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親心

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永禄十一年(一五六八年)四月 若狭国 後瀬山城 武田氏館


 また面倒ごとが増えてしまった。織田と京極。考えるだけでも頭が痛い。京極の娘である竜をこちらで預かっている。顔立ちの良い、可愛らしい女子だ。だが、正直に言うと手に余る。


 ただ、名門である京極家の娘だ。手元に置いておけば何かと利用価値はある、かもしれない。京極高吉は何を考えているのだろうか。今ひとつ読めない。


「はぁ。もう疲れたなぁ。全てを投げ出したい」


 そうは思うものの、怠けると後々になって自分にツケが回ってくるのだ。それが給料の減額とかならまだ良いが死に繋がるのが戦国時代。そう考えると気は抜けない。


 ただ、問題は解消方向へと向かっている。毛利が三村を誅したという知らせが入った。三村家親の首を持ってきたのだという。備中は俺のものとなるがしかし、高松の城は跡形もなく焼け落ちてしまった。


 この点を突いてのらりくらりと講和を先延ばしにしたいところだが、朝廷は朝敵を外してしまうだろうな。毛利は約束を守ったのだ。それならば毛利と講和し、目を東に向ける方が得策である。


 次に始まるのは織田、浅井、松平、武田による観音寺城攻め。その織田から文が届いた。六角の名跡を名乗るのは吝かではないが、観音寺城は渡せないとのことである。


 つまり、今浜の方を浅井が押さえ、織田が観音寺城を押さえる。そして我らは高島を押さえている。ため、近江を三分割しようということなのだろう。


 観音寺城は立地が良いんだよなぁ。京から近く、小高い山の上にあり、平地も豊富。出来れば織田にはこれ以上西に進んでほしくない。いや、無理だな。織田が堺を放置しておくわけがない。


 さて、どのように交渉するべきか。落とせる場所から落とすのが俺の信条だ。となると、狙えるのは紀伊国だ。奇しくも大名は畠山。能登の畠山の親戚である。


 観音寺城を織田に譲る代わりに紀伊国を我らがの物とすることを認めてもらうのである。うーん、そう考えると畠山の血を取り込んでおいても良かったかもしれない。


 つまり、俺はこれから観音寺城を落とし、能登を征服し、小豆島と淡路島を手に入れて紀伊国へと出ようというのである。これはもう一大遠征だな。何年かかることやら。


 だが、短期的目標と中長期的目標を明確にしておくことに意味がある。そうすれば家臣は次に何をしなければならないのかを迷わずに考えることが出来るからだ。


「誰ぞある!」

「はっ」

「この手紙を織田殿まで届けてくれ」

「かしこまり申した」


 もうこれを呑んでくれなければ敵に回る覚悟でいよう。そうすれば織田も無下には出来ないはず。そっちがその気なら徹底的に邪魔するしかないじゃないか。


「御屋形様、十兵衛様がお越しでございます」


 万千代が執務室に入り言う。


「十兵衛か。通してくれ」

「それが……評定の間までお越し願いたいと」


 十兵衛が来いというのは珍しいな。同じ城内だし、移動すること自体は吝かではない。俺の後を万千代が付いて来る。評定の間に入ると十兵衛と他にもう一人、男が低頭していた。見覚えのない男だ。


「面を上げよ」


 顔を見る。うん、やはり見覚えは無い。俺は十兵衛に尋ねる。


「その者は何方だ?」

「はっ、この者は井上美濃守英安なる者にございます。某の家臣として加えたく、お願い申し上げるため参上した次第にございます」

「入れ込んでおるな。何者だ?」

「畠山修理大夫の直臣にございます」

「ほう」


 つまり、絶賛能登取り返し中の畠山義続、義綱親子の家臣ということになる。なんでまた我らに靡いたのか。訝しさを感じる。それはそれとして畠山親子の動向が気にならないと言えば嘘だ。


 俺が興味を示したのを察したのか、十兵衛が井上何某に目配せをする。井上が緊張した面持ちで口を開いた。


「畠山軍でございますが、二月に本願寺から合力を謝絶されておりまする。また、先月には上杉輝虎が呼応し兵を走らせるも越後にて不穏な動き有りと兵を引いてございます。なんとか湯山城を占領し、拠点にしてはおりますが、その……」


 そこまで話し、言葉を濁す。状況は芳しくないということだろう。当てにしていた後詰めも届かない状況だ。士気が下がってもおかしくはない。


「十兵衛、どう見る?」

「初めは上手くいきましょうが、尻すぼみになるでしょう。奪還は能わぬかと」

「では、我らはどう動くべきだ?」


 能登の地図を小姓に持って来させ、広げる。湯山城は越中にあり、能登の南東に位置する。我らは南西から攻め入り、堀松城を目指す。真逆の方向である。


「攻め入るならば七月から八月にかけてでございましょう。もう四月も終わりますれば、出兵するのであれば猶予はそう多くは無いかと存じまする」

「俺も同じ見立てだ。八月と九月を超えれば農兵は刈り入れのため、気が気でなくなる。連戦に次ぐ連戦。地の利は無いが天の時の人の和はこちらにあるぞ」


 二万の兵を動員する。そうなった場合、船の手配が追いつくだろうか。銭に物を言わせて渡るしかない。朝倉には話を付けてある。大丈夫のはず。何か見落としはないだろうか。どうして不安が拭えないのだろうか。


「御屋形様、加賀の一向宗は如何なさるおつもりで?」


 それだ。一番の難敵である一向宗がどう動くか読めない。だが、幸いにも顕如とは知己の仲だ。三河の一向宗を支援した恩もある。その恩を返してもらおう。


「十兵衛、我らは一向門徒に三河での貸しがあるな。その辺りを上手く利用して静観させたい。十兵衛が俺の代筆をして文を用意せよ。俺はそれに花押を入れるぞ」

「かしこまりましてございます」

「ああ、それから井上美濃守の件であったな。俺は十兵衛の行うことにケチを付ける気はない。一任す」

「ははっ」


 さて、織田に返書をし、本願寺に文を送った。それがどう転ぶか。織田と本願寺は遠からずぶつかることになる。それまでに本願寺を利用し尽くし、骨の髄までしゃぶり尽くしたい。


 そう思っていた。しかし、現実とはこちらの思惑通りに動かないもので。織田から返ってきた返事は非であった。こうなれば是非に及ばずである。


 本当に、一度、織田と戦ってみようか。そんな考えが頭の中を過ぎるのであった。


 ◇ ◇ ◇


永禄十一年(一五六八年)五月 若狭国 後瀬山城 武田氏館


 俺は主だった家臣を後瀬山城に集めた。明智十兵衛に沼田上野之助、本多弥八郎に真田源五郎。嶋左近に井伊肥後守、それから飯富兵部少輔と前田又左衛門、おまけに源太虎清と伝左衛門だ。


「集まったか。話というのは他でもない。俺はな、六角に与し、織田と一戦交えてみようと思っている。それについて如何思うか尋ねたい」


 まずは俺の考えから述べる。建前は浅井は父の仇であり、六角は親族であるから守るべきであるとするが、そんなものはどうでも良い。大事なのは勢いのある織田を叩いて動きを鈍らせておきたいからだ。


 味方にならないのならば叩く。当たり前のことである。これで織田が擦り寄ってくれば良し。擦り寄って来なければ……全力で仕留めるほかない。あれ、もしかして危険な賭けに出ようとしている。


「あ、いや、やっぱり今の話は無――」

「良き案にござる!」


 そう言いながら膝を叩いて賛成の意を示したのは飯富兵部少輔であった。飯富の真意は読めないが、織田と戦うことで間接的に信玄を助けようとしているのではないだろうか。


「ちょ、だから、違――」

「確かに御屋形様が音頭を取り、三好と六角をまとめ上げ、信玄公に背後を突いてもらえば十分に勝機はございましょう」


 上野之助が言う。いやいやいや、そう簡単に言ってくれるな。織田は少なくとも三万の兵を動員してくるだろう。六角は全兵力を集めるはず。でなければ滅ぶからだ。


 六角は意地でも一万の兵を集めるだろう。三好も一万は集められるはず。であれば、我らが一万の兵を動員すれば互角に戦えるだろうか。


 うん、無理だ。最低でも織田勢を上回る兵力が欲しい。ここに本願寺が加わってくれたら仕上がるんだけど三好と本願寺が轡を並べることはないだろう。ああ、北畠を参戦させれば良いのか。


 兵力を多く集め粘って信玄公が動くのを待つ。これならば何とかなりそうだ。


「弥八郎、又左衛門、肥後守はどう思う?」

「松平は三河での一向一揆の傷が尾を引いているでしょう。甲斐の武田の動向もあります。動かせて二、三千かと。そこまで考慮する必要はないでしょう」


 弥八郎が言う。肥後守もそれに追従した。


「松平に余力は無いでしょうな。分の悪い勝負ではないかと」


 しかし、又左衛門はというと彼らとは違い、難色を示していた。


「織田の殿様には恩がある。御屋形様から命が降れば従うが、積極的に戦いたい相手ではない。なにより、怖い」

「それに信玄公が動くかどうかも怪しい。織田と婚姻の同盟を結んでいるはず。我らが優勢にならない限り、動くことは無いと考えるべきかと」


 そう付け加えたのは真田源五郎である。うーむ、俺の読みが浅かったか。だが、我らを袖にした織田をのさばられせておくのも癪である。


 いや、今は諦めよう。織田のところには爆弾が居るのだ。足利義昭という名の爆弾が。兵力を小出しにして各個撃破されていたら世話ない。今は耐え忍ぶ時期である。


「集まってもらってすまないが、今日の話はなかったことにしてくれ。まだその時ではない。国を富ませ、兵力を蓄えるべきだ。織田と能登、この二つを同時に相手できる訳も無し」


 忸怩たる思いではある。だが、それが現実だ。現実を見ずに玉砕覚悟で戦うわけにはいかない。難しいものだ。機を見るというのは。


「しかし、驚きましたな。御屋形様の口から織田を相手取ると飛び出したのは」


 そう言ったのは伝左衛門であった。そんなに珍しかっただろうか。その理由を伝左衛門が続けて言った。


「御屋形様は確実に勝てる相手としか戦わぬと思っておりました」

「いや、そんなことはないぞ。であれば毛利に喧嘩を吹っ掛けたりはせん。だが、そうだな。孫犬丸の事を考えたらな」


 孫犬丸にはより良い形で当主の座を譲りたい。そう考えると、織田が大きくなり過ぎるのは考えものなのである。ああ、ここに来て欲が出てきてしまったのか。


 しかし、やはり出来るのならば織田を一度、叩いておきたい。それが能うかどうか、手を尽くすだけ尽くしてみようか。


「子が出来ると親は変わるものだな」


 そうしみじみと思う。俺には願うことしかできなかった。これが良い変化であることを。


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― 新着の感想 ―
[一言] うんうん、織田と決戦するくらい派手な展開もたまには欲しいよ 浅井の親の敵討ちが放置ぎみなのもあんまよくないね 一番のドラマが生まれる要素なのに
[良い点] 織田さんは何回叩いても復活してくるから敵対するなら尾張まで全部飲み込むか信長を討つかどっちかしないとキビシいですよね……
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