和睦会合 ―前―
永禄十年(一五六七年)九月 備前国 津山城
津山城に到着した。十兵衛が滞りなく下準備をしてくれたお陰で俺は調印するだけとなっている。場所は豊楽寺。津山より南西に向かった山間にある寺だ。
武田と毛利、三好と朝廷の立地を鑑みた結果、この寺が最良ということになったらしい。十兵衛と官兵衛の二兵衛に先導してもらい、歩みを進める。
豊楽寺に到着する。既に三村家親、それから三好義継の名代として三好長逸と平島公方が事前に到着していた。俺は平島公方である足利義栄に挨拶のため、面会を申し入れる。あっさりと面会の許可が降りた。
「お初お目にかかります。武田伊豆守輝信にございまする」
「おお、そちが伊豆守か。苦しゅうないぞ。近う寄れ」
義栄が俺を呼びつける。非常に上機嫌だ。どうやら俺を完全に味方だと判断しているらしい。それは迂闊ではないだろうか。それとも、自ら胸襟を開いて俺を取り込もうとしているのかもしれない。
二つ三つ、躙り寄る。当たり前だが義秋より年上だ。押しの弱そうな、優しそうな顔をしている。義栄は本当に将軍になりたかったのだろうか。担ぎ上げられただけでは?
「そちのお陰で余が公方になれそうだ。感謝するぞ。そうだ。褒美としてそちを管領に任じてやろうか」
「公方様、その辺りに」
義栄が傍に侍っている三好長逸に窘められていた。流石に管領の地位をほいほいと与えるわけにはいかない。そもそも与えられても応えられる自信が無い。
「だが、御相伴衆には必ず任じよう。如何か?」
御相伴衆は複数に与えられる、既に形骸化している役職だ。管領に次ぐ役職となっているが名誉職みたいなものだろう。ありがたく受け取っておこう。
「有りがたき幸せにございます。ですが――」
「なんだ?」
「我ら武田家と平島公方、いや、公方様とを結びつける物を頂ければと存じます」
押しの弱い義栄だ。そういえば太刀の一振りや二振り、ぽんぽんと出てくるに違いない。義栄はうんうんと思案し、長逸にさりげなく視線を送る。長逸は小さく頷いていた。
「手掻包真の短刀だ。これをそちに渡そう」
自身の腰元から短刀を引き抜き、俺に手渡す義栄。手掻派の良い短刀だ。来派、手掻派、青江派の刀は安心できる。仁王派や千手院派も悪くない。三条や粟田口は言わずもがなだ。
「ありがたき幸せにございまする」
俺の刀剣蒐集癖が出てしまった。いや、これは決して私利私欲という訳ではなく、少しでも損失を取り返そうとしてだな。と自分自身に言い訳を延々と述べる。
「名残惜しくはございますが、そろそろ」
「なんじゃ。もう行くか」
「はい。日向守殿に目を付けられては敵いませんので」
それから二言、三言ほど言葉を交わして席を辞する。三好長逸が俺を警戒しているのが丸わかりだ。それを上手く利用して席を立った。まあ、警戒する気持ちもわからなくはない。
「宇喜多和泉守は居るか?」
「此処に」
「官兵衛は?」
「居りますぞ」
「二人とも、もっと近う寄れ」
宇喜多直家を近くに寄せる。俺は小声で自身の考えを彼に伝えた。備中を宇喜多家と南条家、黒田家の三家に任せようと思っている。互いに牽制してくれたら是幸いである。
この三人には俺の意図を事細かに説明する予定だ。二の冪の恐ろしさを知ることになるだろう。ただ、一番重要なのは復興を三村にやらせるということだ。彼らならば上手くやるだろう。
上手くいった暁には宇喜多と南条、そして黒田の三家にそれぞれ六万石を渡す予定だ。といっても、彼らに渡すのではなく、彼らの息子。俺の小姓を経た息子に家を興させるつもりだが。
「――という目論見よ。だから何としてでもこの和睦を成り立たせねばならぬ」
「左様でござったか」
「御屋形様も恐ろしいことを考えなさる」
「そこでだ。この和睦を邪魔せんと目論む厄介な男が一人居る。それが問題なのだ」
「……小早川左衛門佐にございますな」
官兵衛の言葉に対し、首肯をもって答える。あの小早川隆景のことである。俺の陳腐な目論見など看破しているだろう。拙い策でどれだけ時間を稼げたか。
「其方たち二人に頼みたいのは小早川の相手だ。もし、この場に居ないのならば豊楽寺に近寄らせるな。既に到着しているならば同席させるな。為せば一城を確約しよう」
直近の餌を吊るして二人のやる気を出させる。それだけ、この会合が重要なのだと認識してもらいたいのだ。全て話し切ったので、二人を下がらせる。
和睦の席には俺の他に明智十兵衛に同席してもらうつもりだ。十兵衛ならば俺をよく助けてくれるに違いない。一室を借り、和睦の最終的な詰めを十兵衛と話し合う。
「御屋形様、毛利様が到着でございます」
傍に控えていた南条宗勝の三男、元秋である。
「来たか。誰が寺に?」
「宍戸安芸守様、児玉三郎右衛門尉様に」
「筆頭家老殿に五奉行殿か。この会合をそれだけ重く見ているということにございますな」
十兵衛が呟く。どうやら小早川は出張っていないようだ。まだ気付いていないのか、それとも当主に止められたか。どちらにせよ小早川の匂いはまだない。
「どれ、挨拶にでも行くか」
「ははっ」
十兵衛を連れ立って毛利に割り当てられた部屋を訪ねる。到着して早々に挨拶をするのもどうかと思うが、こちらとしても毛利家の出方を探っておかねばならん。油断は出来んのだ。表の下人に取り次いでもらい、室内に入る。
「宍戸殿、児玉殿、わざわざの足労、痛み入るぞ」
「我々としても三村と武田が矛を収め、共に歩むのであれば労を惜しむことはこざらん」
宍戸隆家が述べる。さて、これが演技かどうか。公方や朝廷の使いである西園寺公朝卿の前でちゃぶ台をひっくり返されるのだけは避けたい。何を考えているのか引き出さねば。
「そう言って貰えて何よりだ。我ら武田と毛利との間に生まれた縁は大事にしたいものだな」
「しかし、伊豆守様。派手にやられましたな」
児玉元良が言う。感情の機微が見えた。海千山千の宍戸の爺よりも児玉元良の方が付け込む機会は多そうだ。売られた喧嘩に言葉を添える。
「先に手を出してきた三村が強情だったのでな。俺もムキになってしまったやもしれん。とはいえ、毛利殿からもお墨付きを得ている我らとしてはまだ暴れたりぬところではあるがな」
どうやら児玉元良は俺を快く思っていないようだ。これ幸いと俺は不機嫌になる。十兵衛に目配せをする。それからすっくとその場に立ち上がった。
「ふむ。我らは毛利殿の盟友と思っていたが、どうやらそうではないようだな。我らに思うところがあるらしい。我らは筋を通したにもかからわずだ」
出来るだけ冷たい目で児玉元良を睨める。三村攻めは毛利の許可を得て行ったことである。だというのに、その毛利の家臣が我らを咎めるか。
「いえ、そのような意図ではなく……」
五奉行とはいえ齢三十にも満たない男であればやりようはある。五奉行になれたのも親の七光りであろう。俺は頑張って顔を赤くする。児玉元良は顔をどんどん青くしていった。気にも留めずに退出する。
後は十兵衛が上手く取り成してくれるだろう。カンタンな交渉術。カンタンな飴と鞭である。そのまま割り当てられた部屋に戻る。
元清に誰にも入れるなと指示してから、俯せに倒れ込む。なんだかどっと疲れた。ああ、もう嫌だ嫌だ。どうしてこんなに心労が絶えないのか。
どうかこの和睦が上手く行きますように。それだけで良い。神様仏様お願いします。オレの心持ちは寺の本堂へ向かって阿弥陀様にお祈りしたい気分であった。
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