居丈高な偉丈夫
永禄十一年(一五六八年)三月 若狭国 後瀬山城 武田氏館
俺は今、輸送の規格化を進めている。というのも、領地が東西に長くなり過ぎたのが原因だ。さらに能登を制圧して東に伸ばそうとしている。こうなってしまった以上、輸送は由々しき問題である。
海路は船、陸路は牛車にて荷駄を輸送している。効率的に輸送するために、荷駄を余すことなく効率的に運ぶために容器を規格化し、船と牛車に隙間なく詰めるよう改良するのである。
この単位の統一というのが重要なのである。こちらでルールを決めることが出来るのだ。それよりも強いものはない。武田領内では使用する升のサイズは厳格に決められている。通称、武田升と呼ばれている。
「やはり瀬戸内を押さえたい。小豆島が欲しいな」
日本海と瀬戸内海の両方を押さえれば輸送に悩むこともなくなる。船であっという間に運ぶことが出来るからだ。しかし、小豆島を得ることは出来ない。まだ早い。その時ではないのだ。
「御屋形様、十兵衛様が参られております」
「なに、十兵衛が?」
十兵衛は今、備中攻めの最中のはず。その彼がやってきたということは何かしらのトラブルが発生したということだ。急ぎ十兵衛に会う。十兵衛は平身低頭して待っていた。
「如何した、十兵衛!?」
俺はあえてわざと酷く慌てている様相で十兵衛に接した。彼の肩を掴み、面を上げさせる。十兵衛はたいそう驚いていた。そして俺から目線を逸らす。
「如何したのだ?」
「大変、申し訳ございませぬ。松山城、落とすこと能いませなんだ」
そういって再び平身低頭してしまった。なんだ。そんなことか。勝負は時の運である。戦で大事なのは勝つことではない。負けないことだ。この二つは似ているようで大きく違う。
「構わぬ。実はな、こちらにも毛利から連絡があった。よほど切羽詰まっているのか山科権大納言を使者として遣わしてきたくらいだ」
俺は山科言継と話し合った内容を十兵衛に告げた。どうやら俺と十兵衛の思惑は同じようである。自力だろうと他力だろうと備中は俺のモノになる。これは朝廷の定めた決定事項だ。
ならば余計な損失はせず、能登に兵を回す方が良い。戦国武将らしからぬ、非常に大人な対応だ。そしてそれを俺は好ましく思っている。やはり十兵衛は信の置ける男である。
「わかった。ここからは俺が引き継ごう。十兵衛は全軍を撤退させてくれ」
「……はっ」
少し、間があった。やはり忸怩たる思いではあるのだろう。家臣たちのモチベーション維持も簡単ではない。これまでの忠節にきちんと報いなければ。
「十兵衛には子がおったな」
「はっ。四人の娘が居りまする」
「どうだ。そのうちの一人を産まれたばかりの小五郎の妻にせぬか。庶子とはいえ、俺の子だ。ま、無事に大きく育てばの話だがな」
「よ、よろしいので?」
「難しいものよな。庶子というものは。家は継がせられぬが優遇させ過ぎても冷遇させ過ぎてもいかん。俺は小五郎に能登を任せるつもりだ。その意味、わかってくれるな?」
暗に小五郎の後見を十兵衛に任せると言っているのだ。それはつまり、能登一国を十兵衛に任せるという意味に捉えても過言ではない。もちろん、能登を盗れたらの話だが。
「どうだ?」
「願ってもない話にございます」
再び頭を下げる。これで俺は十兵衛と更に深い親族付き合いをすることが出来るようになるのだ。悪い話ではない。その十兵衛には能登に侵攻するのは八月であると述べた。
稲の刈り入れが終わる前に雇い兵にて能登に入る。今、畠山親子が能登に入り込んで戦をしている最中だ。それがどれだけ続くかはわからないが、半年後であれば両者ともに疲弊しているのは間違いないはず。
「能登攻めは十兵衛に一任す。今度こそ俺の期待に応えてくれ」
「ははっ」
能登侵攻の最低ラインは堀松城の奪還だ。まずはそれを行い、拠点を築ければ御の字というところだろう。例え松山城の攻略に失敗したとしても、俺の十兵衛に対する信頼は揺らがない。この程度で揺らいではいけないのだ。
では松山城攻めの後任には誰を据えるか。俺の腹の中ではもう決めている人物がいた。真田兄弟である。そろそろ真田兄弟とも仲を深めたい。仲を深めるには大役を任せるのが一番である。
「十兵衛は能登侵攻に備え準備を進めてくれ。あと、小五郎のことも頼むぞ」
「ははっ」
今度は真田兄弟を呼び寄せる。真田兄弟は五日ほどでやってきた。やってきたのだが彼らと時を同じくして毛利輝元の使者を名乗る男が現れた。吉川少輔次郎元資である。弱冠二十歳の益荒男だ。
あの吉川元春の長子である。毛利は人材が豊富で羨ましい。筍のようにぽこぽこと新しい芽が出てくるのだから。俺も一度、家臣の子らを精査してみるべきか。
菊千代、新吉、万千代、熊千代。うん、十分育っているか。そういえば真田にも長男が生まれていたはず。大きくなったら小姓として取り立てよう。
「俺が武田伊豆守……いや、備中守である。目通り願いたいとのことであったが、何用だ?」
俺は真田兄弟を護衛と称してこの場に通した。まだ詳しい話はしていないが、察しの良い昌幸のことだ。理解してくれるに違いない。わからなければ黙っていてくれ。
真田兄弟の到着がもう少し早ければ吉川元資を待たせ、真田兄弟と綿密な打ち合わせをしてから会談に臨んだというのに。
「この度は武田備中守様にお目通り願い、恐悦至極に存じまする。恐れながら申し上げます。朝廷からの使者によれば、我ら毛利は貴殿らに対し、謝罪をせよとのことにござい申した。はて、我らは貴殿らに対し、何を謝罪せよと仰せられるのか。お教え願いたい」
徐々に語気を強めながらも静かに詰め寄ってくる元資。のらりくらりと躱すのは俺の最も得意とするところではある。にやりと笑みを浮かべ、元資に回答する。
「いやいや、毛利殿に謝る気が無いというのであればそれまでのこと。話はそれで終いである。これ、客人のお帰りだ。誰ぞあるか?」
「お待ちを。話はまだ終わっておりませぬ。某は何に対し謝罪せよと仰せられるのかがわからぬと申しておるのでございます。謝らぬとは申しておりませぬ」
「心当たりがないと申されるか?」
「はい。身共には思い浮かびませぬ」
じっと見つめ合う俺と元資。真田兄弟も固唾を飲んで見守っている。
「はぁ。ならばこの話は終いだ。次は事情を理解できる者を寄越してくれと伝えてくれ」
暗にお前には知らされていないのだろうと仄めかす。こうして向こうから襤褸を出してくれるのを待つのだ。叩けば埃は出てくるだろう。それなら布団叩きでも使って叩いてやるだけだ。
「……貴殿らは我らが三村と繋がっていたことを謝罪せよ。そう仰せられるか」
観念したのか。元資が口を開いた。手紙などから薄々は感じ取っていたが、やはり繋がっていたか。三村を我らとの緩衝材にでも使おうと思っていたのだろう。
「それを後ろめたく思うのであれば、謝るべきでは?」
その件だと断定はしないが、それかもしれないねと仄めかす。こちらからは尻尾を出さない。立場は圧倒的に此方が有利なのだから。
我ら武田が三村を攻め取るお墨付きを出しておきながら裏で繋がる。これを悪いと思うのであれば、謝るべきだと俺は言いたいね。
「この件に関しては我ら毛利の落ち度にございまする。どうか、謝罪を受け入れていただきたい」
そう言って元資が書状を取り出した。それを真田昌幸が受け取り、俺に手渡す。中を読むと毛利輝元、吉川元春、小早川隆景の連名の書状だった。内容は謝罪である。
元資。食わせ物である。この書状を手渡されていて、いけしゃあしゃあと落ち度はないで押し切ろうとしたのだから。俺は文を昌幸に手渡し、後は任せると述べて退室した。
元資が俺を制しようとするが逆に信尹が元資を制す。さて、どう転ぶか見ものだな。後は昌幸に任せよう。
◇ ◇ ◇
御屋形様が某に文を手渡して退室なされてしまった。早速、この文を読み進める。
「お待ちを――」
「御前にございますぞ」
信尹が元資を制した。流石は我が弟、良い働きをする。その間にさっと文を読み通したが、成程。御屋形様がお怒りになるのも無理はない。
「少輔次郎殿はこの書状を持っていながらも毛利に落ち度はないと申されたのか。呆れて物も言えませぬな」
政の駆け引きというものをわかっていない。これは元資の独断だろうか。独断だろうな。まだ弱冠の年齢か。青い。若い。世の荒波を知らずに育ったと見える。
「申し訳ないが、御屋形様は怒りのあまりお出になられた。これ以上の話し合いは無理というものでしょう。むしろ、毛利は我ら武田と手を切りたいと見える。ならばお望み通りに戦と相致しましょう」
脅しである。しかし、この男はやってはいけないことをしたのだ。いや、もしかするとこの男は交渉を決裂させたいのかもしれない。毛利も一枚岩ではないのか?
「一手お相手仕りたいところではあるが、そうではござらぬ。我らは何としてでも和議を結ばねばならぬのだ。それが帝の御意思にござる」
元資が強気に出ているのは朝廷が毛利に靡いているからか。御屋形様もそれを良しとしたため、官位を授かった。そういう経緯か。呑み込めてきた。
だとしてもこれはいただけない。毛利が武田を舐めているのだ。業腹ものである。さて、どうしてやろうか。落としどころを見つけながら話さねばならない。意外と面倒だぞ。
「だとしても嘘は感心しませんな」
「はて、嘘とは?」
「謝罪することが無いと申しておきながら謝罪の文を寄越すとは。これ如何に」
「某は御屋形様からその文を手渡すよう仰せつかったまで。手紙の内容までは存じ上げぬことにござる」
白々しい。手紙の内容を知らなかったらどうしてあの問答ができようか。とはいえ、これ以上は水掛け論。押し問答になってしまう。
「今日のところはお引き取りを。御屋形様はもう其方に会うことはございますまい」
「そうはいかぬ。何の成果もなくおめおめと帰れるわけがない」
「しかし、御屋形様に会うこと能わぬぞ。如何する気だ?」
口調が段々と好戦的になってしまう。致し方のないことだろう。本来ならば、この場にて手打ちにしたいくらいだ。これ、信尹。そのような目でこちらを見るでない。向こうが我らを格下に見て舐めて掛かってきているのだぞ。
「うぅむ。それは困った」
どうやらそこまで考えていなかったようである。そこで某は言う。一度国許に帰り、別の使者を寄越されよと。これで時間は稼げる。
「承知した。今回はこれにて引き下がろう」
これで時間は稼げる。この対応で合っていただろうか。元資が退室する。某は溜息を吐いてから御屋形様を呼びに行くのであった。
◇ ◇ ◇
「どうであった?」
室内に戻り、俺は真田兄弟に尋ねる。
「いやはや、なんとも強烈な御仁でしたな」
信尹が言う。これでも言葉を濁してくれた方だろう。確かに気の強い男ではあった。強かだと思った。水掛け論にできる部分は強気で、最大限の利益を求める男だと感じた。
「して、御屋形様は何故我らを呼ばれたのでございましょう?」
「うむ。それなのだがな、其方たちに三村討伐を頼みたいのだ。だが、三村の籠っている松山城は堅城。そこで毛利を上手く使って欲しいのだ。何やら毛利には貸しがあるようなのでな」
にやりと笑って昌幸の質問に答えた。毛利の兵でなんとか松山城を落とし、三村家親の首を持ってこいと言ってるのである。
「なるほど。承知いたしました」
「向こうには吹っ掛けてある。銭を払ってでも三村家親討伐に加わりたいそうだ。上手くやってくれ」
その言葉を聞いていやらしい笑みを浮かべたのは昌幸である。退室する昌幸がとても生き生きと見えたのは錯覚だろうか。信尹、頼んだぞ。
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