和睦会合 ―後―
「お時間にございます」
寺の小坊主が部屋越しから呼びにやってきた。衣服を正し、既に戻ってきている十兵衛と部屋を後にする。十兵衛曰、首尾は上々だったらしい。笑みをもって俺に知らせてきた。
長い廊下を歩く。会合の場に着く。中にいるのは三村家親その人だけであった。一番遠い席を選んで着席する。その後、公方と三好、毛利、西園寺と続いて入室してきた。
全員が着席したのを確認してから音頭を取ったのは公方である足利義栄だった。ここで一つ、きちんと調停できることを西園寺に、ひいては朝廷にみせつけたかったのやもしれん。
とはいえ、俺に不都合はないので、大人しく従っておくことにした。
「さて、武田伊豆守と三村紀伊守。ここは儂の顔に免じて双方ともに矛を収めるということで良いな?」
「ははっ」
三村家親は声を出して頭を下げ、俺は黙って頭を下げる。その行為を満足そうに見た義栄は頷いて和睦の条件を読み上げる。大丈夫、今のところ誰も異を唱えていない。
「では、この内容での和睦に異論はないな。無ければ花押と血判を――」
「お待ちを」
声が上がった。勘付かれたか。鼓動が早くなる。声をあげたのは誰か。それは三好長逸であった。俺のことを敵視している、三好長逸である。
「なにか、ございましたか?」
声を絞り出す。努めて平静に。こちらからぼろを出すような真似だけはしたくない。じっと、長逸の言葉を待つ。長逸はにやりとしてからこう述べた。
「いやなに。この和睦の条件が気に掛かりましてな」
勿体ぶりながら和睦の条件が書かれた紙を扇子で指し示す。もしや、小早川隆景は正攻法では敵わぬとみて三好を使ってきたか。それは見抜けなんだ。向こうが一枚上手だったようだ。肩の力を落とす。
「もし、三村殿が武田殿に米を支払ったと仰り、武田殿が三村殿から米を受け取っていないと仰られた場合、如何なさる御積もりにございましょう」
おや、風向きが変わった。つまり、何を言いたいのだろうか。言葉を選ぶ。怪しまれず、そして長逸の真意を汲み取れるような言葉を。
「確かに、仰る通りにございます。では、日向守殿はどうすれば良いとお考えで?」
「支払われた米の一割を公方様に納める、というのは如何にございましょう。もちろん米の支払いの場に公方様の家臣が公平を期すために立ち合いましょうぞ」
ああ、成程。和睦を取り成したという名声だけでなく、米という実利も寄越せと言っているのか。良かった。俺の狙いがバレているのかと思った。安堵の息を吐く。
「それは名案ですね。流石は日向守殿にございます。ただ、それだけだと公方様のみを優遇し、天子様を蔑ろにしたとの誹りを受けかねません。どうでしょう、朝廷にも一割お支払いする故、立ち合いをお願いできぬものでしょうか?」
「そうでおじゃるのう。麿もそれが良いと思うぞえ」
西園寺も俺の案に同調した。ここまで来てしまった以上、毛利と三村に断る術はないはずである。それを見越し、俺は彼らに問いかけた。
「安芸守殿、如何にございましょう」
「……真に良き案かと」
宍戸隆家が粛々と頭を下げ、肯定した。ここまで外堀を埋められてしまっては三村家親には断れない。この場の全員の合意が取れたので、和睦の条件に追加の条項として書き足していく。
「では、これにて和睦ということで」
義栄がこの会合をまとめ上げる。俺は三村家親を見る。三村家親も俺を睨んでいた。どうやら俺と三村家親は相容れぬ存在らしい。まあ良いさ。二年後にお前の吠え面を拝んでやろう。
これにて会合はお開きとなった。決まった条件は以下の通りだ。
・三村紀伊守家親は武田伊豆守輝信に対し、米を一粒支払うものとする。
・三村紀伊守家親は武田伊豆守輝信に対し、十日ごとに米を支払うものとする。
・支払う米の量は十日前に支払った倍の量とする。米は赤米もしくは黒米、白米のどれかで支払うものとする。
・もし、三村紀伊守家親が支払いの途中で死去した場合、子が支払いを続けるものとする。
・支払いは本日より二年の期間、行うものとする。
・武田伊豆守輝信は支払われた米の一割を公方と朝廷に献上するものとする。
・支払いが能わなくなった場合、三村紀伊守家親は備中国の現在の所領を武田伊豆守輝信に明け渡すものとする。
この七か条である。この和睦書を五枚用意し、五人がそれぞれに花押と血判を入れてある。その五人とは西園寺、公方、毛利、三村、そして我ら武田だ。各家が一枚ずつ保持するのである。
所領も今現在保有している所領を没収することとなっている。そのため、現状の所領を公方様に確定してもらう手筈となっているのだ。もちろん抜かりはない。
俺は寺を後にする前に西園寺公朝卿の元へと挨拶に伺った。きちんと南条元秋を先触れとして遣わしている。すんなりと会うことが出来た。
「遠路はるばる御足労、誠に痛み入りまする。また、ご挨拶が遅くなり、誠に申し訳ございません」
「よいよい。其方のことだ。会合の前に麿と会う風聞の影響を考えてくれたのであろう?」
「寛大なお言葉、ありがとうございまする」
頭を下げる。西園寺卿と歓談して朝廷への影響力を強める。近衛家と鷹司家は我らに好意を持っている。久我家や今出川家、三条家、徳大寺家もだ。
ここに西園寺家も加わるとなると摂関家と清華家の半分が武田に好意を持っていることになる。そう考えると凄いな、武田家の血の繋がりというのは。
近衛は叔父の家だし、鷹司は近衛の分家だ。久我と徳大寺も叔父の家。今出川には義理の曾祖父となる信虎が居て三条も義理の曾祖父が居る。西園寺とは今しがた縁を結んだ。
何かするつもりがあるわけではないが、宮中での影響力はあって損ではない。そのためにも西園寺は取り込んでおきたいのだ。宮中で何かがあった場合、力が無いと関わらないという選択肢もできぬことを学んだのである。
「さて、そろそろ麻呂も京に戻るとするかの」
「それではお送りしましょう。私も若狭まで戻りますので」
「では、その言葉に甘えさせてもらうぞ」
西園寺卿の前を辞して割り当てられた部屋に戻り撤収の準備をする。と言っても物があるわけではない。俺は軽く掃除をしてから住職に挨拶と付け届をした。
「御屋形様」
「おお、和泉守に官兵衛か。如何したのだ?」
二人とも衣服には葉や泥が付いていた。ところどころ血も流れているようであった。その様子から察するに、なにやらひと悶着あったらしい。
「御屋形様の読み通りにございましたぞ」
そう言って二人は何があったのかを語り始めた。遡ること数刻前のことである。二人は自身の配下の者たちを集め、寺の警固に当たっていたという。
すると、西から早馬に乗った一人の武者がやってきたそうだ。二人はもちろん制止する。しかし、武者は強硬に突破を試みたので、和泉守が止む無く馬を弓で射たのだという。
彼らの家臣が転倒する武者を押さえ付ける。官兵衛が問うた。何処の誰だと。この寺にはやんごとなき方々がおわすのだと。すると武者はこう叫ぶ。
「福原左近允様が家臣、福田輝介と申す。宍戸様に急ぎ伝えたき儀があり、参上――」
「無礼者が」
福田輝介なる者の口上が終わる前に和泉守が近寄り、この者の首を刎ねた。それは見事な太刀筋であったという。力なく斃れる福田輝介なる者。
「埋めておけ」
和泉守が家臣に指示を出す。官兵衛は頭を抱えたという。ただ、向こうが我らの制止を聞かずに突っ込んできたのが悪いのだ。襲撃だと錯覚してもおかしくはない。発覚した場合は、そう申し開くことにする。
「御屋形様の仰る通り、毛利の手の者がやって参ったな。御屋形様の真意に気が付き、泡を食ろうているのだろう」
「さて、他にも手の者が居らぬとも限らぬ。引き続き警固に当たろう」
官兵衛の予想通り、福田輝介以外にも闖入者がいた。どちらかというと福田輝介は囮であったようだ。本命は世鬼の忍びであったのだ。
「もう少しで会談が終わるはず。今しばらくの辛抱じゃ!」
鼓舞激励する和泉守。官兵衛は頻りに寺の様子を伺っている。そして、終わったのを察知するや否や、終わったぞと和泉守に声をかけた。
それと同時に敵方も引いていく。ただ、この時の官兵衛の終わったという報告は嘘だったようだ。そのことに今更ながら驚く和泉守。
「そう申しておけば双方が矛を収めるかと」
「お主の早とちりで会談がご破算になったらどうするつもりだったのだ?」
「ふふふ、そうなったら我が腹を掻っ捌いてみせるつもりげございました」
俺が官兵衛に問う。すると、全てお見通しと言わんばかりに不敵な笑みを浮かべてからそう述べていた。まあ、何がしかの確信があったからそう叫んだのであろう。
「であれば、今頃は宍戸と児玉の両名にも伝わっているであろうな」
「ですが、今更反故にすることは出来ますまい」
「俺もそう思う。なので、其方たちには三村たちを追い込む役目を任せるぞ。相応の褒美は用意してある。忘れるでないぞ」
「「ははっ」」
こうして俺は西の問題をひとまず沈静化させた。残る問題は俺が平島公方に肩入れしたと聞いた叔父がどこまで怒り狂っているかである。気が滅入る。足取りも重くなる。
ただ、もう叔父上に振り回されるのは御免だ。ある考えを胸に秘め、西園寺卿とともに東へと戻るのであった。
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