ちょうていの使者
永禄十一年(一五六八年)三月 若狭国 後瀬山城 武田氏館
「お久しぶりでごじゃるな」
俺の前に鎮座しているのは権大納言である山科言継だ。何をしに来たのか。用件はわかっている。毛利のことだ。俺が毛利の使者と面会しないことに業を煮やして朝廷を動かして調停にきたと見える。
表向きの名目は俺の子が無事に産まれた祝いを述べに来たと言ってるが、そんなものは建前に過ぎない。だが、そう言われると断れないのも事実である。
「本日は、如何な御用向きで?」
「そう焦らずとも。なにやら領内に公家町を造られておるとか。麿の屋敷もお願いできますかな?」
「もちろんにございます。権大納言様と我らは昵懇の仲にございますれば」
「ほほほ、そうかそうか。では、麿の願いを聞いてたも」
「願いの内容に寄りますな」
一見すると俺も権大納言もにこにこと笑みを浮かべ、穏やかな話し合いをしているように見えるだろう。俺としては早く帰ってくれという想いでしかない。
「まずは御子の誕生、おめでとうございまする」
「忝い」
「そこで帝より、伊豆守殿に官位を授けたいとのことでおじゃるが、受け取って貰えますな?」
権大納言が提案してきたのは従五位下、備中守である。武田家が代々受け継ぐ大膳大夫は信玄公が既に受け取っている。俺がそれを受け取ることは出来ない。
いや、それとも備中守を俺に渡すことで備中は俺が治めて良いというお墨付きを与えようとしているのだろうか。それであるならば受け取らないという手はない。
「ありがたく頂戴仕りまする」
「そうかそうか。麿も一安心でおじゃ」
そば茶をずずっと啜る権大納言。わかっている。これだけでお話は終わりじゃないんだろう。ああ、今なら京都人の気持ちがわかる。帰って欲しい。帰って欲しいけど帰ってとは言えない。
「美味しいお茶ですな」
「ありがとうございます。そのお茶でぶぶ漬けでもどうですか?」
「いやいや、結構」
華麗に流されてしまった。この時代にぶぶ漬けはあるのだろうか。意味が通じなかったか。悔しい。頑張って勇気を振り絞って発言したのに。
「備中守を受け取るということは、備中を治めるということにおじゃる」
「はっ」
「備中の隣は備後じゃ。毛利とは、上手くやれそうかの?」
暗に毛利と上手くやれと言われている気がする。だが、あえて空気を読まない。上手い返しが必要だ。言葉を選び、丁寧に返答する。
「はっ。しかしながら、私どもは戦しか能のないしがない武人にございます。領地が隣り合えば小競り合いが産まれるは必定。毛利とて例外ではございますまい」
「そうでおじゃろうな。武家とはなんとも厳しいものよ。なれば今だけは毛利と事を構えぬことは出来ぬでおじゃろうか?」
「と仰られますと?」
「其方らがばら撒いた毛利と三村の書状のことよ。毛利は根も葉もない噂であると」
「それであれば人の噂も七十五日と申しますれば、収まるまで待つしかないかと」
「そこでじゃ。毛利が三村攻めを手伝いたいと申しておる。麿の顔を立ててはくれぬか?」
まあ、そうなるよな。毛利が三村を攻めることによって事実無根であると晴らしたいのだ。全く、十兵衛も嫌らしいことをした。そのせいで俺まで大変になってしまったではないか。
あそこまでやるなんて思っていなかった。まあ、毛利は目の上のたん瘤になるから弱らせられるのなら弱らせたいところだけど。池に落ちた犬は叩けってね。
「いやいや、我らだけで結構にございます。我らと三村の戦、毛利が出てくる謂れはございませぬ」
「そこをなんとか」
食い下がる権大納言。帰れと言っても帰らないだろう。俺の役目は交渉を長引かせ、毛利を介入させないこと。であれば、やることは一つ。
「毛利からいくら貰いました?」
もうストレートに聞く。毛利にいくらで買収されたのかを尋ねる。しかし、全く動揺するそぶりを見せない権大納言。流石は応天門の中で生き残っているだけはある。
「はて。なんのことやら」
「それ以上を出すと申せば、引き下がっていただけますか?」
「吐いた唾は飲み込めぬもの。一度引き受けた以上、引き下がれぬのよ」
明言は避けたが、いくら銭を積んでも引き下がってくれないらしい。銭よりも信をとるか。権大納言、やはりわかっている。堅実だ。
「であれば、毛利殿にお伝えください。我が武田の前に頭を垂れて謝罪し、慰謝料を差し出すなら考えましょうと」
「はて。謝罪とは、何の謝罪じゃ?」
「毛利殿にお伝えいただければわかるかと」
含みを持たせ、持ち帰らせる。心当たりはあるだろう。さて、どの件で謝罪に来るか。来ないのか。こちらとしても、これ以上の譲歩は出来ない。
これで少しは時間を稼げた。この間に三村を独力で攻略してしまいたい。今、備中はどうなっているのか。俺には十兵衛を信じることしかできなかった。
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