公方、尾張に到着す
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永禄十年(一五六七年)十月 尾張国 小牧山城 曽根九郎左衛門尉虎盛
するりするりと尾張へと到着した。途中、足利義秋――公方と呼ばないと怒るので便宜上は公方と呼ぶが――が疲れたと駄々を捏ねる場面もあったが、淡海を船で突っ切れば尾張は目と鼻の先だ。
我ら武田は清水山城まで手中に収めているのですんなりと淡海の南東まで向かうことが出来た。ここからは徒歩での移動である。既に織田には先触れを出している。
近江を通って伊勢へ向かう。六角と北畠には公方から話が通っているようだ。ただ、北畠と織田はなにやらきな臭い関係になっていると聞く。公方が尾張へ向かうのを快く思っていないのではないだろうか。
「公方様にございましょうや。お待ちしており申した」
尾張に入ると武者とその手勢百名が我らを今や遅しと待っていた。家紋から察するにどうやら織田の手の者のようだ。歓迎してくれているらしい。
「某、森三左衛門と申しまする。我が殿より公方様を丁重にお持て成しするよう仰せつかっております故」
「おお、そうかそうか。苦しゅうないぞ。良きに計らえ」
森三左衛門なる者と合流して尾張の小牧山城へと案内される。どうやら織田弾正は今、この小牧山城を居城にしているようだ。斉藤……いや、一色との戦の真っ最中らしい。
しかしながら、一色の敗色が濃厚だ。聞けば西美濃三人衆も織田に与したと言うではないか。稲葉山も落城寸前である。美濃は織田が治めるものと考えて良いだろう。
ああ、だからか。今であれば公方に織田の武威を見せつけられる。だから公方に会うことにしたのだろう。公方を担げば伊勢や志摩を攻める足掛かりにもなるということか。
何故、御屋形様はご自身で公方を擁立なさらなかったのだろうか。今の御屋形様であれば三好に勝てるとは言わなくとも対等に渡り合うことが出来る。畿内を制するも夢ではなかっただろうに。
そのようなことを考えていると、あっという間に小牧山城へと到着した。公方と幕臣たちが織田尾張守に会うために奥へと入室していく。それには追随せず、織田の陣容を盗み見る。
ぱっと見の印象としては規律が行き届いており、気持ちが良い。織田の当主はマメな男なのだろう。尾張の兵は甲斐の兵と比べると弱兵に見える。剣呑な雰囲気を持っていないのだ。
「熱心ですな」
そんな某のもとに一人の武者が近づいてくる。先程、道中の案内を勤めていた森三左衛門という男だ。この侍大将が某に話しかけてきたのである。
「いやぁ、なに」
言葉をはぐらかす。御屋形様は今のところ、織田を推重しているようだが、将来的にはどうだろうか。今は足並みを揃えられたとしても、互いに拡大を続けていけば、いずれどこかでぶつかる日が来るはず。
織田の陣容を査察していても褒められはすれど罰は当たるまい。特徴としては御屋形様と同じく雇い兵を中心に陣立てしているようだ。御屋形様と根底で似ているところがあるのだろう。
「曽根殿は同席されないので?」
「某は武田の臣であり、幕臣ではございませぬゆえ」
森殿の質問に淡々と答える。森殿は某の傍を離れない。某を訝しんでいるのだろうか。仕方がないので大人しくすることにする。
「如何ですかな?」
そんな某に盃を進めてくる森殿。それを受け取ると、並々と濁酒を注いできた。一気に煽る。この程度の酒であれば何杯飲んでも酔うことはない。そんな某にこう尋ねる森殿。
「少々お尋ねしたいのであるが」
「なんでござろう?」
「武田伊豆守様というのはどのような為人なのでございましょう?」
「御屋形様は信玄公に負けるとも劣らずの名君でございますな。一代で御家を立て直し、今では畿内に覇を唱えんとする武を有しておられる」
「ほう。我が殿と同じですな」
「幼くして家督を継いだと聞いておるが、そのころから神童の片鱗を見せていたらしい。今でも我ら家臣の声に耳を良く傾け、領民を一番に思われている」
「我が殿と同じですなぁ」
「勤皇の志高く、天下の安寧を第一に動かれておられるのだ」
「それも殿と――」
先程から何なのだ、この男は。御屋形様のことを尋ねてきたかと思えば、織田尾張守と全て一緒だと言うだけではないか。何が言いたいのか見えてこない。じろりと森殿を睨む。
「似た者同士、拙者は我が殿と伊豆守様は上手くやれるのではと踏んでいるのだ」
「何が言いたいのだ?」
「六角攻め、それから伊勢の北畠攻めに合力してもらえぬかと我が殿は考えておいでのようなのだ」
「なにを!」
我が武田家と六角家は昵懇の仲である。御屋形様の祖母は隠居した六角義賢の妹御なのだ。御屋形様が了承するわけがない。そもそも六角攻めと北畠攻めは我らの勘案するところにない!
「六角は滅ぼした一色と昵懇の仲になっているようでな。どの道、我らの上洛を認めぬ心積もりらしい。伊豆守様が公方様を遣わせたのも加味してのことであろう」
御屋形様が公方を遣わせるなど。世迷い事をぺらぺらと話す森殿。このことは御屋形様の耳に入れておいた方が良いだろう。尾張は弱兵なれど、それを率いる将は何を考えているのかわからぬ、不気味な者たちであった。
◇ ◇ ◇
同年同月同日 同場所 同城内 米田源三郎求政
「お待ちしておりましたぞ」
「苦しゅうない、面を上げよ」
公方様と織田尾張守信長が対面する。織田尾張守が静かに面を上げた。三十を超え、脂の乗った益荒男の顔つきをしている。自信に満ち溢れているのだ。彼の者を見ているだけで寒気がする。
「公方様に拝謁できたこと、恐悦至極にございまする」
「そうかえそうかえ。我らも其方を頼りにしておるぞ。して、尾張守よ。用件はわかっておろうな」
公方様が厳しい顔つきで尾張守を見る。しかし、尾張守はどこ吹く風だ。ただ、静かに「はっ」と答えるのみ。公方様は拍子抜けしているようだ。
「しかし……恐れながら申し上げたき儀がございます」
「なんだ?」
「公方様をお連れして上洛するには、近江を通らなければなりませぬ」
「そうだな」
「しかし、六角が近江を通らせてくれませぬ」
淡々と事実だけを述べる尾張守。つまり、六角をどうにかしろ。出来ないのなら滅ぼす命をくだしてくれということなのだろう。
六角は美濃一色と通じていた。織田としても六角を赦すわけにはいかないらしい。最低でも織田の下に付かせなければ納得しないだろう。しかし、六角がそれを認めるとも思えない。
つまるところ、六角を滅ぼす大義名分を寄越せと言っているのだ。
「良きに計らえ。其方がすることは余を征夷大将軍にすることである。それに全力を捧げよ。それ以外の由無し事は路傍の石である」
「ははっ、仰せのままに」
尾張守は深く深く、頭を下げた。公方様はもう疲れたと言わんばかりに退出される。どうやら尾張まで来たのがご不満のようだ。形だけ見れば都落ちと思われてもおかしくはない。はやく京へ向かいたいのだろう。
「尾張守殿」
話し終わった尾張守に近づく。そして武田伊豆守から受け取った文を取り出した。
「何か?」
「こちらを」
武田伊豆守から受け取った文を手渡すと、尾張守はその場で読み始めた。無表情だった彼の口角が徐々に上がっていくのがわかる。
「手紙、確かに受け取った。忝い」
「お気になさらず。して、公方様の上洛は何時ほどになりましょうや?」
「急いては事を仕損じる。今一度、熟考する時間を頂戴したい」
尾張守がじろりと此方を見る。思わず気圧されてしまい、二歩、三歩と後退ってしまった。尾張守が退室する。本当にこの男を頼って良かったのだろうか。噴き出した汗がぽとぽとと滴っていたのであった。
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