じているようである。まだ浅井は朝倉に転んだのか、織田に転んだのかがわからない。北上して敦賀まで行くのは危ない。
「愛知川の渡河場所は決まっているか?」
「はっ、定まっておりまする。某が先導いたしましょう」
真田隠岐守が先導する。全軍がそれに続いた。殿軍は飯富兵部少輔が努めている。渡河地点は昨夜のうちに黒川衆とともに調べておいたのだそうな。流石は真田。優秀な男である。
「久太郎、迎えの手筈は」
「滞りなく」
「よし、では行くとするか」
号令をかける。少し近所に出掛けるような声色で。今日は俺も騎乗して移動する。荷物は不必要なものは捨てていく。勿体ないが仕方ない。
段々と明るくなってきた。まだ日は昇っていないようだ。今のうちに川を渡ってしまう。夏の早朝の川はひんやりとしていて気持ちが良かった。目が覚める心地良い冷たさだ。
全員が渡河し終わるころ、畠山隊の偵察に出ていた真田信尹が戻ってきた。どうやら九町先に陣取っているようだ。ということは、一キロ先に居るということか。
「全軍、隊を整えよ。魚鱗の陣を敷くぞ」
「ははっ」
渡河でびしょ濡れになった身体を整え、隊列を組み直して前進する。突撃のタイミングは飯富兵部少輔に一任した。俺は彼に付いて行くだけだ。
「腕が鳴りますなぁ」
「殲滅するぞ」
にやりと笑い合う。織田にも武田兵の屈強さを見せつけてやらねば。彼我の距離が八町、七町と短くなっていく。六町になったところで向こうも我らに気が付いていたようだ。隊列を組みかえているのが見えた。
「貝吹けぇいっ! 太鼓鳴らせぃっ!! 全軍、突撃ぃぃぃっ!!」
飯富兵部少輔が声を張り上げた。それに合わせてけたたましい音が鳴る。武士が叫ぶ。この狂気に乗り遅れまいと、俺も腹から声を出した。
「すわ掛かれぃ! 分捕りはならん! 討ち棄てにせよ! 首は置いておけぇ! 一人でも多くの首を刈り取るのだぁっ!!」
畠山隊に突っ込む。兵数はこちらの方が上だ。どんどん畠山の旗指物が倒れていく。騎兵が駆け抜けた後、両翼に展開した種子島隊が火を噴く。轟音が鳴り響き、歩兵が突入した。
明らかに銭の差、銭の力である。騎馬と種子島の数が違い過ぎるのである。騎馬は三倍、種子島に至っては十倍の差があるのだ。信長には参加するだけで良いと言われていたのだろう。だから後方に位置していたに違いない。
そこに突然現れた我らが武田軍。視認したときは夢か幻だと思っただろう。残念だが現実だ。俺は飯富兵部少輔の指示通り、騎馬で敵陣を駆け抜けた後、半分に割れた畠山隊の片方に襲い掛かる。
逃げる時間も考えないといけないが、今、この場で殲滅しておきたいという気持ちもある。揺れる男心。畠山隊からは逃散も発生しているようだ。雑兵は良い。そのまま逃がしてやる。だが武士は駄目だ。
完膚なきまで叩く。武田に敵対するならば叩く。織田に味方するならば叩く。そうしておかなければ織田に武力が、権力が、力が集中してしまうのだ。それだけは避けたい。
「御屋形様、そろそろ」
「……そうか。では、移動する」
撤収とは言わない。撤退とは言わない。負けたわけじゃない。武威を示しただけだ。示威行為である。これを見て、織田がどう出てくるか。まずは様子を見よう。
琵琶湖、淡海の畔に到着した。向こうから多数の船が向かってきている。高島までの距離は三里ほど。どうやら堅田の海賊たちは見逃してくれるみたいだ。
織田が京に入るならば若狭から京へ向かう道の防備も固めなくてはいけない。鯖街道にある細川城、それから木戸山城と歓喜寺山城を手中に収め、改修する。
京までは譲る。だが、京から北と堺から西は譲らない。断固たる決意をもって挑もう。そのためにも能登は絶対に盗る必要が出てきた。
後瀬山城に戻り、皆に無事を告げ、孫犬丸に会う。うん、やはり可愛い。覚束ない足取りでこちらに向かってくるのが可愛い。この子のために、今できることを精一杯やる。その覚悟を決めた。
やってやる。やってやれないことはないんだ。自分にそう強く言い聞かせて。
これにて【立志編】は終了となります。
次回からは【大志編】となります。
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