駄々っ子、世にはばかる
永禄十年(一五六七年)五月 若狭国 後瀬山城
はっきりと言おう。越後になど行きたくない。そもそもである。どうして俺が行かなければならないのか。越後に向かうには障害が多過ぎる。そう長期間も若狭を空けてられない。さて、行かなくても良い方法は無いものか。
うんうんと思案していると、横から本多正信が声をかけてきた。なにやら良い案があるらしい。彼の言葉に耳を傾けることにする。
「簡単なことでございます。平島公方を将軍位に即位させれば良いのです」
あっけらかんと言い放つ正信。そうか、その手があったか。将軍位が空位だから良くないのだ。さっさと足利義栄を据えてしまえばことは丸く収まるのである。
とはいえ、天皇陛下にそのようなことは畏れ多くて申し上げることが出来ない。なので、いつも通りに親族である久我晴通や徳大寺公維、岩倉具堯に文を出す。
久我晴通は親族の誼か、足利義秋を将軍に据えようと奔走しているらしいが、今はそれどころではない。急ぎ、将軍を定めるのが先決である。
問題はどうやって脅すかだ。俺が良いと言っていた。そう伝わったら禍根になる。だが、義栄を将軍に据えて欲しい。そこで思考が止まってしまった。
「何か良い考えは無いか?」
「攻め手を変えてみるのがよろしいかと」
「と申すと?」
「平島公方に圧をかけましょう。三村紀伊守を攻め滅ぼすのを手伝えと」
「なるほど」
三村家親の居城としている備中松山城は四国は丸亀の目と鼻の先である。十河存之もそちらの方が動きやすいだろう。三村であれば難なく出兵できるはずだ。
そして出兵して共闘してくれた見返りに将軍位に据える後押しを行う。このようなところが落としどころだろうか。そうなると朝廷への働き掛けも変わってくる。
「平島公方ないしは三好が首を縦に振った場合、俺は将軍宣下のための銭を用立てる。その銭を三好ではなく朝廷に直接納めるという腹積もりだな」
「ご明察に」
俺が平島公方の将軍宣下の費用を払った。これがミソなのだろう。暗に俺が平島公方の将軍就任を認めたことになる。朝廷としても安堵することだろう。俺の影響力はそこまで低くないのだ。
「更に付け加えるならば、上杉勢を動けなくさせるという手もありまする」
「なるほど」
上杉が戦で忙しくなるようならば畿内のゴタゴタどころではないとなるはずである。どうにか越後で謀反を起こしてくれる者は居ないだろうか。真田昌幸に尋ねてみよう。
「済まぬが三好まで一走りして話を付けてきてはくれないか?」
「もちろんでございます」
本多正信を平島公方の元へと送る。そうなると、もう一人騒ぎそうな男のことが頭に浮かんだ。松永久秀である。苦心した俺は松永久秀を押さえるために彼の家臣である楠木正虎を後瀬山城まで呼び出した。
「お呼びでございましょうか」
「遠路遥々すまないな。松永殿は息災か?」
「はっ、息災にございまする」
「そうか。三好左京大夫殿とも上手くやっておるのか」
「ははっ」
どうやら波風は立っていないらしい。さて、どうやって平島公方に組することを伝えようか。相手はあの松永久秀。言葉は慎重に選ばなければならない。恐る恐るこう尋ねる。
「松永殿としては、やはり平島公方が将軍位に収まったら都合が悪いものなのか?」
「そのようなことはないかと」
「……そうなのか?」
拍子抜けした答えである。てっきり、都合が悪いのかと思っていた。聞けば、久秀はそこまで将軍位の争いに興味は無いという。どちらが将軍になっても変わりはしない。そういうことだろうか。
「そうか。それを聞いて安心した。事情があってな。少し平島公方に組することになりそうなのだ。そこで松永殿の顔色を伺おうと其方を呼んだ次第である」
「左様でございましたか。殿にしかと伝えておきましょう」
そこからは和やかに近況を報告し合ってお開きとなった。さて、ここからは時間との勝負である。義秋が五月蝿く騒ぎ立てる前に越後で謀反を起こす。
そして信玄公に其の後押しをしてもらいつつ、平島公方と結託して三村家親を攻め滅ぼす。並行して献金をして平島公方を将軍に据えるのだ。
さあ、忙しくなってきたぞ。俺は飯富虎昌か真田昌幸を呼び出すところから始めたのであった。
◇ ◇ ◇
やってきたのは真田信尹であった。信尹とはあまり話したことは無い。良い機会だと思い、彼と親交を深めがてら、越後の状況を確認していく。
「其方と二人で話すのは初めてだな」
「ははっ」
「諏訪四郎叔父上のもとで槍奉行を勤めていたとか」
「左様にございます」
「四郎殿はどのような人物だったのか、其方の実直な意見を聞かせて欲しい」
まずは緊張感をほぐすために信尹に話をさせる。オレは相槌を打つばかりであった。信尹も慎重に言葉を選んで発言する。曰く、諏訪四郎勝頼は強く有ろうとする人物の様らしい。
負けん気が強く、自身の境遇にも尋常ならざる不満を抱いているとか。負の力を原動力に動いている男なのだろう。彼の境遇を思えば、理解できる気もする。
要らないと言われたり、必要だと言われたり。家督は継がせないが子には継がせると言われたり。彼も家中をまとめるのは大変だろうな。信玄もどうするつもりなのか。いや、どうも出来なかったから滅んだのか。
「為になる話を馳走になったな」
「いえいえ、あくまでも某の感想にござりますれば、話半分に聞き留めていただきとうございまする」
これが自分の主観であるということも理解している。父や兄に劣らず、優秀な男よ。話はそのまま越後の状況へと移った。
「越後は上杉弾正が治めておりまするが家臣を掌握するのに苦心していたようですな。それに嫌気が差して出家までする始末にございます。元より一向一揆の吹き荒れる越中の隣でございますれば、地固めに難儀しているのかと」
それならば付け入る隙はありそうだ。誰かが謀反を起こしてくれれば俺としては願ってもない結果になるのだが、そんな都合良く、そんな人物が居るわけないよな。
「そういえば、甲斐の武田が本庄越前守なる者に手を伸ばしていると耳にしたことがございまする」
本庄繁長か。どうやら彼が上杉に対して謀反を企てているらしい。俺にとっては本庄繁長の謀反が上手くいくかいかないかなど二の次なのである。大事なのは謀反を企てているという事実だ。
これが成功すれば良し。しなくても、上杉に垂れ込んで『反乱に備える必要があるため上洛できない』という状況を作り出すことが出来ればそれで良いのだ。
「有意義な話を聞くことが出来た。感謝するぞ」
「ありがたきお言葉にございます」
「一度、其方の父君や兄君にも会ってみたいものだな」
「是非一度、小県においでなさいませ。良いところにございますぞ」
信尹がにやりと笑う。縁の下の力持ちとは彼のようなことを言うのだろうなと俺は思ったのであった。
◇ ◇ ◇
信尹が去ってすぐのことだった。入れ違いに入ってきたのは申し訳なさそうな顔をした山内一豊であった。取次もせずに入ってくるとは火急の用事に違いない。何用だろうか。
「一大事にございます」
「何事だ?」
嶋新吉の持ってきた蕎麦茶を飲みながら一豊の話を聞く。顔色から見るに良い報告ではないようだ。大丈夫、どんな報告が来ても広い心で受け入れるとしよう。
「た、武田三河守高信、尼子に攻め掛かりましてございます」
顔から血の気を失くした一豊がそのように報告してくる。別におかしな話ではない。武田高信とて因幡半国を治める身代。この領地を増やすために手切れとなった尼子義久を攻めるのは戦国の世としておかしな話ではないのだ。
「それがどうした。我らは既に尼子右衛門督とは手切れになって――」
「それが……攻め掛かった先が高城城でして……」
口に含んでいた蕎麦茶を吹き出す。尼子は尼子でも義久ではなく勝久の方を攻めたのかっ。流石にこれは看過できん。一豊からどうしてそうなったのか事態の把握に努める。
「三河守が何の前触れも無しに兵を動かしたのか」
「そうではございませぬ。武田右衛門佐様にお伺いを立て、許諾を得ていたとのことに存じます」
頭を抱えてしまう。今回の件、誰もが少しずつ悪いのだ。まず、俺が詳細な情報を正確に届けることが出来ていない、出来るような組織体制を築けていない点。これが俺の落ち度。
そして叔父上も俺の手を煩わせぬよう、自身で判断したのだろう。その気概は嬉しく思うも、断片的な情報で判断してしまったがために、誤った判断をしてしまった。これが叔父上の落ち度。
そうならないために山内一豊を叔父上の寄騎にしたが、叔父上との連携が取れていなかった。情報の共有がなされていなかった。それが一豊の落ち度。
きちんと情報を確認し動いた三河守。難癖を付けることもできるが、彼の者の落ち度はそう多くはない。俺が盟主と置いた叔父上に確認をしたのだ。手落ちだったのは一豊であろう。
「はぁ」
溜息が漏れてしまう。この溜息を耳にした一豊が躙り下がって頭を擦り付けながら謝罪の言葉を述べた。
「申し訳ございませぬ!」
「ああ、良い。過ぎたことだ」
責を問うことは簡単だ。腹を召させることも同様である。しかし、そうはしない。武士の本懐というのは大きな失敗をしたときに、どう挽回できるかである。防げなかったのは、情報漏れの仕組み造りを怠った俺の罪よ。
「それよりも三河守は兵を引いたのか?」
「はっ、事情を説明しておりますれば」
考えなければならないことは三つ。情報の伝達方法と尼子勝久への詫び、それから武田高信の処遇よ。これで高信を攻めるのはお門違い過ぎる。逆を言うと、これで高信を取り潰せなくなった。
領地を広げる余地が無いため、このような戦になったのであれば国替えを打診してみるのもありやもしれぬ。それこそ、丹波に領地を与え、丹波を切り取ってもらえたら我らとしても御の字である。
それに因幡国は将来的には草刈家に渡さねばならぬ土地である。この段階で早めに処理できるのであれば処理してしまいたい。それこそ桑田郡を攻め盗って高信の領地とするのはありだ。
丹波国の桑田郡は石高はおよそ五万石。京からも近いとあらば、応じてくれる可能性は低くない。ここは一度、内藤宗勝から押さえて欲しいと頼まれた郡だ。
しかし、当時は桑田郡を取ると丹波に深く突き刺さる形となってしまうため諦めてしまったが、高信に渡すのであれば都合の良い土地だ。
「悪いが三河守を連れてきてくれぬか?」
「かしこまりましてございます」
平身低頭している一豊が震えながらそう述べる。ああ、そうだ。それから一豊の処分も行わなければならないな。本来ならば腹を召してもおかしくはない失態なのだろうな。
「伊右衛門、お前にも沙汰を下す」
「ははっ」
「この武田の分国法に照らし合わせれば、其方は過失により、尼子孫四郎の居城を損壊させた。これは器物を損壊させた罪に問われる。よって、損壊した器物を修復し、被害のあった武田三河守と孫四郎に詫び金を支払うように。以上だ」
それを言い終え、俺は思案する。優先順位を付け直さなければ。黒川衆からの報告によれば美作の三村攻めも難儀していると聞く。そう考えるといよいよもって将軍位争いなんかに付き合ってられない。
「六角右衛門督を唆すか」
家督を奪われた六角義治を唆して六角家中を二つに割る。そうすれば義秋も上洛どころではなくなるはずだ。その隙に義栄が将軍に収まってしまえば良いのである。
「ん? 何をしているのだ?」
沙汰を伝えたというのに、一豊はずっと跪き、呆けた顔で俺をみているばかりであった。その一豊が口を開く。
「いえ、その、それだけでございまするか?」
「何がだ?」
「沙汰にございます」
「当たり前だ。分国法を定めている以上、俺もその法に照らし合わせて沙汰を下す。おかしなことではあるまい?」
もし、これが正信や藤孝の耳に入れば、やれ過失ではなく重過失だの扇動の疑いだのやんややんや言ってくるやもしれぬ。ここは凡愚な主君が勝手に決めたということにしてやろう。
「ただ、次は無いぞ。もしも次に大きな失態をしたら覚悟しておけ」
「ははっ」
「失態は功で挽回せい。期待している」
一豊が退室する。それを見送ってから俺はへたり込んだ。ああ、どうしよう。勝手に決めて正信たちに怒られたりしないだろうか。そもそも、事態は丸く収まったのだろうか。
俺の悩みは尽きないのであった。
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