公家の子
永禄十一年(一五六八年)一月 若狭国 後瀬山城 武田氏館
俺の元を訪ねる者が居た。新年の挨拶にしては遅い。どうやら違うようだ。俺に別の用件があるらしい。断るわけにもいかず、場を設ける。
「ご無沙汰しておりまする、右大将様」
「そうかしこまらんでくれ。麿と其方の仲じゃ」
訪ねてきたのは右大将であった久我晴通だ。関係性で言うと祖父の妹の旦那である。つまり、何に当たるんだろう。まあ、それは今、問題じゃない。
「して、本日のご用向きは?」
「まあ、そう急くこともなかろう。なんでも領内に公家の町をつくっておるようでおじゃるな」
「はっ、左様にございます」
「もちろん久我の屋敷も?」
「当然にございまする」
「そうかそうか」
一瞬、晴通の目が細まった。その時に非常に強い圧を感じた。これが海千山千の公家か。殿上で生き残ってきた公家の圧は違う。
「なに。今日参った用件は他でもおじゃらぬ。豆州よ。妻を娶らぬか?」
「は?」
「其方には正妻に三条の孫、側室に草苅の娘、それから妾が一人でおじゃったか?」
文を妾と表現するのに引っ掛かりを覚えるが、概ねその通りだ。しかし、藤を武田の孫と言わない辺り、公家らしさを感じる。
「左様にございまする」
「其方にな、儂の子を娶ってもらいたいのだ。いやなに、正妻に据えろと言う話ではおじゃらん。側室にの」
「はて。右大将様に独り身の女子は居られなかったかと」
「麿の猶子でおじゃる。内大臣中院通為卿の子に」
中院家は久我家の支流に当たる家だ。中院通為は三年前に身罷られていたはず。事態が上手く呑み込めない。まずは話を聞くところから始めよう。
右大将曰く、中院通為には生母のわからぬ娘が二人も居るのだそう。その内の一人を娶って欲しい。そういうことであった。しかし、どうして俺にお鉢が回ってきたのか。
「其方は能登へ進出することを考えておるとな?」
「はぁ、まぁ」
「中院の家領は加賀でおじゃる」
つまり、中院の娘を娶ることで間接的に加賀への圧力をかけることが出来る。いつでも加賀に攻め込む大義名分を得られると言いたいのだろう。
朝廷としても加賀に国主が居ない現状を好ましく思っていないのだろう。そこにお前が入れという朝廷からの意思かもしれない。これを受けてしまっても良いのだろうか。
「前向きに検討させていただきたく」
「良い返事を期待しておるぞ」
サラリーマンのような回答をして難を逃れる。俺の直感としては受けてしまっても良いと思っているが、変な軋轢は生みたくはない。家臣の意見にも耳を傾ける。
朝廷としては俺を取り込みたいと思ったのか、公家の娘を嫁に送ってきたのだろう。母親のわからない娘だ。公家としては貰いたくない、厄介な相手を押し付けてきたように思う。ふふふ、俺はその程度の相手ということか。
十兵衛と上野乃助から手紙が届いた。どちらもこの話を受けて良いと賛成の意であった。本多弥八郎も大手を振って勧めている。どうやら俺が朝廷に食い込むことが嬉しいようだ。
久我の右大将様に返事をする。ありがたくお受けしたいと。そう述べると右大将は直ぐに飛んできた。娘を連れて。十六にもなる娘だ。名を栄と言う。黒髪の美しい、公家然とした娘だった。
ただその一方で目元はぱっちりとしており、唇も薄い。公家には好まれない顔立ちではあると思った。俺としてはこの方が好みだ。
どうも祝言も上げなくて良いらしい。久我家にはそこまでの銭が無いようだ。公家に嫁がせるわけでもなし。世間体も気にしなくて良いのだろう。母の分からぬ娘の扱いはそこまでになるのか。
「御屋形様、これは好機にございます。祝言をあげぬというなら盛大にあげるべきでございましょう」
本多弥八郎が言った。逆張りではないが、俺も同じ意見である。公家町を領内につくるのだ。その喧伝にもなる。どうせなら公家を集めて盛大にやってやるべきだ。
これもついでだ。逸見虎清に祝言の差配を任せよう。ここぞとばかりに盛大に祝言を行った。流石に帝にお越しいただくことは無理だ。そんなのは当たり前だ。しかし、祝いの言葉を賜ることが出来た。それだけでも成果だ。
右大将としては嫁ぎ先の無い娘を武家の名門に送り込めたと思っているだろう。逆だ。逆なんだよ。もし、俺が力を持ってみろ。俺は栄の子ども達を公家の養子に送り込み始めるぞ。
俺も初めの頃は公家との付き合いなんて面倒臭いくらいにしか思っていなかった。でも今は違う。なんだかんだ言って日本を動かしているのはまだまだ公家だ。
平安時代から、いやそれよりも前から連綿と生き残ってきた公家。生き残ったのにはそれなりに理由があるのである。根絶やしにするのは簡単だが、そうすると後が怖い。
公家は丁寧に丁寧に飼いならさなければならん。特に今は三村を共に糾弾してもらわなければならないのだ。祝言の席は根回しの席である。
自分でも強かになったと思う。ふと、どうして自分がこうなったのかを考える。思うに、子だ。子の存在が俺を強くするのだ。
親と子で、兄と弟で血で血を洗う争いはしたくない。避けるにはどうすれば良いか。自分の手で世を平らかにすれば良いのである。
いや、俺が天下統一なんて出来るとは思っていない。要は勝ち馬に乗れるようお膳立てしてやれば良いのである。それこそ加賀の前田家や陸奥の伊達家のように長く強く生きながらえることが大事なのだ。
そのためには俺に残されている五十年で石高を稼がなければならない。能登、加賀、越前を得ることが出来れば百万石は硬いだろう。そうすれば誰も我ら武田家を無視できまい。
現状でも七十万石はあるだろう。まだまだ織田や三好の足元にも及ばない。毛利とがっぷり四つでやり合えるかも怪しいものだ。備中が加われば十万石、いや十五万石が追加される。捨て置けない石高だ。
着々と触手を伸ばしていく。能登が終われば備中、備中が終われば加賀だ。この栄との縁が俺に意外な幸運をもたらすことになるのはもう少し先の話である。
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