いざ観音寺城へ
弘治二年(一五五六年)十月 若狭国 後瀬山城
祖父である武田信豊が近江の観音寺城に居ることが分かった。どうやら二、三か月前から滞在しているようだ。なので、観音寺城に向かうためにまずは父を説得する。そのために城に登った。
「父上、孫犬丸にございます」
「入れ」
「はっ、失礼いたしまする」
部屋の中には父だけではなく母も居た。どうやら父に膝枕をしているようだ。それからお付きの八重も控えている。俺は源太と伝左を控えさせ、自分だけ室内に入ると、その場に胡坐をかいた。
「何用だ?」
「はい。御祖父様のことにございまする」
そういうと父の眉がピクリと動いた。流石にその名前を出すのは控えるべきだったか。しかし、この問題から目を背けて後に大きな禍根となられても困る。
「それが如何した?」
「御祖父様が六角殿の観音寺城におわすとのことにございます。是非とも私めに御祖父様を連れ帰るよう、お命じ下され」
「何故その必要がある?」
「御祖父様を六角殿に利用されないために、ございます」
ここまで伝えれば父にも理解いただけるはずだ。六角の近江国と我等の若狭国は接している。六角に攻め込まれたら紙を吹き飛ばすが如く滅んでしまうだろう。
勿論、我等には足利将軍家の後ろ盾もある。そう簡単に攻め込んでくるとは思えないが、念には念を入れる必要がある。今の若狭は頼りにならない。
無いだろうが、三好と戦う代わりに若狭を寄越せ。なんて要求された日には幕臣達も悩まざるを得ない状況に陥るはずだ。六角としては父でなくても、御祖父様とその妻の子が若狭を継げば良いのだ。そして御祖父様もそうである。
「其方が赴けば我が父上は帰って来ると?」
どうやら父上は御祖父様は帰ってこないとみている。そりゃ、この後瀬山城に御祖父様の居場所は無い。本人も居づらいだけだろう。それには俺も同意だ。
「はい。この若狭には帰って来るかと」
俺は後瀬山城には帰って来ないが若狭国には帰ってくると睨んでいる。勿論、御祖父様と直接お話ししてみないことには何とも言えないが、可能性は低くない。
問題は六角が大人しく手放してくれるかどうかだ。手放さんだろうな。逆に俺まで囚われてしまっては状況を悪化させるだけになってしまう。が、その可能性は低いだろう。
父が考え込んでいる。母は心配そうに俺を見た。軽く笑って母を安堵させる。俺は両親に止められても近江に向かうつもりである。六角義賢をこの目で見てみたい。
「その観音寺城に父上が居るというのは確かなのだな?」
「はい」
「分かった。それでは父上を連れ帰って参れ。儂からも叔父上殿に文を認めよう」
そう言うと父上は起き上がり部屋を出ていく。どうやら右筆に任せず御自身で筆を取るようだ。それを見てから母上が父の目を盗んで小声で俺に話しかけてくる。
「孫犬丸や、本当に向かうのですか?」
「はい、勿論にございます。御祖父様は本来、若狭に居らねばならぬのです」
若狭に必要、という訳ではなく他の国に居られると困る。という否定的な必要性ではあるが。六角と結託させてはならないのである。
武田信玄も親を国外に追放しているが、あれは甲斐の武田が強いからできるのだ。弱い我等が行うと、追放した前国主を神輿に攻め込まれるのが落ちである。
「待たせたな。此方の書状を持っていけ。供回りは居るのか?」
「ありがとうございます。供回りは伝左に手配させておりまする」
「そうか。それならば良い」
どうやら父は俺を見送ってくれるようだ。これは素直にありがたい。信頼してくれているのか、それとも俺の言葉に利を感じてくれたのか。
「お前様、本当に孫犬丸を向かわせるのでございますか?」
「応とも。可愛い子には旅をさせよと言うではないか」
母は俺を心配する。俺が越前に向かった時もそうだ。母は心配し過ぎなのである。護衛も多く居るのだ。道中に何かあるはずがない。
しかし、どうやら父は俺を信じてくれている、可愛いと思ってくれているようだ。これは素直に嬉しく感じる。
両親に一礼をしてから感謝の言葉を告げて退出した。そして伝左に共に観音寺まで行く供回りを用意させる。
「わ、若様!? 某が供回りを用意するのでございますか?」
「そうだ。ああ、市川殿の倅で良い。それから何名かを手配しておいてくれ」
動揺している伝左にそう伝えておく。こうして俺が若狭を出て近江へと向かうことになったのであった。
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