東へ向かう最良の方法
永禄十年(一五六七年)六月 若狭国 後瀬山城 武田氏館
二月ほどして本多正信が帰ってきた。報告を聞く。どうやら首尾は上々のようだ。三好勢との話がまとまったらしい。ここから気にしなければならないのは、叔父上の機嫌と三村家親攻めの二つである。
俺が行わなければならないのは篠原長房に戦の礼金を用意すること。千貫の銭を用意する。あくまでこの銭は共闘してもらうための支度金である。
「これで将軍位のごたごたが片付けば良いのだがな」
「すんなりと行けばよいのですが」
そう述べる正信。すんなりといかないから拗れているのだとでも言いたげである。気持ちは理解できる。どこかでどんでん返しが起きるのだ。
「それよりも問題は三村攻めにございます。なにやら十兵衛殿が苦戦している様子で」
そうなのだ。どういうわけか十兵衛が苦戦しているのである。その打開策として三好勢に助力を請うたのだが、どうも腑に落ちない。国力差は歴然としているのである。
また、美作の国衆たちも我らに靡いていた。草刈の岳父殿が尽力してくれていたのだ。だというのに、戦況は勝勢どころか優勢にもならないのである。正信が言いたいこととは。
「つまり、裏があるということか?」
「訝しんでもよろしいかと」
想定通りに行かない場合、何かしらの障害があるということである。これを放置して力攻めすると痛いしっぺ返しを喰らうものだ。十兵衛にそのことを伝えるべきだろう。
彼の者のことだ。三好勢を上手く御してくれるに違いない。自軍の被害を最小限に、友軍を効率的に運用し、敵軍の被害を最大限にすることくらい、造作もないはずである。
「俺は出しゃばらない方が良いか?」
「でしょうな。御屋形様が西に向かえば三村紀伊守も躍起になりましょう。むしろ、興味が無いと南か東を向くべきかと」
南か東か。南の丹波に関しては武田高信にまだ打診をしていない。上手く伝えられるかわからず、二の足を踏んでいる状況だ。俺が気にしなければならないのは武田高信の面子だ。
俺が高信を尊重しているということを暗に伝えながらも、国替えに応じてもらわなければならないのだ。あくまで立場は対等であると告げる必要がある。能うだろうか。
彼我の国力差は歴然である。その差を背景に圧を掛けることも可能だが、良好な関係を築いていきたい。まずは穏便に話を持って行くことにする。それもまずは一豊の弁済が済んでからよ。
「となると、東だろうな」
東で思い出されるのは叔父上のことである。越後に向かえと頻りに促してくる。のらりくらりと躱してはいるものの、それが通じなくなるのも時間の問題だ。早いところ、平島公方には将軍位に就いてもらいたいものである。
「ふむ。今、俺が若狭を離れて大事あるか?」
「ないでしょう。当家は三好に近づきました。朝倉とは昵懇の仲にございます。浅井も朝倉と同調しておりますれば、懸念は丹波くらいかと」
「それならば、俺は東へ向かおう。敢えて留守にして三村紀伊守の気を逸らす。そうだな……叔父上の命に従い、越後に向かったとしておくか」
流石に越後に向かうことは出来ない。現実的に考えて無理だ。ただ、信濃には向かわねばならないだろう。というのも、本庄繁長を蜂起させなければならないからだ。
本庄繁長を蜂起させるには武田信玄の力が必要不可欠である。つまり、俺は信濃にまで向かわなくてはならないのだ。ああ、気が重い。ただ、若狭の後瀬山城に居ると叔父上の催促が引っ切り無しに届く。
それなら重い腰を上げた方が良いというものである。なんてことはない。俺が帰ってくる頃には三村家親は明智光秀に討伐されて、その対価として篠原長房に銭を渡し、その銭を使って平島公方が宣下しているはずだ。
そして上杉は背後の謀反を鎮圧するのに躍起になって上洛どころではなくなるはず。これで叔父上も諦めてくれるだろう。
「真田兄弟を呼べ。手勢を引き連れて登城するように伝えて欲しい」
「承知いたしました」
「留守中は弥八郎に任す。全て突っ撥ねろ」
「かしこまりました」
俺が居なければ、当主が居ないのでお引き取りくださいと突っ撥ねることが出来る。何にも応じず、何にも靡かない。正信ならば問題なくこなしてくれるだろう。
今はあえて留守にする。俺が考えなければならないのは留守にした後のことである。毛利と三好とは誼を契ってある。直ぐに問題になることはない。となると、丹波か。
丹波が攻め取れないのが辛い。地味に丹波は要衝となっている。堺に向かうためにも丹波を盗らねばならんのだ。ただ、二正面作戦は心許ない。三村攻めの次である。
「失礼いたしまする」
「どうした?」
嶋新吉が入室してくる。どうせ、いつもの如く叔父上から催促の遣いが来たのだろう。これ幸いと東へ向かうことを告げてお引き取り願おう。
「織田上総介様の使いの者が到着しております」
「織田殿の使い?」
当てが外れた。思わず正信と顔を見合わせる。断るという選択肢はない。使者と面会する旨を新吉に告げる。そして正信に尋ねた。
「何用だと思う?」
「おそらくは美濃攻めの協力要請でしょう。御屋形様は近江の高島郡を手中に収めておりますれば、高島郡から美濃は目と鼻の先でございます」
更に付け加えると、高島郡の横に広がる坂田郡や浅井郡は信長の義弟である浅井長政の領地だ。そこを通過して俺も参戦しろということなのだろう。そう想像する。
「旨味は無いな」
美濃の領地を切り取ったところで飛び地になる。上手く治めるのは難しいだろう。徒に兵を損耗し、利は少ない。参加する必要性を感じない。もし、凡庸な催促であれば断ろう。
使者が待つ部屋に入室する。使者としてやってきたのは河尻秀隆と名乗る男であった。低頭しており、顔を見ることは出来ない。
「面を上げよ」
着座し、そう告げる。俺の指示通り、顔を上げた秀隆。齢四十ほどの老練な印象のある武士であった。傷跡が経験を物語っている。
「武田伊豆守である。本日は何用にて参ったのか」
「はっ、まずは先日の髙木彦左衞門の無礼を詫びに参りましてございます」
そう言って箱を押し出す川尻秀隆。受け取る本多正信。仲にはぎっしりと砂金が詰まっていた。流石は金満な織田家である。変に拗らせるつもりもないため、受け取って水に流すことにした。
「この件は水に流すとしよう。ただ、謝罪のために参ったのではあるまい?」
「ご慧眼の通りにございます。此度の美濃攻めに伊豆守様も参戦願いたく、罷り越してございまする」
「そうは言うがな、我らには利が無さ過ぎる。それはわかってくれるな?」
「もちろんでございます。ただ、我らとしては戦に加わらなくとも参戦いただきたく、平に平に願いましてございまる」
戦に加わらなくても参戦して欲しい。つまりどういうことか。我ら武田が織田方に付いた事実が欲しいのだろう。我らが付けば、甲斐信濃の武田も織田に付いたと誤解させることも可能だ。
「ふふふ、我らを動かすか。安くはないぞ?」
「承知しておりまする。もし、参戦いただけるのであればもう一箱、ご用意いたしましょう」
これだけの砂金、軽く見積もっても千貫以上の価値があるぞ。俺は頭の中で落としどころを探っていく。美濃攻めということは、美濃を横切ることは出来ない。
となれば、信濃に向かうには越前から飛騨を通って信濃に入るしかない。ただ、飛騨も安全かと言われると疑問符がついてしまう。それならば美濃の方がマシかもしれない。
なるほどなるほど。良い感じに読めてきた。これが成れば面白いことになるかもしれない。俺は咳払いをしてから河尻秀隆に告げる。
「戦に加わるつもりはない。つもりはないが、信濃に向かうため、美濃を通りたいと思っておったのだ。誰かが警護してくれたらばと思うのだが、当てはあるだろうか?」
俺の意図を正しく汲んだ河尻秀隆がにやりと笑ってこう述べる。そして「我らで良ければ護衛仕りましょう」と。そう。織田に護衛してもらいながら美濃を通過するのだ。
これは両方に得のある提案である。こうして俺は行きの護衛をタダどころか銭を貰って悠々と向かうことになったのであった。
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