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藤田伝伍の話 ―備中高松城攻め編―

藤田伝伍の話


 十兵衛様は三村紀伊守を朝敵にすると、それはもう早かったです。用意していた使者を一気に走らせ、国衆たちの懐柔を行ったのです。


 お味方になってくれたらば最良でございますが、十兵衛様はお味方にならずとも良いと仰せになられました。傍観を決め込むだけで良いと仰ったのです。


 いやぁ、慧眼慧眼。三村紀伊守が居なければ後からどうとでもなると考えたのでしょう。ただの国衆の集まりは烏合の衆でございますからな。


 それから直ぐに兵を石川左衛門尉久孝の守る高松城へと向かわせました。その数は三千。御屋形様受け売りの雇い兵を直ぐに動かしたのでございます。


 率いたのは明智左馬助殿と斎藤内蔵助殿、それから妻木伝兵衛殿にございました。それぞれが千ずつをひきいたのでございます。某も副将として左馬助殿の補佐をしておりました。


 準備の整っていない高松城に雪崩れ込みました。しかし、高松城はぬかるみが酷く、足を取られ速度が出ませんでした。抜けたのは三つある門のうち、一の門のみ。


 しかし、これで高松城の三割ほどを占拠することが出来たのでございます。また、高松城内には兵も少なく、我らの動きが早かったため、城内の人はこれ以上、増えませなんだ。


 もちろん、我らを突破して城内へ入ろうとする敵方の動きはございましたが、そこは明智左馬助殿の見事な采配にて切り抜けたのでございます。


 斎藤内蔵助殿が二の門を攻め立て、妻木伝兵衛殿が入城を試みる敵方を迎え撃つ。それを良い塩梅にて差配する明智左馬助殿。


 上野肥前守隆徳――三村家親の娘婿ですな――が攻め寄せてくるも妻木殿が懸命に守り抜きまする。ここには御屋形様のある秘策が秘められていたのでございます。


 御屋形様は小荷駄を牛車に積んで移動させるよう、十兵衛様に厳命しておりました。十兵衛様もこれを素直に実直に実行しており申した。某は、それが何を意味するかわかりませなんだ。このときまでは。


「急ぎ展開せよ!」


 妻木殿がそう発破をかけます。すると小荷駄を積んでいた牛車を解体し、そのまま柵と矢避けの壁をつくり始めたではありませんか。初めから、一の門に陣地を構築する手はずだったのです。


 二の門、三の門は抜けないとのお考えだったのでしょう。十兵衛様の御慧眼たるや、御屋形様もご覧あれといったところでしょう。


 この一の門にて挟撃されながらも十兵衛様率いる本隊が来るまで持ち堪えることが出来たのは、この牛車の砦があったからにございましょう。


 簡素な牛車の砦と侮るなかれ。逆茂木や矢避けに使う想定で牛車として組まれたのでしょう。即座に用意することが出来申した。流石は十兵衛様にございます。


 上野肥前守も猛攻を仕掛けてきましたが、某にはやはりどこか焦りを感じられ申した。こちらは陣を構え、どっしりと上野肥前守を迎え撃ちまする。


 出鼻を挫かれた上野肥前守は甚大な被害を被っておられ申した。上野肥前守は二千の兵にて攻め立てて参りましたが、こちらの堅さに士気が下がり、逃散も相次いだのでしょう。千の兵を率いて下がったのでございます。


 逃散が相次いだのは十兵衛様が村々に降伏を促したからにほかなりません。百姓どもは実際に我らの堅守ぶりに勝てぬと思ったのでしょう。逃げ散ったのでございます。三村に着くより我らに着いた方が得だと思ったようで。


 そこからは散発的な戦にございました。火の粉を払うよりも簡単な作業でございましたな。三日三晩、敵方の攻めを凌ぐと十兵衛様が一万の大軍を率いて後詰めに駆け付けてくれたのです。


 そこからはどうやって高松城を抜くか。その一点にございました。どのような策を弄するのか、某は少し楽しみにしていたのですが、意外にも十兵衛様がとった手段は力攻めにございました。


「この城は一気呵成に落とす。我ら武田の勢いを備中の国衆どもに見せつけねばならん。敵対してはいかぬとな。被害は甚大になろう。それも承知の上、覚悟の上である。御屋形様の恩為、死んでくれ」


 粛々とそう仰る十兵衛様が印象的でございました。十兵衛様と言えば、誰よりも家臣を大事にするお方。そのお方が死ねと仰るのだから某も大きな衝撃を受け申した。


 しかし、だからこそ十兵衛様の為に命を抛ってでも高松城を落とす。今だからこそ思いまするが、あのお言葉があったからこそ、一致団結できたように思います。某はおめおめと生き長らえておりますが。


 そこからは一万の兵にて四方八方から攻め寄せ申した。十兵衛様が本丸である二の門へ、斎藤内蔵助殿は搦め手門へ向かい、明智左馬助殿と妻木伝兵衛殿は堀を越えて城内へ侵入しようと試みます。


 こうなっては多勢に無勢。お味方の被害も少なくはありませなんだが、そのお陰か、どうにか二の門も抜くことが出来てございます。


 残るは三の門と本丸だけにございますが、こうなってはまな板の鯉。下駄を預けたようなものにございます。十兵衛様は休む間もなく三の門の攻略に着手いたしました。


 それは派手に破城槌を打ち込んでおられました。今にして思えば敵方の目を此方に向けていたのだと思います。その甲斐があってか、斎藤内蔵助殿が搦め手門を破ることに成功したのでございます。


 門が開いてしまえば本丸はあっという間に制圧。石川左衛門尉は本丸にて自害なされており申した。たった千名の兵が籠る高松城に一万五千を超える大軍で挑み十日近くかけて制圧する。


 こちらの被害も小さくはなく、三千の死者および負傷兵を負ってしまったのです。負傷兵というのは厄介でしてな。死者であれば供養して塚に埋葬する。しかし、負傷者はそうはいかぬのです。


 手当をし、連れて行く。もしくは郷に帰らせる必要がございます。多くの負傷兵を抱えてしまった十兵衛様はこの高松城に留まり、周囲を調略することとしたのです。


 三村紀伊守が籠るはこの高松よりも堅城として知られる松山城。十兵衛様も今のままでは落とすこと能わずと思っていたのでしょう。調略して兵を増やそうと考えたのだと思いまする。


「そこに御屋形様から文を持った伝左衛門殿がやって参られた。そういう次第にございます」

「そういう事情でござったか。十兵衛様はご自身で三村を降したかったでしょうな」


 伝左衛門殿が唸りながらそう述べた。確かに十兵衛様は口惜しかったに違いない。しかし、どこかホッとしておるやもしれぬ。あのお方は元来、争いを避けるお方だ。


 家族を想い、家臣を想い、民を想う。今、十兵衛様が戦っておられるのも、この日ノ本から争いを無くすためだと某は思っている。そして、御屋形様の元でそれは叶うと思っておられるのだ。


「久しぶりの大戦にございましたな」

「ええ。ですが、戦なぞない方が良い。そうは思いませぬか」

「真に」


 伝左衛門殿とそば茶を飲む。もうすぐ三月。もうすぐ暖かくなりそうだ。

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