解決の糸口
永禄十年(一五六七年)五月 摂津国武庫郡 越水城 十河隼人佐存之
今、某の眼前には二人の武士が居る。二人とも揃って笑顔なのが却って不気味だ。一人は豆州殿の遣いとしてやってきた本多弥八郎正信殿。
対するはこの越水城の城主を務めている篠原孫四郎長房殿である。この篠原孫四郎という男は今は亡き三好実休様の重臣であり、今はそのお子であらせられる長治様を補佐されているお方だ。
齢は四十過ぎ、未だ闊達な武士であった。今は主君を亡くした際に剃髪し岫雲斎怒朴と名乗っているようである。その岫雲斎殿が歓迎の意を伝えるべく、口を開いた。
「わざわざ遠いところを良くお越しくださった。して、本日は如何なご用向きでございましょう」
「某、我が主であらせられます武田伊豆守の名代として罷り越してございます。御屋形様は平島公方が次期将軍位に据わるべきだと」
「ほう」
岫雲斎殿の眉が動く。しかし、美味い話には毒がつきものである。それを知らぬ岫雲斎殿ではない。その真意を訝しみながら、静かに尋ねる。
「伊豆守殿は何を望まれるのだ?」
「ふふふ、そう急かずとも一から説明申し上げまする」
本多弥八郎殿が不敵な笑みを浮かべるとそう前置きしてから我ら二人に向かってこう述べた。
「御屋形様は今の洛陽を深く深く憂慮されておりまする。帝もさぞ心を痛めていることでしょう。そこで御屋形様は帝のために、自身の叔父御ではなく平島公方を推すことをお決めになられたのだ。将軍が定まれば天下は静謐を迎えましょう」
白々しい。それで天下が治まった試しはここ百年無いではないか。そう言おうとした。言葉が喉までせせり上がってきたが何とか押し留めた。そんなこと、言わずとも百も承知なのだ。
「それは我らも願っていることにございますれば。では、我らのお味方になっていただけると?」
そう。そこが重要なのである。いくら美辞麗句を並べられようと、言葉だけならば何とでもなるのだ。さて、本多弥八郎殿は何とお答えになるか。
「もちろんにございまする。我ら、轡を並べて戦いましょうぞ。いや、戦わずして将軍位に就くことが肝要にございますな。そのための根回しは我々にお任せいただきたく存じ上げる」
なんと。こうもあっさりとまあ叔父御を見捨てて我らに与したとは。いや、そもそも某も豆州殿とは共闘させていただいており申した。豆州殿は己が野望を叶えることこそ大事と考えているのだ。とすれば。
「では、金子も用立ててくれると?」
「もちろんにございます。ただ……」
弥八郎殿が悲しい顔をする。ほらきた。これは何か厄介ごとが降って湧いてくる気配がする。某は前回、それを学んだのだ。
「ただ、なんでしょう?」
「ご助力を願いたく存じ上げまする」
「ご助力?」
ほらきた。
「今、我らは美作の地を抑えんと三村を攻め立てているのですが、お恥ずかしながら攻めあぐねておりまして」
そう言って頭を掻く弥八郎殿。ああ、もうこの後の展開が手に取るようにわかる。わかってしまう。
「そこで南より三好様と十河様に攻め立てていただきたく」
聞きたくない言葉が出てきてしまった。
「成程。表向きは対三村にて合力したと思わせる。そういうことでございますな」
「左様でございます。その助力の対価が平島公方の将軍位、将軍宣下の費えにございます」
「ふむ。悪くはない話ですな。悪くはないが、即答もしかねる話かと」
「存じております。しかし、御屋形様も気分屋ゆえ、そう長くはお待ちできないかと」
両者がにこりと笑みを浮かべる。しかし、その目は笑っていない。もし、兵を動かすとなれば我らが十河家はどれだけの兵を動かせるだろうか。頭の中で算盤を弾く。
ああ、願わくばこの話が白紙となりますように。
永禄十年(一五六七年)五月 京 久我屋敷 久我晴通
「ふぅ」
御父上が何度目かの溜息を吐く。右近衛大将ともなれば気苦労も多いのだろうか。その御父上が麿を見てから溜息を吐く。これは聞いて欲しいということだろう。
「如何されましたか?」
「何ということはない。金子が足りぬのじゃ」
ああ、いつものことか。我等に銭が無いのは今に始まったことではない。百年ほど前から朝廷には銭が無い。あるのは伝統と格式、そして矜持ばかりである。
今となっては野蛮な武家の後塵を拝し、彼らに銭を工面してもらわなければ何も出来ぬ始末。その武家の棟梁たる足利も頼りにならぬと来ている。頭が痛くなる気持ちもわからんでもない。
「それだけではない。これを」
御父上から一通の書状を手渡される。花押は武田伊豆守の花押である。内容を読み進めて御父上の溜息の理由を察した。伊豆守はどうやら平島公方を将軍位に据えようという腹らしい。
「実の叔父を差し置いて平島公方を推すとは」
「それだけ、現状を憂慮されているのじゃろう」
袖で顔を覆いながらさめざめと泣く御父上。武田伊豆守の健気な心に打たれたのだろう。親族だからと義秋を推していた我らが馬鹿らしく思えてくる。
「さっそく帝に上奏いたしましょう」
「まあ、そう急くでない」
御父上は涙を拭き――いや、拭いた振りかもしれぬ――麿に向き直る。そしてこう尋ねてきた。
「果たして、平島公方が将軍位に収まったとて、畿内が収まるだろうか?」
「それは……収まりましょう。堺を押さえておりゃれる三好と若狭、丹後を治める武田が同意しているのです」
「銭は誰が用立てるのじゃ。二千貫は必要ぞ?」
口を開けば御父上は銭、銭、銭と銭ばかり。ただ悲しいかな。銭が無ければ何も出来ぬのも事実。御父上が伊豆守に文を認める。
「内容は如何なさるので?」
「其方の意は痛いほどに理解した。しかし、金子が用意出来ぬのなら即位も難しいと返すのじゃ」
言葉の端々から義秋の将軍位就任を諦めきれていないのが窺える。朝廷内でも幅を利かせたいのであろう。摂関家として生まれた父だが、次男だったために養子に出され、清華家となった。
極官は左大臣。とはいえ、その左右大臣も摂関家が占めている。我らはどう足掻いても三位止まりなのだ。それとも御父上は近衛家が幅を利かせるために、動いているのだろうか。わからない。
「銭も伊豆守が用意すると文にあるではございませぬか」
「形だけやもしれぬ。要は将軍宣下さえ貰えれば良いと考えていたら問題ぞ?」
確かに帝が宣言してしまえば将軍位に辿り着けるのだ。たとえ銭が無くても。帝を謀るのは由々しき事態である。しかし、伊豆守に銭が無いわけがない。
「麻呂は参内いたしまする」
まずは左大臣である西園寺卿に相談してみることにした。これは、間違いなく朝廷にとっても、京の都にとっても良いことのはずだと。そう信じて。
ごめんなさい。
ストックが切れたので更新が止まります。
良かったらここまでのお話で評価や感想などを頂ければ幸いです。
今後の糧とさせていただきます。





