毒饅頭、喰らうは誰か
永禄十年(一五六七年)七月 信濃国 小県郡
俺は今、越後の目の前である信濃は小県郡に居る。長く険しい旅だった。使い番を送り、織田勢に護衛してもらいながら美濃を通り信濃に向かう。真田信尹は既に飛騨を通り信濃から越後に向かっていた。
道中で織田信長に会えるかと思ったのだが、どうやらそれどころではないようだ。美濃を手中に出来るかどうかの瀬戸際である。残念だが、そんなピリついた状況で信長に会いたくない。
大所帯での移動を伝左衛門が望んだので、五百の兵で移動している。随伴は真田昌幸に飯富虎昌、美濃を通るので堀久太郎と、それに心配性の伝左衛門である。
これだけあれば織田の援軍と勘違いされてもおかしくはない。あくまでも勘違いだ。
是非ともお礼をと河尻が言ってきたのだが、俺は断った。織田殿が美濃を掌握したその時にお礼を受けたいと。互いに多忙の身である。特に、今はお互いに時間が取れない。
そして大人数にて美濃を抜け、武田領に入ったところで真田昌幸の知人である唐沢於猿なる少年が我らのことを待っていた。どうやら案内してくれるらしい。
「戸石城に先触れを出したいのだが、手配を頼めるか?」
「お任せくだされ」
真田昌幸が手配する。餅は餅屋。小県郡は真田に頼むべきである。後はこのまま情報を集めて本庄繁長を動かすだけなのだが折角だ。真田幸隆に会ってみたい。
昌幸に尋ねると「お任せ下され」と、これも二つ返事で対応してくれた。そして真田の本城へと足を踏み入れる。幸隆は病のため、家督を長男の信綱に譲り隠居しているというのだ。
真田幸隆という男は六十手前の矍鑠とした、しかし好々とした笑顔の柔らかい人物であった。長男に家督を譲り、肩の荷が降りたという印象だ。
「某が真田一徳斎にござる」
「武田伊豆守だ。以後、良しなに頼む」
互いに頭を下げ合う。そして白湯を飲みながらのんべんだらりと会話を交わす。用は無い。本当に、ただ真田幸隆という男に会ってみたかっただけなのだ。
「また大変なことになりましたな。公方様の命で越後に向かうことになるとは」
「しかし、逆らう訳にもいかぬ。前科があるのでな」
溜息を吐く。そうは言うがもちろん越後には向かわない。かといってそのことを真田幸隆に告げるわけにもいかない。嘘を押し通す。
足利義秋と足利義栄を天秤にかけていた過去がある以上、足利義秋はいくら甥とはいえ、俺を信用していないだろう。信頼を勝ち取るには動くしかないのだ。手紙公方に狙われたくはない。
「上杉弾正殿はどのようなお方で?」
「儂もそこまで詳しくは存ぜぬが義に篤く、男らしいお方だと聞いておる。ただ、それだけに危うい。凡人や常人の気持ちなど一切わからないお人じゃと」
成程。上杉謙信は想像通りに天才肌のようだ。確か血液型はAB型だったはず。まあ、血液型と性格は関係が無いらしいのだが。
「私のような俗物の物差しでは測れぬか。さて、どうするべきだと思う、源五郎」
ここで真田昌幸に話を振る。昌幸は即座にこう答えた。
「くよくよ悩んでも行くしかございませぬ。ならば悩むだけ損というものにございましょう。我らは公方様の使い。命じられたことを果たすだけにございます」
「それは違いない。もとより、俺に残された選択肢などそう多くなかったわ」
二人して笑う。少しでも真田昌幸の父である幸隆の前で、仲睦まじい姿を見せることが出来ればとは思う。昌幸のことを心から信頼している。いや、頼りにしたいと願っている。
「話は変わるが、何やら信玄公は本庄越前守に近づいていると聞くが」
「左様にございます。かなり揺れているご様子にございますれば」
「そうか」
直ぐに裏切りそうも無いのであれば、この本庄繁長の動きを上杉謙信に告げるしかない。そうする以外、俺の活路が開けないのである。大丈夫、ここまでは想定通りだ。
「伊豆守様、不肖の息子ではありますがどうぞ、宜しくお頼み申す」
「こちらこそだ。馳走になった」
真田の本城を後にして北上する。目指すは春日山城だ。俺たちの冒険はここからである。
◇ ◇ ◇
春日山城に向かうのであれば北上しなければならないところ、俺は西へと歩を進めた。向かったのは美濃国の北部である。何をするために向かったのか。もちろん、アイツと共謀するためである。
美濃の北部を荒らす者が居た。その名も朝倉景鏡と言う男である。一色龍興の目が南に向いているその隙に郡上郡へと兵を進めたのだ。もうやりたい放題である。
政敵である敦賀郡司の朝倉家を追い出してからは朝倉景鏡率いる大野郡司が権勢を奮っているのである。俺としてもその方が都合が良い。
何を隠そう、俺が景鏡に告げ口をしたのだ。今、織田と一色は激しく戦っており、美濃の北は手薄になっていると。それを見逃す景鏡ではない。直ぐに兵を起こし、美濃国へと侵攻した。
唆すのは簡単だった。もし、織田に何か言われても浅井を通して交渉すれば良いのである。浅井と朝倉は昵懇の仲。また、朝倉は叔父上も抱えている。何も問題はないはずだと。
その叔父上も美濃の障害が無くなれば織田と団結して上洛を目指すことが出来ると告げると、面白いように兵を出せと指示してきたそうな。叔父上は本当に上洛のことしか考えていないらしい。
俺は信濃国から美濃国を突っ切り景鏡と合流する。もう一色龍興は虫の息である。国衆たちも織田か朝倉のどちらかに付いている。ここから再起は図れそうもないだろう。
景鏡は美濃攻めで成果を上げ、朝倉家中での立場固めに忙しそうであった。羨ましいほどに抜け目がない男だ。
「流石は式部大輔、見事な手並みだな」
「何を仰られます。伊豆守様には敵いませぬ」
ほほほと高笑いをする景鏡。どうやら上手く事が運んだことが嬉しいらしい。全て俺がお膳立てしてやったという心の声を飲み込み、景鏡を褒め讃える。
一通りよいしょし尽くしたところで、これ見よがしに溜息を吐いた。それに喰い付かぬ景鏡ではない。俺に声をかけてくる。どうされましたかと。
「いやなに、叔父上の仰る通り上杉殿を尋ねようと思ったのだが、なにやら本庄越前守なる者が謀反を考えているため、身動きが取れずにいるとのことなのだ。我らも手勢が少ないため、身の危険を感じ引き返してきた次第」
「左様でございましたか」
「式部大輔の方から叔父上に弁明願えぬだろうか。こうなっては織田が美濃を抑え、その織田と共に上洛をするのが良いと。そうお伝えいただきたい」
「それくらい安い御用なれば。某にお任せくだされ」
「忝い。やはり頼りになるのは式部大輔だな」
一通り、景鏡を労ってから越前を通り、若狭へと向かう。さて、この朝倉の美濃侵攻が実は毒饅頭だったと気が付いているのは、どれほど居るか見物である。
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