若狭武田が次に狙うは
後瀬山城に戻った俺を待っていたのは吉報だった。文が子を宿した。俺の子だ。これで三人目となる。既にお腹がふんわりと大きくなっている。妊娠して四、五か月目だろうか。
どうやら文は妊娠を隠していたらしい。侍女である自分が、買われた身である自分が子を宿して良いと思っていなかったようだ。この点に関してはこっぴどく叱っておいた。全く。変なところで拗れているのだから。
順調に育てば春先には生まれるだろう。健康な子を産んで欲しい。今なら理解できる。子どもは何人居ても良い。全員が孫犬丸を助けてくれるだろう。
いや、助けるように育てなければならない。それが父親の責務である。初代よりも二代目、三代目の方が気苦労が多そうだ。織田も伊達も兄弟で争い、殺している。そうはさせたくない。
当家の嫡男は間違いなく孫犬丸だ。嫡男は俺が早々に指名するに限る。そうすれば家中に要らぬ問題を起こさずに済むのだから。
藤や霞であれば男女のどちらでも良いと思っていたが、こと文に関しては男児を産んで欲しい。そうすれば能登に攻め込むための旗頭とすることが出来るからである。
能登は未だに昏迷を極めている。永禄九年に起きた政変が未だに尾を引きずっているのだ。文は羽咋郡は堀松城の城主であった河野藤兵衛続秀の娘だ。続秀は先の一宮の合戦にて討死している。
ここで文との間に男児を授かることが出来れば、その男児を旗頭に岳父の弔い合戦を仕掛ける。大義名分は十分だ。朝倉がまだ我らに好意的なうちにことを片づけてしまいたい。すぐに険悪になるのだから。
今のうちから匂わせだけはしておいても良いかもしれない。朝倉には都合の良い男が居る。そう。朝倉景鏡だ。あの男は義など微塵もないが利には人一倍聡い。少しだけ利を垂らしてやれば簡単に尻尾を振るだろう。
景鏡に送る手紙の内容はこうだ。羽咋郡堀松城の城主であった河野藤兵衛続秀の娘である文との間に子を授かった。無事に産まれるか不安なので、高名な祈祷師を一人送って欲しい。
もし、産まれた子が男児ならば河野藤兵衛の弔い合戦をしたいと思っている。その時は義景の協力を得られるだろうか。越前から船で羽咋郡にある堀松城を取り返したいと思っている。
義景にそれとなく尋ねて欲しい。どれもこれも無事に子が産まれたらの話ではあるが。
そう綴った手紙を景鏡に送る。彼奴のことだ。産まれてもいないのに懐妊のお祝いだと言って手紙と共に貢物を送ってくるだろう。
それと同時に能登を追放された畠山義続と義綱にも文を送る。仔細は違えども景鏡に似たような内容の手紙だ。河野続秀は義続の家臣である。河野続秀の続の字は偏諱として義続から与えられたのだ。嫌とは言うまい。
能登に攻め込むのであれば素直に義続か義綱の娘を娶った方が良かっただろうか。いや、そうすると彼奴等は必ず口を挟んでくる。父の居ない文が結果として都合良いのだ。
畠山と朝倉の承諾を取り付けることが出来ればこちらのものである。国内が割れているということは我らに靡く国衆たちも出てくるということだ。
「黒川衆はいるか?」
「お呼びで」
天井裏から与四郎が降りてきた。どうやらずっと忍んでいたらしい。今は嫡男である与左衛門に任せ、自身は静かに余生を楽しんでいるのだろう。なんと羨ましい。
「能登に人をやって欲しい。付け入る隙があるかどうかを調べて欲しいのだ」
「承知」
まずは情報を集める。どの程度のいがみ合いなのかを確認してから策を練ることにする。能登は絶対に手に入れたい。能登を手に入れることができれば、周囲に睨みを利かせることが出来るのだ。
朝倉は若狭と能登の二か国から挟まれる形になる。我らに強気に出ることは出来なくなるだろう。もちろん表向きは加賀の一向宗を挟撃する体制を整えると伝える。でなければ朝倉に旨味は無い。
さらには越中だ。越中は武田と上杉が争っている最中である。上杉謙信が越中の椎名康胤を支援すると武田信玄が越中の一向衆や神保長職を支援する始末である。ここに我らが手を出すこともできるのだ。
上杉謙信とは関わりたくない。なので、謙信が死去するまで越中を防波堤にする。信玄も目は南に向けたいはず。協力して越中で阻止するのだ。そのためにも能登は獲らねばならん。
こう考えると、毛利元就しかり上杉謙信しかり俺は強敵が死去するのを待っている気がする。それも戦略といえばそれまでだ。代替わりの求心力が落ちたところを狙う。兵法の常道だ。
外交関係をもう一度見直そう。主軸としてあるのは織田に与するということである。そうなると一向宗とも手切れになる可能性が高い。ただ、信長から最後通牒を突きつけられるのはまだ先の話だ。それまでは懇意にしよう。
朝倉とも拗れる可能性が高い。その場合、景鏡をこちら側に引き入れる。義景と景鏡を対立させるのだ。それが最良のような気がする。
問題は信玄である。一向宗と手切れになる場合、信玄とも手切れになる可能性がある。武田信玄の妻と本願寺顕如の妻は姉妹。信玄と本願寺は切っても切れないのである。
織田信長と武田信玄。どちらを取るべきか。確か史実では信長と信玄の直接対決は無かったはず。信玄が死去して勝頼の代になって甲州征伐を起こしたのだ。
それに倣うならば、信玄が死去するまでは信玄に与し、死去したのちに信長に乗り換える。いやいや、そんな身勝手なことが許されるわけがない。
「あー、駄目だ。考えがまとまらん」
身体を投げ出し仰向けになる。織田の台頭がこんなにも影響してくるとは思ってもみなかった。全てを投げ出した俺は孫犬丸のもとへ向かうことにする。孫犬丸の頬をぺろぺろするのだ。
「御屋形様」
戸を開けた途端、控えていた井伊万千代が話しかけてきた。手には書状を持っている。どうやら、孫犬丸と戯れることは赦されないようであった。
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