二の冪
永禄十年(一五六七年)八月 若狭国 後瀬山城 武田氏館
喰い付いた。それが俺の最初の感想であった。この条件で和睦を呑んでくれるそうだ。わかっていない。何もわかっていないな。倍々で増えていく恐ろしさを何もわかっていない。
最初は順調に支払うことが出来るだろう。しかし、所謂、二の冪というやつだ。一年後には七百億粒の米を支払う必要がある。一キロの米が五万粒なので、七百億粒は千四百トンに相当する。
一石が百四十キロくらいなので、一万石の米を俺に納めることになる。その十日後には二万石、さらに四万石から八万石と増えていくのだから手に負えないだろう。
契約が終わる二年後には二の五十三乗。十二億石を納めなくてはならなくなるのだ。つまり、事実上無理という話である。おそらくは一年とちょっとで根を上げるはずだ。
つまり、一年間は領内を復興してもらい、復興した後に備中を丸っと奪うことが出来る。なんとも素晴らしい契約をしてくれたのである。これを揺るぎなきものにするため、俺は朝廷に働きかけた。
朝廷に和睦の仲介を頼むのである。我ら武田と三村の和睦の内容を双方に認めさせ、毛利にも追認させる。これを朝廷が取り成すのだ。仲介を生業としている将軍が居ないのだ。朝廷に頼むしかないだろう。
いや、少しでも周囲に認めてもらいたい。三好と平島公方も呼ぶ手配を黒川衆にさせる。朝廷と(次期)将軍が同席するのだ。反故にすることはできない。
両名とも呼べばすぐに来るだろう。三好としては平島公方の権威と名声を高めたい。そして、この調停に同席することはそれに繋がるはず。義秋に何か言われたら、三好を呼んだら付いてきたとでも言おう。
本来ならばそんなことをする必要も無いのだが、内容が内容だ。そして、これらを三村と毛利に気が付かれる前に締結しなければならない。そのため、毛利の小早川には嶋左近を向かわせた。
嶋左近には小早川を追及してもらう。裏で毛利が三村を支援していたのではと。叩けば埃は出るだろうか。でなくても、目を背けさせることが出来ればそれで良い。
朝廷は銭をたんまりと積んだら簡単に動いてくれた。左大臣である西園寺公朝卿が下向されるらしい。悪くない人選だと思う。近衛家や久我家、徳大寺家や今出川家だと当家に近過ぎることになる。
五百貫の出費は痛いがそれ以上の見返りがあるのだ。その条件を呑み、西園寺公朝卿の下向を願う。もちろん、五百貫は後金である。
そんなことを考えているともう一つ、考え事が増えた。そう、藤が子を産んだのだ。それはもう元気な男の子であった。我が武田家の跡取りである。名前はもちろん孫犬丸だ。内外に嫡男であることを明示する。
強い家というのは、子沢山なのである。織田信秀しかり毛利元就しかり。逆に子が少ないと家はあっという間に潰える。三好家もそうだし、俺の知ってる豊臣家もそうだった。
これで俺に子は二人目である。もっと増やさなければ。一門を強固なものにするのだ。慶事ではあるが、考え事が増えたことには変わりはない。これで藤の精神も安定してくれると良いのだが。
子育てには積極的に関わっていくとしよう。甲斐武田家を悪い手本として嫡男を育て上げなければ。最悪、息子には継がせずに孫に継がせる奥の手もある。俺の年齢ならば可能のはずだ。気負わずに育てよう。
藤との間に子を授かれて良かった。励んだ成果が出たというもの。これで肩の荷が一つ下りた気がする。まずは母子ともに健康に育ってくれることを願うばかりだ。
特に母は産後の肥立ちが悪くて亡くなる場合が多い。滋養の多い食べ物を食べさせなければ。鶏卵や自然薯、領内で採れた南瓜を食べさせる。魚もすり身にして食させている。
甘やかしていると思われるかもしれないが、産後など、それくらいで丁度良いのだ。現代のように医療が整ってないこの時代で子を産むのは、それだけで大変なのだから。
方々から祝いの品々が届いた。甲斐の武田はもちろん盟を結んでいる毛利や三好、本願寺や織田から山のように届いたのである。意外だったのは俵物に反物、貴重な太刀に金銀財宝などがたっぷりと。
公家からも祝いの品々が届いている。近衛家や久我家はもちろん、徳大寺家や今出川家からもである。今出川家の祝いの品に武田菱を纏った太刀があった。志津三郎兼氏の太刀だ。送り主は武田信虎となっていた。
そうか。今は今出川にお世話になっているのか。そういえば今出川に末娘を嫁がせたとの噂を耳にした記憶がある。つまり、藤の曾祖父からの祝いの品ということか。
そう考えると現代では考えられないな。信虎からしてみれば玄孫の祝いだ。京に信虎が居るのであれば一度、折を見て伺ってみても良いかもしれん。
席を立って様子を見に行く。藤の部屋には藤と孫犬丸、それから乳母の鶴の三人が居た。一言、声をかけて入室する。室内の窓は空いており、風が心地良い。
「御屋形様」
「そのままで良い。藤、よくぞ男の子を生んでくれたな。其方には感謝しかない」
素直に頭を下げる。藤は横になったまま、俺の頭を優しく撫でてくれた。ああ、頭を撫でられるのなど何時ぶりだろうか。藤の細い指が俺の髪を梳く。
「御屋形様は十分に頑張っておられます。こんな私にも情けを掛けてくれました。私も御屋形様のために頑張れたらと常々思っておりました。だから良いのです」
思わず目頭が熱くなる。そんな俺に鶴が孫犬丸を手渡してきた。軽い。四キロにも満たない、とても小さな赤ん坊だ。片方の手で抱きかかえ、もう片方の手で頬を撫でた。むず痒そうな顔をする孫犬丸。
可愛い。素直に可愛い。牡丹の時も思ったが、やはり自分の子というのは可愛いものである。家族のために頑張る。この言葉を今までは他人事のように捉えていたが、なんとなくわかったような気がする。
「藤、すまぬが俺はもう出なければならん。息災にな」
「はい」
「鶴も藤と孫犬丸を頼む」
「かしこまりましてございます」
部屋を出る。その部屋の脇に跪いて待っていた嶋新吉と井伊万千代に一声かける。彼らも次世代を担う将。孫犬丸と共に生きる忠臣になる、なって欲しいとの思いを込めて。
「二人とも、孫犬丸を任せるぞ」
「ははっ」
「お任せくだされ」
「其の方らは俺よりも孫犬丸と長く居るのだ。そのことを努々忘れることの無いように」
それだけを言い残して平服にて城を出る。戦支度をするのは津山城でだ。供回りは市川右衛門と菊池治郎助に任せる。武田領内はそこまで荒れていない。五十も居れば安全に移動できる。
さあ、三村討伐も大詰めだ。これで詰みにしてやろう。愛馬を走らせる。胸を躍らせながら。
◇ ◇ ◇
永禄十年(一五六七年)八月 安芸国 小早川左衛門佐隆景
「では、誠に知らぬと?」
「左様。手前共は何一つ関わってござらぬ」
某の元にやってきたのは若狭よりやってきた齢三十に届こうかという嶋左近なる武者である。どうやら毛利家が暗に三村家を支援していたのではないかと追及に参ったようだ。
追及に来たということは確証は得ていないようである。それならばまだ立ち振る舞えるというもの。伊豆守、逸ったな。動かぬ証拠を持ってくれば某とて言い逃れはできなかったものを。
「そうであったか。それは失礼仕った。しかし、安芸は良いところにございますな。暫し、滞在させていただいても?」
「もちろんです。お好きなだけごゆるりと」
言葉を額面通りに受け取るほど間抜けではない。滞在中に我らが関わっていたという尻尾を掴む腹なのだろう。某が口を割らないと判断するや、代替案に移す点は評価できる。
さて、直ぐにでも動いて方々の口封じをしたいところだが某が直接動くと怪しまれる。むしろ、某は屋敷から一歩も出ずに対処するのが肝要だ。下人に紛れ居ている座頭衆にこう伝える。
「そろそろ美味い白身の魚が食べたいのだが」
「かしこまりましてございます」
これは予め座頭衆と取り決めていた符丁の一つだ。この指示で関わっていた下人たちは処分されることになる。大丈夫、そう簡単には露見したりしない。事実を知っているのは某と福原殿くらいだ。
ならば福原殿が口を割らなければ露見はしない。そして福原殿は絶対に我ら毛利を裏切らない。もし、露見したとしても確たる証拠がなければ意味が無いのだ。
部屋に籠り、仕事をこなす。暫くした後、真後ろから人の気配を感じた。どうやら座頭衆が戻ってきたようだ。事が済んだらしい。
「つつがなく」
「そうか」
「それから、三村と武田の和睦が成ったとのことにございます」
「仔細を」
「なんでも武田は三村の備中支配を認めたとのことにございます。どうやら荒らすだけ荒らして和睦したようですな。仔細はこちらに」
「ふむ」
つまり、武田は備中攻めを諦めたのか。我らが裏で糸を引いていると思い、そちらを止めに来たか。正しい判断と言えば正しいといえよう。受け取った紙をそのまま机の上に置く。あとで読み込むとしよう。
それよりも我が屋敷に巣食う伊豆守の手先を何とかしなければ。おそらく、我らが関わっていないと判明したならば再び三村を攻めるはず。心理的に我らが三村を支援しづらくなると踏んでるのだ。
その手には乗らぬぞ。何としてでも三村には備中で存続してもらう。その為にあの手この手で支援する方法を模索するのであった。
励みになりますので、評価とブックマークをしていただければ嬉しいです。
ブックマークだけでも構いません。登録していただけると助かります。
評価は下の☆マークからできるみたいです。評価がまだの方は押してみてください。
私の執筆意欲の維持のためにも、ご協力いただけますと幸いです。
今後とも応援よろしくお願いします。