一粒の米
永禄十年(一五六七年)八月 備中国 賀陽郡 明智十兵衛光秀
御屋形様から早馬が届いた。その早馬曰く、御屋形様は備中国と伯耆国を尼子に与え、対毛利の壁にしたらどうかという提案だった。
確かに我らは備中で恨みを買い過ぎている。我らが備中を押さえても治まる気配がない。なので我らは備中を荒らしに荒らしている。乱妨取りもその一環だ。
さて、あくまでもこの言伝は提案とのことだが、飲んだ方が良いだろうか。某の答えは否である。御屋形様は備中の現状を知らぬが故、このようなことを仰っておられるのだ。
備中を復興させるとなると五年、いや十年は掛かるだろう。村々からの逃散も相次いでいる。銭も掛かる。良いことは多くない。
それであるならば、和議を結ぶのも一手である。三村紀伊守と和睦し備中を復興させる。備中の復興を独力ではできまい。我らか毛利のどちらかを頼ることになる。おそらくは毛利だろう。それならそれで構わない。
我らは我らで三村紀伊守から賠償をせしめる。この賠償が重要なのだ。賠償が支払えない場合、備中国の割譲をもって支払いとする。そのようにすれば良い。
問題はどのような条件であれば三村紀伊守に了承してもらえ、かつ領地の割譲を狙えるかである。それがわからない。だが、確かなことは備中国は貰うよりも押し付けた方が良いということである。
その旨を書にしたため、到着した早馬にそれを持たせて送り返す。それまでは戦を継続しよう。どんどん備中を荒らす。米の一粒も残さず、木も全て切り倒して奪っていく。
南でも官兵衛たちが派手に暴れているようだ。北も順調に進んでいるらしい。既に備中の東側と北側は荒廃していると言っても過言ではないだろう。
南は庭瀬城を攻め、岡山平野で暴れているらしい。この平地を荒らされてしまっては再起に時間が掛かるのも無理はない。某は御屋形様に進言が届くのを祈りながら備中を荒らしたのであった。
◇ ◇ ◇
御屋形様からの返事は直ぐに来た。某の思うようにやって良いとのことであった。これは有り難い。柔軟に意見を取り入れてくれるのは我らも意見の出し甲斐があるというもの。
それから和議の条件であるが、御屋形様からこのように提案がされた。十日に一度、米粒を一粒だけ支払わせよと。そして次の十日後に倍の二粒、さらに次の十日後には倍の四粒と。
その条件で二年間支払わせろというのだ。これだけは飲ませろと強い口調で指示されている。御屋形様の意図はよくわからないが、これなら飲ませることもできるだろう。御屋形様を信じようではないか。
文に目を通し終えた某は傍らにどっしりと胡坐を掻いてこちらを見ている男に視線を移した。椙杜少輔十郎と言うらしい。御屋形様が和議をするならばと毛利の遣い番を送ってくださったのだ。
「暫し待たれよ。書を認める故、それを小早川殿に……いや、直ぐに三村紀伊守殿にお渡し願いたい。向こうからの返書が無い限り、攻撃が止むことはないと心得よ」
小早川を間に挟むとややこしいことになりそうだ。それならば、直接に三村紀伊守に手紙を受け取らせ、正常な判断が出来ないまま和睦を飲ませた方が良い。
直ぐに和睦の条件を取り纏める。まず、我らは備前と美作まで引く。奪った備中の領地は三村紀伊守に返す。その代わり、賠償として御屋形様の定めた米の支払いをしてもらう。米はもちろん白米だ。
もし、米の支払いが滞ったり出来なくなった暁には領地の割譲をもって返済とする。この一文を書き入れて完成である。支払えなかった米粒の数の分、一粒につき一間の領地を貰うのだ。
「確かに受け取りました」
「この短刀を手渡しておこう。某の使者でもある証だ。上手く使え」
腰に差していた短刀を手渡す。これで我ら武田の軍勢から襲われることもないはずである。武田、毛利の両軍からお墨付きを持っているのだ。まず間違いなく三村紀伊守の元へ辿り着くだろう。
一礼をして立ち去る椙杜少輔十郎。さて、彼は小早川の元へ向かうか。それとも三村の元へ向かうか。こればかりは賭けだな。小さくなっていく背中を見守る。
この備中攻めも大詰めを迎えている。三村が和議に応じてくれるよう、目一杯の攻めをお見舞いする。主攻は呼び寄せた堀久太郎に任せることにした。補佐役には経験豊富な山県源内と飯富兵部を付けている。
助攻には南条元続を置いた。補佐役は嶋左近殿にお願いしている。若手の経験を積ませる良い機会である。戦というものがどういうものかじっくりと教えるつもりだ。
華々しい戦など千に一つ、万に一つよ。その多くが小さな小競り合いや百姓への嫌がらせで終わるのである。それを腐らずにこなせる者が名将であるのだ。
そんな某の元に三度の早馬が届く。向かってきたのは東から。つまり、若狭からである。果たして次は何用だろうか。鬼が出るか仏が出るか。遣い番の報告を耳にする。
「ご注進申し上げます。御屋形様の奥方様がご懐妊されましてございます」
「おおっ」
どうやらお藤様がご懐妊なされたようだ。目出度い限りである。何はともあれ世継ぎだ。これで武田家も安泰というもの。それを盤石なものにするために、某は兜を被り前線へと赴くのであった。
◇ ◇ ◇
永禄十年(一五六七年)八月 備中国 鶴首城 三村紀伊守家親
「殿、毛利より使者が参っておりますれば」
「通せ」
来たか。ようやく毛利から使者が参った。我らは武田にやり込められてじりじりと貧する状況となっている。その現況を打破する使者が来たのだ。嬉しくないわけがない。
入ってきたのは十五、六ほどの若武者であった。椙杜少輔十郎元秋と名乗ったこの男、確か毛利殿の五男であったか。これはまた大物が来たものよ。
「遠路はるばる御足労痛み入る」
「いやなに。三村殿が潰えてしまえば毛利家としても危機にござる。武田より和議の条件を引き出して参った」
少輔十郎が儂に手紙を渡す。手紙を読み進めていく。悪くない、悪くない条件である。それ故に怪しく思う。どうして儂らに有利な条件で和議を結んでくれるのか。
「貴君はどう思う?」
じろりと少輔十郎を睨む。少輔十郎も儂らの味方とは限らない。まずは少輔十郎が味方かどうかを見極めねばならぬのだ。
「武田も辛いのかと。備中ばかりに構ってられぬのでしょうな。畿内では将軍位争いが激化している様子。前公方の甥として巻き込まれているのかと」
尤もらしい理由である。あるいは三好が手を引こうとしているのか。それとも毛利の顔を立ててくれているのか。武田の意図が読めぬ。
「他に何か情報は無いか?」
「初めのうちは武田伊豆守は頑なに和睦を拒否しておられた。和睦するなら三村紀伊守の首を寄越せと。しかし、後から呼び出され備中に連れて行かれたと思えば伊豆守の腹心である明智十兵衛からその書状を手渡された次第」
ふむ。どうやら伊豆守は儂を亡き者にしたいらしい。相当に儂を恐れていると見た。和睦の条件が緩いのも日和ったか。米の一粒や二粒、早々に払ってやるわ。
「ならばこの条件で和議を結ぼうではないか。反故されぬよう、毛利殿にもお立会いいただきたいが如何か?」
「兄者に話を通しておきましょう」
儂が推察するに伊豆守は強硬姿勢を貫いたが、明智十兵衛が首を横に振ったのだろう。それで仕方なく伊豆守が折れたと。伊豆守と明智十兵衛の間に亀裂が入ったか。
「明智十兵衛なる者を懐柔できると思うか?」
「難しいかと。伊豆守と十兵衛は水と魚の関係だと察する故に」
「そうか」
では何故に十兵衛の言葉をもって伊豆守が和睦の条件を緩めたか。それが気になるところだが我らにとって好機であることには変わりない。これ以上、継戦する体力は無いのだ。和睦に応じるしかない。
「その条件で和睦を呑むと伊豆守が翻意する前に伝えてくれ」
「承った」
少輔十郎が退出する。何とか備中を守ることが出来た。いや、それだけではない。備中一国が儂のものであると他ならぬ伊豆守が認めてくれたのだ。失ったものも大きいが、得たものも大きい。
もしや、伊豆守は毛利と領地を接することを嫌ったか。緩衝地帯として我らを残したのではないだろうか。そう考えると納得できる。
儂はすぐさま兵を引き揚げさせる。向こうの条件は飲んだ。和睦は成るはずだ。これ以上の損耗は避けなければならない。敵は伊豆守だけではないのだ。
倅も失ってしまった。早急に建て直さねばならん。さて、誰に継がせるべきか。云々と頭を悩ませながら次の一手を考えるのであった。
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