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討伐


 永禄十年(一五六七年)三月 播磨国 姫路城 明智光秀


 姫路城に移って早数カ月。ようやく姫路に慣れてきたところである。姫路は御屋形様も気にかけるほどの要衝。瀬戸内での交易と対三村の本拠地だと御屋形様も仰っていた。


 そのため、某も御屋形様に負けじと人材の登用に精を出していた。そのお陰で明智秀満、藤田行政の他に甥の明智光忠に斎藤利三、溝尾茂朝、津田重久、那波直治を郷里などから登用することができた。


 今までの伝手を総動員させて優秀な人材を用いることが出来た。優秀な人材とは義に篤く、民を尊ぶ人材である。主君が道を踏み外そうとしているときに指摘できるかどうかだ。


 さらに嬉しいことに我らの寄騎として御屋形様が朝倉景恒を付けてくれた。恩義のある朝倉景垙の弟だ。その縁もあって某の寄騎にしてくれたのだろう。


 その者たちの手助けもあり、姫路での商いを活性化させることに成功している。瀬戸内での商いは初めてだ。また、堺との関係を拗れさせるわけにもいかない。


 しかし、その点は武野新五郎と岳父の今井宗久が上手く取り成してくれた。これで堺とも積極的に商いをすることが出来る。残る問題は三村家親だ。


 三村家親とは遅かれ早かれ雌雄を決さなければならないのだ。ここまで見越して草刈氏との婚姻を進めていたのであれば、御屋形様はどこまで先を見通しているのかと恐怖すら覚える。


 草刈景継のもとに美作国の国衆から陳情が続々と届いているようだ。三村家親に領地を追われた。何とかして欲しいと。いや、何とかと言うよりは我ら武田に動いて欲しいと願っているのだ。だから草刈景継のもとに走るのだ。


 無論、我らとしても動きたい。動きたいが毛利に出張られると困る。その折り合いが未だ付かないのだ。だが、付いたときに備えて軍備は進めている。


 兵は四千を動員できる。その内の千が常備兵だ。軍馬も二百頭、種子島も二百丁揃えた。充分過ぎる軍備といっても過言ではない。瀬戸内はそれだけの財を産んでくれるのだ。


 小浜の海とは違い、波が穏やかである。北と南とで海運がこうも違うとは知らなんだ。さらに平地も広く土地が豊かだ。御屋形様が姫路を重要視していた理由が今なら理解できる。


 津山城の飯富虎昌、龍野城の本多正重、篠ノ丸城の長坂勝繁も三村家親と事を構えるのであれば寄騎として扱っても良いと御屋形様からの許諾を得ている。これで一万は動かせそうだ。


 備中国の石高はおよそ十五万石。動かせても一万が限度だ。掻き集めてそれである。美作国からも募兵できれば事情は異なってくるが、安定していない美作国から兵を集めるだろうか。


 いや、三村家親ならば集める。なので一万五千を動員すると考えておこう。しかし、それだと兵数で負ける。ここは御屋形様に後詰めを願うべきだろうか。


 今でも五分五分の勝負は出来る。相手は烏合の衆、寄せ集めだ。しかし、万に一つも負けられない戦いでもあるのだ。恥を忍んで御屋形様に後詰めを強請ることにする。


「ん? 伝五。いつから其処に居たのだ?」

「殿がお考えだったのでお待ちしており申した。殿宛てに二通の書状が届いておりますぞ」


 藤田行政が書状を二通手渡す。片方は毛利輝元から。そしてもう片方は御屋形様からであった。まずは、毛利輝元からの書状に目を通す。


 毛利輝元には遜って接している。御屋形様が遜って接する分には問題があるが、某ならば問題ない。家格を貶めるという意見もあるが、御屋形様は名より実を取る。遜り、相手の油断を誘う方を好まれるはずだ。


 その甲斐があってか、どうやら毛利は我らと三村を天秤に掛け、我らを取るようである。これで毛利の後詰めを気にすることなく三村家親に攻め掛かることが出来る。思わず頬が緩んでしまう。


 次に御屋形様からの手紙を手にする。こちらは内容の推察が出来ないため、手が震えてしまう。否定的な内容が記されているとは思えないが、主君からの手紙というものは何時になっても緊張してしまう。


 目を通す。そこにはこう書かれていた。まずは某の体調を気遣う文。慣れない土地で四苦八苦していないかと気遣われていた。それだけでも嬉しく思う。


 更に後瀬山城の兵を六千もこちらに回してくれるというのだ。御屋形様は二千で六角に攻め入ると言う。これがまったく気心の知れていない当主の振舞いならば暴挙とは思うが、御屋形様だ。


 傍に優秀な側近が居る。彼らの入れ知恵だろう。御屋形様は我らの案を一蹴せず、一度は必ず真剣に検討してくれる。それが何よりも嬉しいのだ。


 締めに御屋形様は自身が曹公だとするならば某は郭嘉であると記されていた。郭嘉と言えば彼が亡くなったとき、曹公は大きく悲しんだという。


 他にも曹公が「儂の真意を理解しているのは奉孝だけだ」と述べたとも言う。某は御屋形様から同様の信を得ているのか。それだけ信を置いていただいていることを嬉しく思う。この文は家宝にしよう。


「なにやら良いことが記されていたようですな」

「わかるか」

「ええ、わかりますとも」

 

 どうやら顔に出ていたようだ。しかし、この手紙を貰って嬉しいと思わない人はいるだろうか。行政にも見せびらかす。


 さて、これで準備は整った。兵数も十分にある。大義名分も我らにある。三村家親討伐の始まりだ。

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