小早川の憂鬱
同刻 周防国 某所 毛利陣中
「小早川左衛門佐様はおられまするか!」
「某であれば此処に」
吉田郡山城から走ってきたであろう使い番が某を探していた。声を上げる。大内攻めも総仕上げというこのときに、使い番が走ってくることに嫌な予感が胸中に渦巻いた。
「御屋形様が早急に帰城するようにとの仰せにございまする」
「何用であるか?」
「そこまでは……」
一介の使い番にそれを尋ねるは酷であったか。全く、御屋形様は何故に某が出陣しているのかを理解しているのだろうか。この場を兄である吉川元春に任せ、吉田郡山城に急ぎ馬を走らせる。
「小早川左衛門佐、お呼びにより参上仕り申した」
「早速だが二人で話をしたい。皆は席を外してくれ」
小姓や祐筆を退場させる。この場に居るのは某と甥で当主の輝元だけである。その輝元が皆を退出させた後、眉を八の字に変えて泣きついてきた。
「叔父上、明智なる者から何度もこのような手紙が。どのように返答すべきか……」
「拝見いたしまする」
これまでの手紙を全て見せてもらう。内容は一貫して若狭武田に三村家親を討伐させて欲しいという嘆願書のようであった。
どうやら三村家親が美作の統一を進めている最中に争った国衆達が若狭武田を頼って逃げ出しているようなのだ。そして若狭武田はその声に応えようとしている。
これにかこつけて美作国と備中国を手中に収めんとしているのは見え見えだ。しかし、この嘆願を無下に扱って良いものかどうか。条件を整理する。
もし、この嘆願を許した場合どうなるか。遅かれ早かれ三村家親は討伐されよう。地盤が違い過ぎる。国力はやや若狭武田が有利という程度であるが、領内の掌握度が異なっている。
美作国の掌握に手こずっている以上、三村家親は若狭武田の当主、武田輝信に膝を屈することになるだろう。我が甥と歳が変わらんと言うのに、どうしてこうも異なってくるのか。まるで人生を一度経験したかのようだ。
若狭武田も我らの同盟国である。しかし、彼らがいつ牙を向けるかわかったものではない。美作国と備中国を盗られ、我らと戦になれば形勢はどう転ぶかわからない。
しかし、だからと言って嘆願を断ればどうなるだろうか。この機に乗じて反旗を翻すかもしれない。父上は亡くなり、西では大内と大友が暴れている。
東でも尼子が月山富田城を取り返そうと躍起になっているのだ。そこに若狭武田まで加わってしまっては国衆が離反しかねない。難しい選択を迫られたものだ。
「御屋形様は如何すべきとお考えで?」
「判断できる訳がなかろう! だから叔父上を呼んだのだ!」
そう言って今度は眉を潜める。なんとも決断力に欠ける当主だ。これは後ほど、懇々と言い聞かせなければならないな。当主としての振る舞いを亡き兄上に代わり、某と兄者で教えていかなければならないのだから。
いや、これが年相応の振舞いなのだ。あの小僧がおかしいのである。自分にそう言い聞かせる。
「某であれば嘆願を認めまする」
「おお! そうか! ではそうしよう!」
「訳を聞かないので?」
「叔父上がそう申すのだ。であれば間違いはないだろう」
この言葉を聞いて、再び頭を抱える。しかし、これは御屋形様のせいではない。天命なのだ。彼の父である長兄が亡くなった以上、御屋形様に厳しく接することが出来る者は居ない。
父上も厳しくとは思っていたようだが、如何せん孫だ。あの父上もやはり孫の可愛さには勝てなかったようである。毛利家の先行きに一抹の不安を覚えた。
「では、そのようにお返事を認められませ。誰かある!」
声を張り上げ、話は終わりだと言わんばかりに小姓と祐筆を部屋に戻す。そして小姓に福原貞俊を呼び寄せるよう命じた。彼が到着するまで頭の中を整理する。
福原貞俊が吉田郡山城に到着したのは二日後であった。直ぐに席を設ける。その場は天ノ岩座神宮の南西にある小さな湖の上だ。船には某と福原貞俊のみ。この場所であれば密談も漏れることはない。
「急に釣りの誘いとは。如何なされましたかな?」
「それが少々厄介なことになりまして。福原殿にお力をお借りしたく」
「某で良ければ力になりましょうぞ」
「実は、若狭武田から三村を討伐したいという嘆願が届きまして。それを認めようと思うのです。しかし、それだと若狭武田が力を付けてしまう恐れがある。それを防ぎたいと考えております」
福原貞俊は釣り糸を見つめながらじっと話を聞く。某も福原貞俊を見ず、釣り糸だけを見つめながら話を進めるため、再び口を開いた。
「なので、福原殿には三村紀伊守にお力添えをいただきたいのです。いや、そのような態度である毛利家を見限って三村家に寝返っていただきたい。いや、毛利家にも属しつつ三村家にも出仕して欲しいのです」
「……成程。成程成程」
「もちろん、毛利家から兵馬兵糧は秘密裏に送らせていただきます。しかし――」
「露見した時は某の一存、ということですな」
静かに頷く。言うなれば蜥蜴の尻尾の如く、危なくなれば福原貞俊を見捨て、切り捨てると言うことである。福原貞俊はそれを理解していた。理解している上でこう述べた。
「承知いたした。それが御屋形様のためになるというのであれば喜んでこの身を差し出しましょうぞ」
「忝のうございまする」
筋書きはこうだ。若狭武田に三村の討伐に関して御屋形様が嘆願を認める。それに憤慨し、福原貞俊が三村家親に近付く。そして三村家親にのみ福原貞俊が本当のことを伝える。
福原貞俊を通して三村家親に物資を送る。福原貞俊が三村家親に物資を横流ししているのは黙認する。気が付いた者が居れば某の側近にしよう。有能な証拠だ。
もし、武田に露見した場合は福原貞俊の独断であったことを伝え、謝罪する。福原貞俊を処断する。それだけである。懸念すべきは三村家親が武田に降ることだが、それは無い。
それをしてしまったらば、三村家親は国主では無くなってしまうからだ。所領は備中松山城のみになるだろう。武田も国衆たちからの嘆願である以上、美作は取り返さなければならないのだ。
到底、飲める条件で話は纏まらない。だから降ることはないのだ。
「西も東も大忙しですな」
「南が乱れぬだけ、マシというものです。西は海がありますし、東の尼子はかつての栄華を忘れられぬだけかと」
福原貞俊がそう述べる。どうやら気休めを言われるほど、某の顔は疲れているのだろう。ああ、早く周防に戻らねば。いつになれば領内は安定するのだろうか。
「ああ、それから武田に粉をかけることは出来そうでしょうか?」
「武田……と申しますと」
「武田又五郎です」
武田高信は武田輝信に臣従しているわけではない。領地を広げられず、燻ぶっているはずだ。それを言うならば垣屋続成もそうだろう。
彼らは武田の獅子身中の虫である。上手く唆すことが出来れば、或いは。
怪しいからと言って処断することもできないはずだ。そうすれば国衆たちの信を失うことになる。
もし、彼らと歩調を合わせることが出来れば挟撃や背後を荒らすこともできる。それがどれだけ嫌か、身をもって体験した今ならば理解できる。されて嫌なことをするのだ。
「やってみましょう」
「よろしくお頼み申す」
この選択が凶とならぬことを願い、某は周防へと向かうのであった。
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