能登入国の乱
風邪を引いて寝込んでおりました。
皆様も季節の変わり目にはお気を付けください。
永禄十一年(一五六八年)三月 若狭国 後瀬山城 武田氏館
文が産気づいた。俺は館の中をうろうろと彷徨うばかりである。出産は三回目になるが、未だに慣れない。孫犬丸が俺の後をずりばいで追う。素直に可愛い。
「よっと」
孫犬丸を抱き上げ、そしてまたうろうろと歩く。やることは山積みだが、文の子が男児か女児かで採用する戦略が変わってくるのだ。心配にもなるだろう。
まずは無事に出産まで辿り着けて安堵している。だが、ここで間違うと母子ともに危ない状態になってしまう。現代医療は無いのだ。不安に駆られてしまう。
そんな俺の元に一人の女中が走りながら向かってきた。顔に笑みが浮かんでいる。どうやら産まれたようだ。微かに赤子の鳴き声が聞こえる。
「御屋形様、おめでとうございまする。元気な男の子にございます!」
「そうか!」
俺は孫犬丸を抱えたまま文の元へと向かう。文は疲れた表情ではあったがやりきった、清々しい表情を浮かべていた。産婆は安堵の表情を浮かべている。
「文、ようやったぞ!」
「ありがとうございます。御屋形様」
「何を申す。礼を述べるのはこちらだ」
産婆が抱えている男児に目を向ける。眠そうな顔をしていた。名前を決めなければ。この子は河野家を継がせるつもりである。幼名は小五郎としよう。文の父の名だ。
本当はすぐにでも能登攻めの準備に取り掛かりたいがぐっと堪えて文を労わる。まだ産まれたばかりの新生児だ。ころっと亡くなる可能性も高い。だが、着々と準備は進んでいる。
越前を治めている朝倉の協力も取り付けてある。景鏡からも返書が来た。加賀と越中を気にしていたが、加賀の一向宗を義祖父の信玄と一緒に扇動し、越後に雪崩れ込ませようと考えている。
それが駄目なら加賀を治めるべく、俺が乗り込むしかない。そうなったら本願寺とは手切れだ。どの道、織田に付くのであれば本願寺とは手切れをしなければならない。
文の出産を藤も霞も栄も喜んでくれた。誰も妬むようなことはしていない。藤は嫡男たる孫犬丸を産んでおり、霞も牡丹を授かっている。栄はまだ嫁いで日が浅い。妬む理由が無いのだ。
可愛らしい顔をしている。俺ではなく文に似ているようだ。弱冠にも満たない歳の俺が四人の妻を娶り三人の妻を孕ませる。後世には好色家と記されるだろうな。
だが、子を増やすことは止めない。四人の妻に三人ずつ子を授かれば十二人か。大所帯だな。だが、まずはそれを目指していこう。
文を一通り労った後、産婆に産まれたばかりの小五郎を任せ、母上に報告する。母上としても孫が増えるのだ。喜びこそすれ、悲しむことはないだろう。
「母上、お慶びくだされ。元気な男児を授かりましたぞ」
「……そうですか」
母上は柔和な笑みを浮かべるばかり。そして何かを言いかけ、止めた。俺がそれを察し、母の言葉を待つと、母は意を決したように、俺にこう問いかけた。
「其方、その子を周暠の養子にと考えておりませんか?」
「叔父上の、にございますか? 考えておりませぬが、しかし何故?」
「いえ。考えていないのであれば良いのです。これからもそのように思いなさい」
「はぁ」
消化不良のまま母上の前を辞する。疑問に思った俺は小姓である嶋新吉にそのことを話した。すると、新吉はすぐに母上の意図を理解したようで、俺にこう述べる。
「おそらくですが、御屋形様が将軍位を簒奪するのを危惧されたのかと」
「俺が!? 将軍位を!?」
なるほど冷静に考えてみれば理解できる。毛利とも互角に渡り合え、畿内に近い。公家の取り込みも行っており、京に伊勢を送り込んだ。狙っていると言われてもおかしくはない。
「馬鹿な。俺は平島公方に与したばかりだぞ!」
そう言うも新吉は黙り込んでしまう。それもそうだ。新吉に母上の考えはわからないのだから。俺が将軍位を簒奪することはない。するとすれば、自力で足利を根絶やしにしてやる。
俺は母上に怒り、そして失望しながら歩を強めて歩く。廊下に足音が響いたであろう。頭を切り替えて能登攻めに集中しなければ。
まずは河野藤兵衛の居城だった堀松城を抑える。そして直ぐ西にある高浜の湊を抑えたい。そうすれば若狭から船で往来することが出来るようになる。
当たり前だが奇襲をかけたい。能登はまだ永禄九年の政変の影響によって不安定なままのはず。今が好機なのだ。そう思い、俺は号令を一下しようとしていた。そのときだった。
「御屋形様」
「どうした?」
黒川与四郎が俺の元に現れた。与四郎が現れたとなれば、なにか大きな事が起こったに違いない。腰を据えて人払いをしてから与四郎の話を聞く。
「畠山左衛門佐および畠山修理大夫、六角、上杉、神保らと連携して能登に侵攻する由」
「それは真か?」
「真に」
頭が痛くなってきた。どうしてこのタイミングで。いや、理由はわかる。腐っても能登の国主だったのだ。自分の国を取り戻したい。そういうことだろう。しかし……上手くいくのだろうか。
いや、わかる。考えていることは俺と同じだ。政変で動揺している今なら自分にも付け入る隙がある。六角と上杉の協力を取り付けた。怖いものは無いと思っているのだろう。
だが、六角は眼前に迫っている織田の対処にてんてこ舞いになるだろうし、上杉も武田と北条という敵が残っている。能登や越中ばかりにかまけてられない。俺とは事情が違うのだ。
「上手く行きそうか?」
「行かぬでしょうな。上杉は義により手助けするようですが、六角は銭で雇った兵を貸し与えただけに過ぎませぬ。兵数もせいぜい二千か三千でしょう。そこに上杉の兵がどれだけ乗るか」
与四郎が言う。少ないと思っただろうか。しかし、能登で起きた一宮の合戦――文の父が討ち死にした戦だ――では畠山軍六千に対し遊佐軍五千がぶつかっている。少なくは無いのだ。
「こればかりは俺にもどうすることもできん。むしろ、能登が更に深みにはまっていくだけ、か。俺にとっては好都合のような気もするな」
「また修理大夫、病が重いようにございます」
「ほう。それなのに出陣するか」
「抑えが利かなくなったのでしょう」
能登に戻れなければ付いて来てくれた家臣たちの心が離れてしまう。時間との戦いでもあるのだろう。しかし、それならばどうして俺に声を掛けないのか。
ああ。それを見越して俺に娘を嫁がせようと思ったのか。それを断られた。そりゃ声もかけられないわな。一人で疑問に思い、一人で解決してしまった。今では能登を狙うライバルということか。
「それならば畠山殿が能登を取り戻せるかどうか趨勢を見守ろうではないか。もし、能登を取り戻せたら俺と一手、お相手仕りたいところだな」
にやりと笑う。与四郎は「人を送り込みまする」と言って立ち去った。能登攻め延期を好機とみるか逸機とみるか。それは俺次第だ。
もしかすると、これは一つずつ片付けろという神の思し召しかも知れん。いや、そんなことは無いな。思考が小西如清に感化されているかもしれん。気を引き締めなければ。
能登攻めは取り止めだ。これは決定事項。畠山親子の能登入国の乱が上手くいくのかどうか見守る。上杉が絡んでいるのであれば、越後から攻め入るのだろう。
煮詰まったところで背後から急襲する。うん、これは面白そうだ。ああ、俺は今、あくどい笑みを浮かべているのだろうな。そんなことを考えていたのであった。
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